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古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

古典の季節表現 五月 五月雨

2013年05月31日 | 日本古典文学-夏

堀川院の御時、百首の歌奉りける時、五月雨の歌とてよめる 藤原基俊
いとゝしく賎のいほりのいふせきに卯花くたし五月雨そする
(千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

伏見院の御時五十番歌合に、夏雨を読侍ける 前大納言経親
樗さく梢に雨はやゝはれて軒のあやめにのこるたま水
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

嘉元百首歌に、五月雨を 後山本前左大臣
かはつなく沼の岩かき波こえてみくさうかるゝ五月雨の比
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

ござさしく古里小野の道のあとをまた澤になすさみだれの頃
(山家集~バージニア大学HPより)

崇徳院に百首の歌奉りける時、よめる 前参議親隆
五月雨は水のみかさやまさるらしみおのしるしも見えすなり行
(千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

つくづくと軒の雫をながめつゝ日をのみくらす五月雨のころ
(山家集~バージニア大学HPより)

題知らず 古里尋ぬるの権大納言
晴るくべき方こそなけれつれづれと眺め暮らせる五月雨の空
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

題知らず 見れども飽かぬの関白
五月雨の空とおぼゆる心かないつの雲間に晴れんとすらむ
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

先帝の宣耀殿の女御いまだ参り侍らざりけるに、五月雨の晴れ間なきころたまはせける 女の宿世知らずの第二のみかどの御歌
人知れぬながめもいとどくらされて慰めがたきころの空かな
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

題しらす 躬恒
五月雨にみたれそめにし我なれは人を恋路にぬれぬへら也
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

四月一日比、雨ふりける夜忍ひて人に物いひ侍て後、とかくひむあしくて過けるに、五月雨の比申つかはしける 皇太后宮大夫俊成
袖ぬれしその夜の雨の名残よりやかて晴せぬ五月雨の空
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

ふりくらすさつきのそらのなかめにはねのみなかれてひとそこひしき
(夫木抄~日文研HPより)

物思ひけるころ、五月になりてはいとどひまなき空のけしきにつけても、思ひやるかたなかりければ みかはに咲ける前関白
我が思ふ人に見せばや五月雨の空にもまさる袖の滴を
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

雨の降侍りけるよ女に 藤原長能 
かきくらし雲まもみえぬ五月雨はたえすもの思ふわか身也けり 
(後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

さみたれにとふひともなきやまさとはのきのしつくのおとのみそする
(六条宰相家歌合~日文研HPより)

歎く事侍けるに、なか雨少はれま有比よめる 民部卿顕頼
五月雨の空も限は有物を心のやみのはるゝまそなき
(新続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

前大納言為家身まかりて後、日数過るほとに、前大納言為氏許に申つかはしける 入道前太政大臣 
五月雨の日数はよそに過なからはれぬ涙や袖ぬらすらん 
(新後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

(略)れいのうちわたりにもすみぞめにてはへばえしきこともなし
五月雨はいとなみだもよほすつまなり
すきにし御こともおななじほどにのみおはしませば故院の大貳の三位のもとに少将のないし
  又もなをのこりありけりさみたれにふりつくしてしなみだとおもふに
かへし
  さみだればむかしもいまもなみたかはおなじながれとみつまさりけり
(栄花物語~国文学研究資料館HPより)

中園入道前太政大臣かくれ侍ての比、先師益守僧正おなしく身まかりける又のとしの夏、五月雨を 前大僧正杲守
ほしわひぬ去年の涙の藤衣ころも忘ぬさみたれの空
(新続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)


古典の季節表現 夏 郭公・時鳥(ほととぎす)

2013年05月31日 | 日本古典文学-夏

題しらす よみ人しらす
いつのまにさ月きぬらん足曳の山郭公いまそ鳴なる
(古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

ほとときすはなたちはなのあさつゆにをはうちならしいまそなくなる
(為忠家後度百首~日文研HPより)

よになれぬたたひとこゑもほとときすはなたちはなにかくれてそなく
(元真集~日文研HPより)

おなし心(聞郭公)を 入道二品親王性助
ほとゝきすたゝ一こゑもほのかにて雲まの月に猶またれつゝ
(新続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

子規をよめる 権僧正永縁
きく度にめつらしけれは時鳥いつもはつ音の心ちこそすれ
(金葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

待つことは初音までかと思ひしにきゝふるされぬ時鳥かな
(山家集~バージニア大学HPより)

題しらす 藤原基名 
待人のためならすともほとゝきすをのか五月に声なおしみそ 
(新後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

嘉元百首歌に 二品法親王覚助
めくり逢おなし五月の郭公聞ふるしても猶そあかれぬ
(新続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

をりしもあれすすしくくもるむらさめのくもまにきなくやまほとときす
(後鳥羽院御集~日文研HPより)

入道前関白右大臣に侍ける時、百首歌よませ侍ける時、時鳥歌 皇太后宮大夫俊成
雨そゝく花橘に風過てやまほとゝきすくもになくなり
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

夏山の木末の茂に霍公鳥鳴き響むなる声の遥けさ
(万葉集~バージニア大学HPより)

 窓のもとにひとりこゝろすまして侍りけるおりふし時鳥のなきわたるをきゝてよみ侍りける
ねかはしなわかゐる園に時鳥心のまゝに聞よしもかな
(櫻井基佐集~群書類従15)

郭公を 前大納言為兼
おりはへていまこゝになく時鳥きよくすゝしき声の色かな
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

さむしろにあやめのまくらそはたててきくもすすしきほとときすかな
(為忠家後度百首~日文研HPより)

さつきやみくらふのやまのほとときすほのかなるねににるものそなき
(拾遺愚草~日文研HPより)

かたらひしその夜の聲は時鳥いかなるよにもわすれむものか
(山家集~バージニア大学HPより)

人々によませ侍ける百首に、郭公を 中務卿親王
一声をあかすも月に鳴すてゝ天の戸わたるほとゝきすかな
(続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

月前郭公といへる心をよめる 賀茂成保
五月雨の雲のたえまに月さして山時鳥空に鳴なり
(千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

題しらす 後鳥羽院御製
夏の夜の夢路にきなく子規さめても声は猶残りつゝ
(新後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

郭公なべてきくには似ざりけりふかき山邊のあかつきのこゑ
(山家集~バージニア大学HPより)

たいしらす 後鳥羽院御製
ほとゝきす雲のいつくにやすらひて明かたちかき月に鳴らん
(続拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

よもすからかたらひおきてほとときすいつちゆくらむあけほののそら
(正治初度百首~日文研HPより)

暁聞時鳥といへる心をよみ侍ける 右大臣
ほとゝきす鳴つるかたを詠れはたゝ在明の月そ残れる
(千載和歌集~国文学研究資料館HPより)
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聞霍公鳥喧作歌一首
いにしへよ偲ひにければ霍公鳥鳴く声聞きて恋しきものを
(万葉集~バージニア大学HPより)

いにしへに恋ふらむ鳥は霍公鳥けだしや鳴きし我が念へるごと
(万葉集~バージニア大学HPより)

寛平御時きさいのみやの歌合のうた きのとものり
さみたれに物思ひをれは時鳥夜ふかく鳴ていつち行らん
(古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

宝治元年十首歌合に、五月郭公 右近大将通忠
橘のにほふさ月のほとゝきすいかに忍ふるむかしなるらん 
(続拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

なげきわびもの思ふころは郭公わがためにのみなくかとぞ聞く
(宗尊親王御百首)

病にしつみ侍ける比、郭公をきゝて 太宰権帥為経
年ことに聞し雲ゐの時鳥この五月こそかきりなりけれ
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

 ほととぎす、ありつる垣根のにや、同じ声にうち鳴く。「慕ひ来にけるよ」と、思さるるほども、艶なりかし。「いかに知りてか」など、忍びやかにうち誦んじたまふ。
 「橘の香をなつかしみほととぎす花散る里をたづねてぞとふ
(略)
 「人目なく荒れたる宿は橘の花こそ軒のつまとなりけれ」
(源氏物語・花散里~バージニア大学HPより)

 その後は、いとど行ひにのみ心を入れつつ、明け暮れ経読み、念仏申しつつ、いとのどかにて明かし暮らし給ふに、都にては、雲居はるかに聞きしほととぎすも、軒近き花橘に声惜しまぬもいとあはれにて、侍従、
  いにしへを汝(なれ)もや偲ぶほととぎす花橘に来ゐつつぞ鳴く
少し鼻声になりて言へば、姫君、
  いにしへも何偲ぶらんほととぎす死出の山路の道しるべせよ
(兵部卿物語~「兵部卿物語全釈」武蔵野書院)

紫の上かくれ侍りて後、ほととぎすの鳴きけるを聞かせ給ひて 六条院御歌
亡き人をしのぶる宵の村雨にぬれてや来つる山ほととぎす
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

一条院隠れさせ給ひて後、花橘のかをれるほどに、ほととぎすま近く声すればよませ給ひける 床中のみかどの御歌
昔のみ恋ふと知りてやほととぎす花橘をとめて来つらん
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

ほととぎすは、なほさらにいふべきかたなし。いつしかしたり顔にも聞えたるに、卯の花・花橘などにやどりをして、はたかくれたるも、ねたげなる心ばへなり。五月雨のみじかき夜に寝覚をして、いかで人よりさきにきかむとまたれて、夜ふかくうちいでたるこゑの、らうらうじう愛敬づきたる、いみじう心あくがれ、せんかたなし。六月になりぬれば、音もせずなりぬる、すべていふもおろかなり。
(枕草子~岩波文庫)


古典の季節表現 夏 盧橘

2013年05月31日 | 日本古典文学-夏

四月のつごもり、五月のついたちなどのころほひ、橘の濃くあをきに、花のいとしろく咲きたるに、雨のふりたる翌朝などは、世になく心あるさまにをかし。花の中より、 實のこがねの玉かと見えて、いみじくきはやかに見えたるなど、あさ露にぬれたる櫻にも劣らず、杜鵑のよすがとさへおもへばにや、猶更にいふべきにもあらず。
(枕草子~バージニア大学HPより)

題しらす 読人しらす
さ月まつ花たち花のかをかけはむかしの人の袖のかそする
(古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

盧橘暮薫といへる心を 基俊
袖ふれし昔の人そ忍はるゝ花立はなのかほる夕は
(続千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

 二十日の月さし出づるほどに、いとど木高き影ども木暗く見えわたりて、近き橘の薫りなつかしく匂ひて、女御の御けはひ、ねびにたれど、あくまで用意あり、あてにらうたげなり。
 「すぐれてはなやかなる御おぼえこそなかりしかど、むつましうなつかしき方には思したりしものを」
 など、思ひ出できこえたまふにつけても、昔のことかきつらね思されて、うち泣きたまふ。
 ほととぎす、ありつる垣根のにや、同じ声にうち鳴く。「慕ひ来にけるよ」と、思さるるほども、艶なりかし。「いかに知りてか」など、忍びやかにうち誦んじたまふ。
 「橘の香をなつかしみほととぎす花散る里をたづねてぞとふ
(略)
 「人目なく荒れたる宿は橘の花こそ軒のつまとなりけれ」
(源氏物語・花散里~バージニア大学HPより)

家の歌合に盧橘をよめる 中納言俊忠
さ月やみ花たちはなのありかをは風のつてにそ空にしりける
(金葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

花橘薫枕といへる心をよめる 藤原公衡朝臣
おりしもあれ花たちはなのかほるかな昔を見つる夢の枕に
(千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

花山院宰相中將、いろにてこもりゐられたりしに、南殿のたち花さかりなりしを、一枝をりてつかはすとて、兵衞督どのにかはりて、辨内侍、
あらざらむ袖の色にも忘るなよ花たちばなのなれし匂ひを
返し、宰相中將色のうすやうにかきて、しきみの枝につけたり。
いにしへに馴れし匂ひを思ひ出で我袖ふればはなやゝつれむ
(弁内侍日記~群書類從)

子の身まかりにけるつきの年の夏、かの家にまかりたりけるに、はな橘のかほりけれはよめる 祝部成仲
あらさらむ後忍へとや袖の香を花たちはなにとゝめをきけん
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)


古典の季節表現 五月

2013年05月10日 | 日本古典文学-夏

 五月はかり草のしけきなかに山吹のさきたりしを
我宿は八重むくらかと見しほとにやへ山吹の花そにほへる
(赤染衛門集~群書類従15)

五月はかりものへまかりけるみちに、いとしろく口なしの花のさけりけるを、これはなにのはなそと、人にとひ侍けれと申さりけれは 小弁
うちわたす遠かた人にことゝへはこたへぬからにしるき花かな
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

時鳥歌とて読侍けるに 祝部成茂
今ははやかたらひつくせ郭公なかなく比の五月きぬなり
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

はつこゑはおしみしものを郭公なきふるしてし五月きに鳧
(寂身法師集~続群書類従16上)

五月山卯の花月夜霍公鳥聞けども飽かずまた鳴かぬかも
(万葉集~バージニア大学HPより)

五月山花橘に霍公鳥隠らふ時に逢へる君かも
(万葉集~バージニア大学HPより)

為贈京家願真珠歌一首
珠洲の海人の 沖つ御神に い渡りて 潜き取るといふ 鰒玉 五百箇もがも はしきよし 妻の命の 衣手の 別れし時よ ぬばたまの 夜床片さり 朝寝髪 掻きも梳らず 出でて来し 月日数みつつ 嘆くらむ 心なぐさに 霍公鳥 来鳴く五月の あやめぐさ 花橘に 貫き交へ かづらにせよと 包みて遣らむ
白玉を包みて遣らばあやめぐさ花橘にあへも貫くがね
 右五月十四日大伴宿祢家持依興作
(万葉集~バージニア大学HPより)

題しらす つらゆき
郭公声聞しよりあやめ草かさす五月としりにし物を
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

名もしるき山ほとときすいつのまに里なれそむる五月きぬらん
(建長八年九月十三日・百首歌合~日文研HPより)

五首歌人々によませ侍ける時、夏歌とてよみ侍ける 摂政太政大臣
うちしめりあやめそかほる郭公なくやさ月の雨の夕くれ
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

五月雨降る夕暮に
足曳の山郭公われならば今なきぬべき心地こそすれ
(和泉式部続集~岩波文庫)

五月の御精進のほど職におはしますに、塗籠の前、二間なる所を、殊にしつらひしたれば、例ざまならぬもをかし。朔日より雨がちにて曇りくらす。「つれづれなるを、杜鵑の聲たづねありかばや」といふを聞きて、われもわれもと出でたつ。(略)そこへとて、五日のあした、宮づかさ車の事いひて、北の陣より、「五月雨はとがめなきものぞ」とて、さしよせて四人ばかりぞ乘りて行く。うらやましがりて、「今一つして同じくば」などいへば、「いな」と仰せらるれば、聞きも入れず、なさけなきさまにて行くに、馬場といふ所にて人多くさわぐ。「何事するぞ」と問へば、「手結にて眞弓射るなり。しばし御覽じておはしませ」とて車止めたり。「右近の中將みな著き給へる」といへど、さる人も見えず。六位などの立ちさまよへば、「ゆかしからぬことぞ、はやく過ぎよ」とて行きもて行けば、道も祭のころ思ひ出でられてをかし。かういふ所には、明順朝臣の家あり。そこもやがて見んといひて車よせておりぬ。田舎だち事そぎて、馬の繪書きたる障子、網代屏風、三稜草簾など、殊更に昔の事を寫し出でたり。屋のさまもはかなだちて、端近くあさはかなれど、をかしきに、げにぞかしがましと思ふばかりに鳴きあひたる杜鵑の聲を、くちをしう御前に聞しめさず、さばかり慕ひつる人々にもなど思ふ。
(枕草子~バージニア大学HPより)

五月ばかり、山里にありく、いみじくをかし。澤水も實にただいと青く見えわたるに、うへはつれなく草生ひ茂りたるを、ながながとただざまに行けば、下はえならざりける水の、深うはあらねど、人の歩むにつけて、とばしりあげたるいとをかし。左右にある垣の枝などのかかりて、車のやかたに入るも、急ぎてとらへて折らんと思ふに、ふとはづれて過ぎぬるも口惜し。蓬の車に押しひしがれたるが、輪のまひたちたるに、近うかがへたる香もいとをかし。
(枕草子~バージニア大学HPより)

五月の長雨のころ、上の御局の小戸の簾に、斉信(ただのぶ)の中将の寄りゐ給へりし香は、まことにをかしうもありしかな。その物の香ともおぼえず、おほかた雨にもしめりて、えんなるけしきの、めづらしげなきことなれど、いかでかいはではあらん。またの日まで、御簾にしみかへりたりしを、わかき人などの世にしらず思へる、ことわりなりや。
(枕草子~岩波文庫)

かくてかものま つりなどもすぎてさ月になりぬ。大みやつちみかどどのにおはしませば。とのなにわざをして御らんぜさせんと覚しめして。このとのゝ御まやのまくさのたねとのゝきたせかゐんと云ところにぞうへける。このごろうふべかりければ。みまやのつかさめしてこのたうへん日はれいの有さまながらつくろひたることなくて。おこがましういかにもありのままにて。このみなみのかたのむまはみどよりあゆみつゞかせてらちのうちよりとをして。きたさまにわたせうしとらのはうのついぢをくづして。それより御らんじやるべきなり。ひんがしの對にてなん御らんずべきとおほせごとうけ給て。いま二三日のほどなにわざをと思。その日になりて。かのすみのついゝぢくづさせ給。ひんがしのたいにみやとのゝうへわたらせ給。女ばうたち候かぎりはまいるわかうきたなげなき女ども。五六十人ばかりもころもといふ物いとしろうきせて。しろきかさどもきせてはくろめくろらかに。へにあかうけさうせさせてつゞけたてたり。だうあるじといふおきないとあやしききぬき。やれたるひがさゝしてひもときてあしだはきたり。あやしきさましたるをんなどもくろかいねりきせて。はうにといふものぬりつけてかづらせさせて。かさゝさせてあしだはかせたり。又うむかくといひてあやしきやうなるつゞみ。こしにゆひつけてふえふきさゝらといふものつき。さま++のまひあやしのおとこどもうたうたひゑひて心よくほこりて。十人ばかりありそが中にこのたつゞみといふものは。れいのにもにぬ心ちしてごぼ++とぞならしいくめる。(略) 
ありつるがくのものどもみちのほどつゝましげに思へりつる。かしこにてはわがまゝにのゝしりあそびたるさまどもいみしうおかし。おりしもあめすこしふりてたごのたもとどもゝしほとけゞなり。いつのほどにかきあつまりけん。世人かずしらすなみたちて見るかほどもさへぞおかしう御らんじける。このた人$どものうたふうたをきこしめせは 
 さみだれにもすそぬらしてうふるたをきみがちとせのみまくさにせん 
 うふるよりかすもしられず大ぞらにくらにぞつまんみまくさのいね 
とぞうたふうたさへつくりいでたりけるみまやのつかさの心ばへをとのばらいみじうけうぜさせ給 
(栄花物語~国文学研究資料館HPより)

 五月の空もくもらはしく、田子のもすそも、ほしわぶらむことわりと見え、さらぬだに物むつかしき頃しも、心のどかなる里居(さとゐ)に、常よりも、むかし今の事おもひつゞけられて物あはれなれば、はしを見出してみれば、雲のたたずまひ空のけしき、思ひしり顔に、むら雲がちなるを見るにも、雲井の空といひけんひとも、ことわりと見えて、かきくらさるるここちぞする。のきのあやめの雫にことならず。山ほとゝぎすも諸ともにねをうちかたらひて、はかなく明くる夏の夜な夜なすぎもて、いそのかみふりにしむかしの事を思ひいでられて泪とどまらず。
(讃岐典侍日記~岩波文庫)

五月、最勝の御八講に、上の御局におはします。菖蒲を皆打ちて、やがて菖蒲の唐衣、薬玉などつけて、長き根をやがて御前の御簾の前の遣水に浸して出でゐたるもをかし。麗景殿もをりをりの装束をかしう、細殿にて琴、琵琶弾き合せて、殿上人などもの誦じなどして遊ぶ。
(栄花物語~新編日本古典文学全集)

かくて枇杷殿の御八講は、請僧には山の座主、心誉僧都、講師十人がうちにいりたり、僧綱八人、凡僧二人あり。かくて二十人の僧参れり。(略)女房、はじめの日、撫子を五つ着て、上に同じ色の薄物、織物を着て、菖蒲の唐衣、摺裳なり。寝殿の西南面より渡殿、西の対の東面、南とに皆ゐたり。御簾よりはじめ、御几帳菖蒲の末濃にて、みな絵どもかかせたまへり。上達部は寝殿の南の廂におはします。(略)
かくて五巻の日になりて、皆紅の打ちたるを着て、上に二藍の織物、薄物どもに、菖蒲の裳、撫子の唐衣どもなれば、朝日にあたりて耀きわたれり。所どころの御捧物持て集まれり。いみじういつしかとゆかしきに、殿ばら参りこみたまひて、未の時ばかりにぞ始まりて、捧物めぐる。中務宮参らせたま (略)
 果の日は垣根の卯の花を、女房折れり。裳は薄色、表着は菖蒲をぞ着たる。それまたいとをかし。五巻の日は中務宮、なほ人より異なりし御けはひを、東の対の女房たち、わびしう恥づかしげに思ひきこえたりけり。
(栄花物語~新編日本古典文学全集)

五月六日、御幸延びて、六條殿へ十三日御幸なる。御(おん)留守も、いつしか人なくさびて、雨しめやかなる夕暮に、まつむき殿の御簾卷きあげて、御覽じ出されたり。御前に大納言殿ばかりさぶらひ給ふ。簀子に立ち出でて見れば、池には、分くべきひまもなく繁りたる蘆間に見ゆる舟の、ありかさだめず浮きたる樣もはかなきに、さはり多く見ゆれば、
はかなくて蘆間に見ゆるうき舟のよるべさだめず物ぞかなしき
(中務内侍日記~有朋堂文庫「平安朝日記集」)

 月朧にさし出でて、若やかなる公達、今樣歌うたふも、船に乘りおほせたるを、若うをかしく聞ゆるに、大藏卿の、おふなおふなまじりて、さすがに、聲うち添へんもつゝましきにや。しのびやかにて居たる、後でのをかしう見ゆれば、御簾の内の人も、みそかに笑ふ。舟のうちにや老いをばかこつらんといひたるを、聞きつけ給へるにや。太夫、「徐福文成誑誕多し」と、うち誦し給ふ聲も樣も、こよなう今めかしく見ゆ。池のうき草とうたひて、笛など吹き合せたる、曉方の風のけはひさへぞ心ことなる。はかない事も、所がら折がらなりけり。
(紫式部日記~バージニア大学HPより)

おりからさみだれのころは。なをいほのうちしめやかに。むぐらのみたのもしげに門をとぢたるも。かゝるすまゐには心にかなひたるなど。ひとりふたりあるわらはなどにいひきかすれど。きゝもいれず。そこのかきのとにしられざりけるさゆりのはな葉がくれにみゆ。なでしこもさきたるなど。はしりいでゝぬれぬれおりまどふ。またひとりのわらは。こゝにあぢさひのものせるといふ。かゝるところにあさぢふみわけてくる人あり。いかなるにかととはせ侍れば。柳営〈東山殿〉の御もとよりとて。ふみをさしいだす。ひらきみれば。いついつ香あはせの事あるべし。(略)
(五月雨日記~群書類従19)

百首歌の中に 中務卿宗尊親王
五月雨は晴ぬとみゆる雲間より山の色こき夕くれの空
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

五月ばかり、雨も降り止(や)みて、月のさし出たるに、雨しだりの鳴るを聞きて
空見れば雨も降らぬに音ぞするただ月の漏る雫(しづく)なりけり
(和泉式部続集~岩波文庫)

五月雨は山田のくろに水こえてこなぎ摘むべきかたも知られず
(林葉和歌集)

五月の空のくせなれば、雲井の月もおぼろにて、行さきも又幽也。
(源平盛衰記~バージニア大学HPより)

五月、あやめふく比、 早苗とる比、水鶏のたゝくなど、心ぼそからぬかは。
(徒然草~バージニア大学HPより)

ともたちの久しうまうてこさりけるもとに、よみてつかはしける みつね
水の面におふるさ月の浮草のうきことあれやねをたえてこぬ
(古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

堀川院の御時百首の歌奉りけるによめる 大藏卿匡房
我妹子がこやの篠屋の五月雨にいかでほすらむ夏引の糸
(詞花和歌集~日文研HPより)

さみたれのひましなけれはなつひきのてくりのいともほしそわつらふ
(正治初度百首~日文研HPより)

閏五月侍けるとし人をかたらひけるか、後五月すきてなと申けれはよめる 橘季通
なそもかく恋ちにたちてあやめ草あまりなかくも五月なるらん
(金葉和歌集~国文学研究資料館HPより)


古典の季節表現 五月五日

2013年05月05日 | 日本古典文学-夏

せちは
五月にしくはなし。菖蒲蓬などのかをりあひたるもいみじうをかし。九重の内をはじめて、いひしらぬ民の住家まで、いかでわがもとに繁くふかんと葺きわたしたる、猶いとめづらしく、いつか他折はさはしたりし。空のけしきの曇りわたりたるに、后宮などには、縫殿より、御藥玉とていろいろの糸をくみさげて參らせたれば、御几帳たてまつる母屋の柱の左右につけたり。九月九日の菊を、綾と生絹のきぬに包みて參らせたる、同じ柱にゆひつけて、月ごろある藥玉取り替へて捨つめる。又藥玉は菊のをりまであるべきにやあらん。されどそれは皆糸をひき取りて物ゆひなどして、しばしもなし。御節供まゐり、わかき人々は菖蒲のさしぐしさし、物忌つけなどして、さまざま唐衣、汗衫、ながき根、をかしきをり枝ども、村濃の組して結びつけなどしたる、珍しういふべきことならねどいとをかし。さても春ごとに咲くとて、櫻をよろしう思ふ人やはある。辻ありく童女の、ほどほどにつけては、いみじきわざしたると、常に袂をまもり、人に見くらべえもいはず興ありと思ひたるを、そばへたる小舎人童などにひきとられて、泣くもをかし。紫の紙に樗の花、青き紙に菖蒲の葉、細うまきてひきゆひ、また白き紙を根にしてゆひたるもをかし。いと長き根など文の中に入れなどしたる人どもなども、いと艶なる返事かかんといひ合せかたらふどちは、見せあはしなどする、をかし。人の女、やんごとなき所々に御文聞え給ふ人も、今日は心ことにぞなまめかしうをかしき。夕暮のほどに杜鵑の名のりしたるも、すべてをかしういみじ。
(枕草子~バージニア大学HPより)

五月五日、軒の菖蒲(あやめ)も今年は珍しき樣に葺きたり。菖蒲の御輿かき立てて、殊におもしろし。もとへの女官ども、藥玉の菖蒲持ちて行きかふ。御藥玉の花どもまゐらす。
(中務内侍日記~有朋堂文庫「平安朝日記集」)

五月五日、宮の権大夫時忠のもとより、薬玉まきたる筥のふたに、菖蒲の薄様しきて、おなじ薄様にかきて、なべてならずながき根をまゐらせて、
君が代にひきくらぶればあやめ草ながしてふ根もあかずぞありける
かへし 花たちばなの薄様にて
心ざし深くぞみゆるあやめ草ながきためしにひける根なれば
(建礼門院右京大夫集~岩波文庫)

 あくれば五日のあかつきにせうとたる人ほかよりきて「いづらけふのさうぶはなどかおそうはつかうまつる、夜しつるこそよけれ」などいふにおどろきてしやうぶふくなれば、みなひともおきてかうしはなちなどすれば「しばしかうしはなまゐりそ、たゆくかまへてせん、御らんぜんにもともなりけり」などいへどみなおきはてぬればことおこなひてふかす。昨日のくもかへすかぜうちふきたれば、あやめの香はやうかゝへていとをかし。すのこにすけとふたりゐて天下のきくさをとりあつめて「めづらかなるくすだません」などいひてそゝくりゐたるほどに、このごろはめづらしげなうほとゝぎすのむらどりくそふくにおりゐたるなどいひのゝしるこゑなれど、そらをうちかけりてふたこゑみこゑきこえたるはみにしみてをかしうおぼえたれば「山ほととぎすけふとてや」などいはぬ人なうぞうちあそぶめり。
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

はかなう五月五日にもなりにければ。おほみやよりひめみやにとて。くすだまたてまつらせ給へりそれに
 そこふかくひけどたえせぬあやめぐさちとせをまつのねにやくらべん
御かへし中宮より
 としごとのあやめのねにもひきかへてこはたぐひなのながきためしや。
(略)かみをみればみすのへりもいとあをやかなるに。のきのあやめもひまなくふかれて。こゝろことにめでたくおかしきに。御くすだましやうふの御こしなど。もてまいりたるもめづらしうて。わかき人々けうず。
(栄花物語~国文学研究資料館HPより)

五月四日、夕つかたになりぬればさうぶふきいとなみあひたるを見れば、こぞの今日、何事思ひけん、菖蒲の輿(こし)、朝餉の壺にかきたてて、殿ごとに人々のぼりて隙なくふきしこそみづ野のあやめも今はつきぬらむと見えしか。又の日も空はさみだれたるに、軒のあやめ、雫もひまなく見ゆるに、
 五月雨の軒のあやめもつくづくとたもとにねのみかかる空かな
とのみおぼゆ。
(讃岐典侍日記~岩波文庫)

たかさともねやのまにまにあやめくさけふひきかけぬひとはあらしな
さはへなるみこもかりてはあやめくさそてさへひちてけふやとるらむ
(古今和歌六帖~日文研HPより)

久安百首歌奉りし時 左京大夫顕輔
かくれぬにおふるあやめもけふは猶尋ねてひかぬ人やなからん
(新後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

題不知 貫之
みかくれておふるさ月のあやめ草なかきためしに人はひかなん
(続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

百首歌めされしついてに 太上天皇
あやめ草いつの五月に引そめてなかきためしのねをもかく覧
(続拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

文治六年女御入内屏風に、菖蒲かりたる所、又人家にふきたるかたあり 前中納言定家
あやめ草なかき契りをねにそへて千世のさ月といはふ今日哉
(新続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

寛喜元年女御入内屏風、五月沼江菖蒲宴ところ 前関白
深き江にけふあらはるゝあやめ草年の緒なかきためしにそ引
 入道前太政大臣
幾千世といはかき沼のあやめ草長きためしにけふやひかれん
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

中宮の根合に よみ人知らず逢坂越えぬ
君が代の長きためしにあやめ草千尋(ちひろ)に余る根をぞ引きつる
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

永承六年五月五日殿上根合によめる 良暹法師
つくま江のそこのふかさをよそなからひけるあやめのねにてしるかな
(後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
永承六年殿上にて根合にあやめをよめる 大納言経信
万代にかはらぬ物はさみたれのしつくにかほるあやめなりけり
(金葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

五月五日はしめたる女のもとにつかはしける 小一条院御製
しらさりき袖のみぬれてあやめ草かゝるこひちにおひん物とは
(金葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

同じ日(五月五日)、忍びたる人に
今日とても引きにやは来る菖蒲(あやめ)草人しれぬねはかひなかりけり
(和泉式部続集~岩波文庫)

五月五日女のもとに遣はしける 石清水の秋の大将
思ひつつ岩垣沼に袖ぬれて引けるあやめのねのみなかるる
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

五月五日に人のもとにつかはしける 和泉式部
ひたすらに軒のあやめのつくつくとおもへはねのみかゝる袖かな
(後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

玉鬘の内侍のもとに、ためしにも引き出でつべき根に付けて遣はし侍りける 蛍の兵部卿のみこ
今日さへや引く人もなきみがくれに生ふるあやめのねのみなかれん
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

陽明門院皇后宮と申ける時、ひさしくうちにまいらせたまはさりけれは、五月五日うちよりたてまつらせ給ひける 後朱雀院御製
あやめ草かけしたもとのねを絶て更に恋ちにまとふ比哉
(後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
内にひさしくまいりたまはさりけるころ、五月五日後朱雀院の御返ことに 陽明門院
かたかたに引別つゝあやめ草あらぬねをやはかけんと思ひし
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

絶て久しくとはぬ人に、五月五日、あやめのねにつけてつかはしける人にかはりて 永福門院左京大夫
しられしな憂身かくれのあやめ草我のみなかきねにはなくとも
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

五月五日、雨のいみじう降る日、独り言に
今日はなほあやめの草のねどころも水のみ増さる心地こそすれ
(和泉式部続集~岩波文庫)

男に忘られにける人の、五月五日枕に菖蒲をさしてをきたりけるを見て 赤染衛門
かはくまもなきひとりねの手枕にいとゝあやめのねをやそふへき
(続拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

こもりゐて後、五月五日、菖蒲の根につけて大納言三位につかはしける 従一位兼教
ねをそへて猶こそ忍へあやめ草忘れぬつまのけふのむかしを
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

 五月五日右大将殿よりさうふあはせしたる扇にくす玉をゝきてこれかかちまけさためさせ給へとありしにとのは左大臣におはしましゝかは
左にやたもとのたまも結ふ覧右はあやめのねこそあさけれ
(赤染衛門集~群書類従15)

五月五日、薬玉をつかはすとて 前大納言為定
代々かけて猶こそたのめあやめ草又引人の身にしなけれは
返し 源清氏朝臣
思ふかひなきみこもりのあやめ草引とは何の色にみゆらん
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

五月五日ゐんよりひめぎみの御かたにとて。くすたまたてまつらせ給へり
 このごろをおもひいづれはあやめくさながるゝおなしねにやともみよ。御かへし
 いにしへをかくるたもとはみるごとにいとゞあやめのねこそしげゝれ。
(栄花物語~国文学研究資料館HPより)

五月五日、所々より御かぶとの花・薬玉など、色々に多く参れり。朝餉にて、人々これかれ引きまさぐりなどするに、三条の大納言公親の奉れる、根に露おきたる蓬の中に、ふかきといふ文字を結びたる、糸の様もなよびかに、いと艶ありて見ゆるを、上も御目とどめて、「何とまれ、いへかし」と宣ふを、人々も、およすけて見奉るを、弁の内侍、
あやめ草底知ら沼の長き根にふかきといふや蓬生の露
と、ありつる使ひ、はや帰りにければ、蔵人を召して、殿上より遣はしけり。御返り、公親、
あやめ草底知ら沼の長き根を深き心にいかがくらべん
(増鏡~和田英松「校註 増鏡 改訂版」)

五月五日、世の中今はかくと聞(きこ)えしかば、何の文目(あやめ)もわかれずかきくれたるに、人の許(もと)より白薄様にて、
 沼水に生ふる菖蒲の長き根も君が契りのためしにぞ引く
 掛けなれし袖のうきねは変らねど何のあやめも分(わ)かぬ今日かな
また奥に、
 忘れずは形見とも見よあはれこの今日しも残す水茎のあと
筥の蓋に紅・紫染め分けたる薄様敷きて、薬玉そへらる。返事、
 浅き江に引くや菖蒲のうきねをも長きためしと我や掛くべき
 残し置く形見ときけば見るからに音(ね)のみなかるゝ水茎のあと
(竹むきが記~(岩波)新日本古典文学大系)

陸奥守橘為仲と申。かのくにゝまかりくたりて。五月四日。たちに廳官とかいふものとしおひたるいてきて。あやめふかするをみけれは。れいの菖蒲にはあらぬくさを。ふきけるをみて。けふはあやめをこそふく日にてあるに。これはいかなるものをふくそと。ゝはせけれは。つたへうけ給はるは。このくにゝは。むかし五月とて。あやめふくこともしり侍さりけるに。中将のみたちの御とき。けふはあやめふくものを。いかにさることもなきにかと。のたまはせけれは。國例にさること侍らす。と申けるを。さみたれのころなと。のきのしつくも。あやめによりてこそ。いますこし。みるにも。きくにも。心すむことなれは。ゝやふけとのたまひけれと。これくにゝは。おひ侍らぬなりと申けれは。さりとても。いかゝ日なくてはあらん。あさかのぬまの。はなかつみといふもの有。それをふけと。のたまひけるより。こもと申ものをなん。ふき侍るとそ。むさしの入道隆資と申は。かたり侍ける。もししからは。ひくてもたゆくなかきね。といふうた。おほつかなく侍り。
(今鏡~国文学研究資料館HPより)

 それより出羽国へ越えて、阿古屋の松など見巡りつゝ、陸奥国浅香の沼を過ぐ。中将実方朝臣下(くだ)られけるに、此国には菖蒲の無かりければ、本文に水草を葺くとあれば、いづれも同じこと也とて、かつみに葺きかへけると申伝へ侍るに、寛治七年郁芳門院の根合に藤原孝善が歌に、「あやめ草引く手もたゆく長き根のいかで浅香の沼に生けん」と読るは、此国にも菖蒲のあるにやと、年月不審に覚えしかば、此度人に尋ねしに、「当国に菖蒲の無きにはあらず、されどもかの中将の君下り給ひし時、何のあやめも知らぬ賤(しづ)が軒端には、いかで都の同じ菖蒲を葺くべきとて、かつみを葺かせられけるより、これを葺き伝へたる也」と語り侍しかば、げにもある一義も侍るにや。「風土記」などいふ文にも、その国の古老の伝など書きて侍れば、さる事もやとて記(しる)しつけ侍る也。
(都のつと~(岩波)新日本古典文学大系)

 長谷前々大僧正、五月五日人びとにちまきをくばりけるに、俊恵法師きゝて、そのうちにいるべきよし申つかはすとて、よみける、
  あやめをばほかにかりても葺(ふき)つべしちまきひくなるうちにいらばや
返し、僧正、
  はづかしや院のあやめをゝきながらちまき引(ひく)名の空にたちぬる
(古今著聞集~岩波・日本古典文学大系)

 五月五日、粽(ちまき)を人のもとにやるとて
深沢田(ふかさはだ)みぎはがくれの真菰草昨日あやめに引かされにけり
(和泉式部集~岩波文庫)

 ことしはせちきこしめすべしとていみじうさわぐ。いかでみむとおもふにところぞなき。「みむとおもはゞ」とあるをきゝはさめて「すぐろくうたん」といへば「よかなりものみつぐのひに」とてめうちぬ。よろこびてさるべきさまのことどもしつゝ宵のましづまりたるにすゞりひきよせて手ならひに
あやめぐさおひにしかずをかぞへつゝひくや五月のせちにまたるる
とてさしやりたればうちわらひて
かくれぬにおふるかずをばたれかしるあやめしらずもまたるなるかな
といひてみせんのこゝろありければ宮の御さじきのひとつゞきにて二間ありけるをわけてめでたうしつらひてみせつ。
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

 行幸に並ぶものは、何かはあらむ。
 (略)
 五月こそ、世に知らず、なまめかしきものなりけれ。されど、この世に絶えにたる事なめれば、いと口惜し。昔語りに、人のいふをきき、思ひ合はするに、げに、いかなりけむ。
 ただ、その日は、菖蒲うち葺き、世の常のありさまだにめでたきを、もとのありさま、所々の御桟敷どもに、菖蒲葺きわたし、万づの人ども、菖蒲鬘して、菖蒲の蔵人、かたちよきかぎり選りて出だされて、薬玉賜はすれば、拝して腰につけなどしけむほど、いかなりけむ。夷の家移り、艾などうちけむこそ、烏滸にも、をかしうも、おぼゆれ。還らせたまふ御輿のさきに、獅子・狛犬など舞ひ、あはれ、さることのあらむ、郭公うち鳴き、頃のほどさへ、似るものなかりけむかし。
(枕草子~新潮日本古典集成)

(なまめかしきもの。)
 皐月の節の菖蒲の蔵人。菖蒲の鬘、赤紐の色にはあらぬを、領巾・裙帯などして、薬玉、親王たち・上達部の立ち並みたまへるに、たてまつれる、いみじうなまめかし。取りて、腰にひきつけつつ、舞踏し拝したまふも、いとめでたし。
(枕草子~新潮日本古典集成)

たますだれかけてむかしぞしのばるるおなじあふひのかざしなれども(光経集)

天暦御門かくれ給て、又のとし五月五日に、宮内卿かねみちかもとにつかはしける 女蔵人兵庫
さ月きてなかめまされはあやめ草おもひたえにしねこそなかるれ
(拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

五月五日服なりける人の許につかはしける 小弁
けふとてもあやめしられぬ袂にはひきたかへたるねをやかくらん
(後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

為道朝臣身まかりてのち、五月五日贈従三位為子か許に申をくりける 権中納言公宗母
絶す猶かけてそ忍ふあやめ草引わかれにしけふのうきねを
(続後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
五月五日、為道朝臣身まかりて後、三とせめくりぬるおなし日数も哀にて、前大納言為世につかはさせ給ける 後二条院御歌
けふといへは別れし人の名残よりあやめもつらき物をこそ思へ
御返し 前大納言為世
今日はなをあやめの草のうきねにもいとゝ三とせの露そかはかぬ
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

 楽玉など、えならぬさまにて、所々より多かり。(略)
殿は、東の御方にもさしのぞきたまひて、
  「中将の、今日の司の手結ひのついでに、男ども引き連れてものすべきさまに言ひしを、さる心したまへ。まだ明きほどに来なむものぞ。あやしく、ここにはわざとならず忍ぶることをも、この親王たちの聞きつけて、訪らひものしたまへば、おのづからことことしくなむあるを、用意したまへ」
  など聞こえたまふ。
  馬場の御殿は、こなたの廊より見通すほど遠からず。
  「若き人々、渡殿の戸開けて物見よや。左の司に、いとよしある官人多かるころなり。せうせうの殿上人に劣るまじ」
  とのたまへば、物見むことをいとをかしと思へり。
  対の御方よりも、童女など、物見に渡り来て、廊の戸口に御簾青やかに掛けわたして、今めきたる裾濃の御几帳ども立てわたし、童、下仕へなどさまよふ。菖蒲襲の衵、二藍の羅の汗衫着たる童女ぞ、西の対のなめる。
  好ましく馴れたる限り四人、下仕へは、楝の裾濃の裳、撫子の若葉の色したる唐衣、今日のよそひどもなり。
  こなたのは、濃き一襲に、撫子襲の汗衫などおほどかにて、おのおの挑み顔なるもてなし、見所あり。
  若やかなる殿上人などは、目をたててけしきばむ。未の時に、馬場の御殿に出でたまひて、げに親王たちおはし集ひたり。手結ひの公事にはさま変りて、次将たちかき連れ参りて、さまことに今めかしく遊び暮らしたまふ。
  女は、何のあやめも知らぬことなれど、舎人どもさへ艶なる装束を尽くして、身を投げたる手まどはしなどを見るぞ、をかしかりける。
  南の町も通して、はるばるとあれば、あなたにもかやうの若き人どもは見けり。「打毬楽」「落蹲」など遊びて、勝ち負けの乱声どもののしるも、夜に入り果てて、何事も見えずなりぬ果てぬ。舎人どもの禄、品々賜はる。いたく更けて、人々皆あかれたまひぬ。
(源氏物語・蛍~バージニア大学HPより)

五月五日にもなりぬれば、いとど何のあやめもかひありて、長き例(ためし)の袖に光を宿したる花の姿ども、今日はいま一際(ひときは)心ことなる。一品宮の御方は、紅の薄様に、菖蒲の表着(うはぎ)、撫子の唐衣、女三宮の御方は、撫子に、卯の花の表着、二藍の唐衣、后の御方は、紫の薄様に、朽葉の表着、菖蒲の唐衣、童、下仕まで、みな色を分きて、さまざま見わたさるるに、あなたこなた許されたる人々、御前近う五、六人ばかり候ひて、三宮と二所、御碁など打ちつつおはしますほどに、(略)
 花橘に二藍の御表着、若菖蒲の三重(みへ)の織物の御唐衣奉りて、うちやられたる御袖のかかる御衣(ぞ)の裾まで、言へばえにたをたをと身にもしむばかりにて、御ぐしは、取る手もすべるばかりつやつやときらめきかからせ給へる御後ろ手、裾のそぎ目の、まことに五重の扇とかやを広げたらんやうなるも、こちたう、はなばなとうつくしきのみならず、たをたをと心苦しき方の、何ごとにつけても、なほしもすすませ給へるは、げに何と言ひ続くべしとも覚えず、(略)
御几帳にいと長き根のかかりたるを御手にすさみせさせ給ひつつ、
 あやめ草引き別れにしそのままに長き根のみぞ袖にかかれる
(返歌等略)
菖蒲がさね、朽葉の御表着、撫子の御唐衣、御子たちと聞こえんにあかぬことなけれど、にほひやかになどは殊におはしまさず、一筋に気高きばかりにて、あてになまめかしき方はものし給はず。二位中将は、宮の御供に参り給へりつる、御几帳の際なる庇のおましに候ひ給うつる、けはひより始めて、にほひ有様ぞ目もあやにめでたきや。二藍の薄物の直衣に、撫子の織物の指貫、青朽葉の生絹(すずし)の衣(きぬ)、紅の単衣、千入(ちしほ)に色深く着なし給へり。(略)
中将もこなたより出で迎ひきこえ給ふ。大将、これも色濃き直衣、紅の生絹の衣、白き単衣、はなばなとあたりを払ひたる御にほひ有様は、殊に光を放ち給へるさまは、さらに並びきこゆべき人なし。(略)
やうやう日も暮れつ方になるに、久しくかやうのことなかりつるをとて、御琴ども召して、宮たちに奉らせ給ふ。(御遊の記述は略)
 五月雨のなごり、曇らはしかりつる空晴れわたりて、夕月夜はなやかにさし出でて、軒のあやめの香りしめやかに、吹き入るる追ひ風の冷やかに、秋よりも身にしむ心地するに、物の音もいよいよ澄みのぼりて、尋ねよる松の響きも雲居に通るばかりなるを、あかぬほどにてやみぬるなごりもいとなかなかなり。
(いはでしのぶ~「中世王朝物語全集4」笠間書院)

比は五月の五日の片夕暮許也。頼政(よりまさ)は木賊色の狩衣に、声華に引繕て参上、縫殿の正見の板に畏て候ず。(略)
菖蒲(あやめ)が歳長色貌少も替ぬ女二人に、菖蒲(あやめ)を具して、三人同じ装束同重になり、見すまさせて被出たり。三人頼政(よりまさ)が前に列居たり。梁の鸞の並べるが如く、窓の梅の綻たるに似たり。頼政(よりまさ)よ其中に忍申す菖蒲(あやめ)侍る也、朕占思召(おぼしめす)女也、有御免ぞ、相具して罷出よと有綸言ければ、頼政(よりまさ)いとゞ失色、額を大地に付て実に畏入たり。思けるは、十善の君はかりなく被思食(おぼしめさるる)女を、凡人争か申よりべかりける。其上縦雲の上に時々なると云とも、愚なる眼精及なんや、増てよそながらほの見たりし貌也、何を験何ぞなるらん共不覚、蒙綸言不賜も尾籠也、見紛つゝよその袂(たもと)を引きたらんもをかしかるべし、当座の恥のみに非、累代の名を下し果ん事、心憂かるべきにこそと、歎入たる景色顕也ければ、重て勅諚に、菖蒲(あやめ)は実に侍るなり、疾給(たまひ)て出よとぞ被仰下ける。御諚終らざりける前に、掻繕ひて頼政(よりまさ)かく仕る。
  五月雨に沼の石垣水こえて何かあやめ引ぞわづらふ
と申たりけるにこそ、御感の余に竜眼より御涙(おんなみだ)を流させ給ながら、御座を立たせ給(たまひ)て、女の手を御手に取て、引立おはしまし、是こそ菖蒲(あやめ)よ、疾く汝に給也とて、頼政(よりまさ)に授させ給けり。是を賜て相具して、仙洞を罷出ければ、上下男女歌の道を嗜ん者、尤かくこそ徳をば顕すべけれと、各感涙を流けり。
(源平盛衰記~バージニア大学HPより)

五日の申の時計に垂井の宿(しゅく)に着く。今日は南宮の祭とて見物の輩(ともがら)、物騒がしく立ちさまよひけり。風流の山傘などありとかや。昔のごとくならば此所に遊女などあるべきにや。杜牧が「玉簾十里揚州路」と言へる事を思ひなずらへ侍りて、
  あさはかに心なかけ玉簾垂井の水に袖も濡れなん
 又軒に菖蒲(あやめ)を葺きわたす事、都にも変らざりければ、
  我宿の端(つま)にはあらぬ菖蒲草今夜仮寝に片敷きの床
(藤河の記~(岩波)新日本古典文学大系)

(弘仁十四年五月)戊午(五日)
天皇が紫宸殿に出御して、侍臣と宴を催した。中務省が所司を率いて常のごとく邪気を払う菖蒲(しょうぶ)を献じた。日暮れて、身分に応じて禄を下賜した。
(日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(嘉祥二年五月)戊午(五日)
天皇が武徳殿に出御して、騎射(うまゆみ)を観覧した。六衛府が旗じるしを掲げ、百官が座につき、勅により王文矩らも宴に陪侍した。天皇が次のように詔した(宣命体)。
 天皇が仰せになるお言葉を、渤海使節らが承れ、と申し聞かせる。五月五日に邪気を払う薬玉を身につけ、酒を飲む人は長寿で福に恵まれると聞いている。そこで薬玉を賜い、御酒(みき)を下さる、と申し聞かせる。
(続日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(長保五年五月)五日、甲申。
左府の許に参った。「端午の日には、必ず馬走(うまはしり)を見る」と云うことだ。そこで相府(道長)は馬を見られた。また、内裏でも御馬御覧が行なわれた。
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)

(寛弘二年五月)五日、壬子。
糸所(いとどころ)の者が薬玉を持って来た。禄を下賜した。「中宮(藤原彰子)から賀茂斎院(選子内親王)に薬玉を献上された」ということだ。(略)
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

五月小
四日 戊寅。暁陰 晩ニ及デ、将軍家ヨリ、昌蒲、御枕、〈金銀ヲ鏤ム〉、并ニ御扇等ヲ公家ニ調ヘ進ゼラルト〈云云〉。件ノ御枕ハ、六位ノ定役トシテ、調進スル者ナリ。而シテ御進物ヲ求メラルルノ次ニ依テ、此ノ如シト〈云云〉。
(吾妻鏡【嘉禎四年五月四日】条~国文学研究資料館HPより)

四日 辛巳 今年端午ノ良辰、壬午ニ当ル。必ズ御謹慎有ルベキニ依テ、御勘文、〈故諸陵頭賀茂ノ時定撰ブ〉 一通、并ニ三種ノ神符ノ御護等、 仙洞ヨリ、密密ニ進ゼラル。是レ則チ黄帝ノ秘術ナリト〈云云〉。
去ヌル夜、女房ノ中ニ到来シ、今朝内内進賢スト〈云云〉。
勘文ニ云ク
 五月五日丙午壬午ニ当ル年、端午ノ神符ヲ作リテカクレバ、命百年ヲタモツ事
右本文ニ云ク、五月五日丙午壬午ニ当ル年、赤キ紙ヲモチテ、神符ヲ作リテ、カクレバ、寿百歳ナリ。件ノ神符ト云フハ、三徳ナリ。
一ツニハ、辟兵ノ符、此ノ符ヲカクレバ、鉾矢ノ難ヲ、ノガレ、敵人ヲ亡ボシ、我ガ身ニ向フモノハ、ヲノヅカラホロブ。二ツニハ、破敵ノ符、此ノ符ヲカケヌレバ、敵人アヘテヲコラズ。タトヒ弓箭刀兵、我ガ身ニ向フトイヘドモ、害ヲナス事ナシ。皆悉ククダケヲル。三ツニハ、三台護身ノ符、此ノ符ヲカクレバ、三災九厄ノ病難ヲ、ノゾク。三災トハ、盗賊、疾病、飢饉ナリ。此ノ三難ニアヘドモ、一切恐レナシ。皆悉ク消除ス。九厄トハ、諸諸ノ厄難ヲノゾク事ナリ。凡ソ此ノ三種ノ神符ヲ造リテカクレバ、短命ノ者ハ、命ヲ百年ニノベ、敵人有ルモノハ、敵人ヲ亡シテ、我ガ身ハ、ツヅカナク、諸諸ノ厄難ニ逢ヒグラン人ハ、厄難ヲ消除シ、禍殃ヲ、ノゾク事ハ、此ノ神符ノ力ニハ、シカジ。故ニ先例、皆此ノ日ニ当ルゴトニ、此等ノ符ヲ書キテ、御マモリニ用ヒラル。今年ノ五月五日ハ、既ニ壬午ニ当ル。仍テ先例ニマカセテ、公家ニヲコナハルル、誠ニ尤モ此ノ符ヲカケサセ給フテ、百年ノ御寿命ヲ、タモタセ給ヒ候フベク候フ。仍テ注進件ノ如シ。
(吾妻鏡【建長五年五月四日】条~国文学研究資料館HPより)

五月小。五日己酉。晴。鶴岡ノ神事例ノ如シ。越後守〈束帯〉奉幣ノ御使タリ。今日、端午節ヲ迎フ。御所ニ於テ和歌ノ御会有リ。題ハ菖蒲ヲ翫ブ、郭公ヲ聞ク。陸奥ノ式部大夫、相模ノ三郎入道、源ノ式部大夫、後藤ノ大夫判官、伊賀ノ式部大夫入道、波多野ノ次郎経朝、都筑ノ九郎経景等参ズ。両国司披講ノ座ニ候シ給フ。
(吾妻鏡【天福元年五月五日】条~国文学研究資料館HPより)