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古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

古典の季節表現 一月 大饗(二宮大饗、大臣大饗)

2024年01月31日 | 日本古典文学-春

かうてびはどのゝみやには。廿二日のよさり廿三日のあかつきなどにぞさとの人++まいりこむ。廿二日にしんでんのひがしのたいなどの御装束。くはんばくどのゝ大饗にごとにかはるべきにはあらねど。御ひきでもののほどかはる。(略)
かやうにてなみゐたる人のありさま。いはんかたなうおとろ++し。ひつじのときばかりに。かんたちめまいりあつまり給。おほかたのそらははれたれど。ゆきうちゝりていみじうおかしうみえたるに。おまへのすなごえもいはずおもしろきに。やりみづなどのをともおかしきほどに。ながれたるに。とのばらなどのまいり給。さるべ き御随身などの。いみじうつぎ++しきさまして。中門のほどにゆづえつきてゐたるほどなど。たゞゑにかきたるとみゆ。(略)
みな御しとねにゐ給て。きたむきにゐさせ給へれば。御したかさねのしりどもはかうらんにうちかけつゝゐさせ給へりかいねりかさねやなぎさくらゑいそめわかうおはする。とのばらはかうばいなとにてもき給へり。いろ++にみえかゝやきてりわたりたるほど。いみじうおかしおはしましゐて。このみすぎはを。たれも御らんじわたせば。このにようばうのなりどもはやなぎさくら。やまぶきかうばいもえぎのいついろをとりかはし。つゝひとりに三いろつゞをきさせ給へるなりけり。ひとりはひといろをいつゝみいろきたるは十五づゝあるは六づゝ七づゝおほきたるは十八廿にてぞありける。このいろ++をきかはしつゝなみゐたるなりけり。あるはからあやをきたるもあり。あるはをりものかたもんうきもんなどいろいろにしたがひつゝぞきためる。うはぎはいつへなどにしたり。あるはやなぎなとのひとへはみなうちたるもあめり。からきぬどものいろみなまたこのおなしいろともをともかはしつゞきたり。もはみなおほうみなり御きちやうども。かうばいもえぎさくらなとのすそにて。みなゑかきたり。ひもどもあをくてかゝやけり。このひとへはみなあをばなりけり。(略)
このとのばらのかほりにほひさま++めでたくふきいるゝに。またうちには梅花をえもいはずたきいで給。けふの侍従は左右大臣にもまさりぬべくなん。人++おほされける。おまへには。ひんがしのらうのまへのかたに。やゝにしにいでゝかく人どもゝ候。おまへのひたきやのもとの。むめの人しげきけはひのかぜにちりくるかほりもめでたし。れいのさほうのがく人四人づゝいきて。まんざいらく。たいへいらくなどまふほどいみじうおもしろし。がくのをとなどもおりからにやすぐれて。めてたうきこえたり。かく人どもおまへのかたのみぎはをうちまほ。かくあくるこゝちもおくありて。ものゝねいとおもしろし。(略)
とのばらいまは御あそびになりて。いみじうおかしきに。夜にいりたり。ものゝねどもこゝろことなり。御かはらけに。はなかゆきかのちりいりたるに。中宮大夫うち誦し給。梅花帯雪飛琴上柳色和煙入酒中又たれその御こゑにて御かはらけのしげゝれば。一盞寒燈雲外夜数盃温酎雪中春など御こゑどもおかしうての給にほひにかけふはばんぜい。せんしうをぞいふべきなどの給ふもあり。さま++おかしくみたれ給。(略)
(栄花物語~国文学研究資料館HPより)

 久寿二年正月十七日、左大臣殿の大饗の次(ついで)に、仰せて云はく、「故大殿の仰せて云はく、「晴には紫緂(むらさきだん)の平緒(ひらを)を用ゐるべきなり。誠に美云、はればれしき物なり」と仰せありき。宇治殿は、紺地の平緒を好ましめ給ひけり。度々の大饗に定めて用ゐしめ給へるか。御記を御覧ずべきなり。今度紺地何事あらんや。今度は金樋の葦手(あしで)の御剣に、紺地の葦手の御平緒を用ゐしめ給ふべきなり」てへり。
(富家語~岩波・新日本古典文学大系32)

大臣の大饗は、さるべき所を申しうけて行ふ、常の事なり。宇治左大臣殿は、東三條殿にて行はる。内裏にてありけるを、申されけるによりて、他所へ行幸ありけり。させることのよせなけれども、女院の御所など借り申す、故實なりとぞ。
(徒然草~バージニア大学HPより)

 仁平元年十二月八日。夜、御前に祗候(しこう)す。御物語に云はく〔時に宇治小松殿なり〕、「母屋(もや)の大饗には、鷹飼をもつて見物(みもの)となすなり。鷹を飛ばしむる事は二度なり。一度は殿の幔門(まんもん)を出づる時飛ばしめて、鈴の声を聞かしむるなり。その後、南庭を渡りて床子(さうじ)に居て、酒飲みて後、立ちて歩まむとする時、また飛ばしむるなり。
 法興院の大饗には、東の山より狩りて参入しけり。築垣(ついがき)の上より見越して見えけり。件(くだん)の儀にやあらん、長元(ちゃうげん)の高陽院の大饗には、滝の上の山穴を鷹飼は出でて渡りける。
(中外抄~岩波・新日本古典文学大系32)

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古典の季節表現 春 菫(すみれ)

2021年03月30日 | 日本古典文学-春

山吹の咲きたる野辺のつほすみれこの春の雨に盛りなりけり
(万葉集~バージニア大学HPより)

はるくれは-たゐにまつさく-つほすみれ-みれともあかぬ-きみにもあるか
(古今和歌六帖~日文研HPより)

嘉承二年后の宮の歌合に、菫をよめる 源顕国朝臣 
道遠み入野の原のつほ菫はるの形見につみて帰らん 
(千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

はるさめのふるののみちのつぼ菫つみてをゆかん袖はぬるとも
(拾遺愚草~久保田淳「藤原定家全歌集・上」)

 杜間菫菜 慈鎮
なつかしくにほふすみれの色はへてうすみどりなる杜の下草
 閑庭菫 師兼
さけばとて誰かはここにこむらさきひとりすみれの色ぞかひなき
 故郷菫菜 後京極
春の野をすみれ摘みにときてみればなれこし宿のまがきなりけり
(摘題和歌集~古典文庫528)

 すみれをよめる
春の野に咲すさみたるつほ菫つみゝつますみ今日も暮しつ
(林葉和歌集~群書類従15)

まつかけに-さけるすみれは-ふちのはな-ちりしくにはと-みえもするかな
(長秋詠藻~日文研HPより)

人々に百首歌めされけるついてに、菫菜をよませ給うける 崇徳院御製 
あれはてゝさひしき宿の庭なれはひとりすみれの花そ咲ける 
(新続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

ふるさとの-のきはのしたを-きてみれは-ひとりすみれの-はなさきにけり
(為忠家初度百首~日文研HPより)

(略)遠き山のはそこはかとなく霞つゝ野辺のけしき青みわたり芝生の中に名もしらぬ花ともすみれにましり色ゝさきて雲ゐの雲雀姿も見えすさえつりあひたるさまともいはんかたなし
(松帆浦物語~バージニア大学HPより)

我が宿に一と本植ゑし菫草今は春べと咲き初めぬらん
つぼ菫咲くなる野邊に鳴く雲雀聞けどもあかず永き春日に
(良寛歌集~バージニア大学HPより)

山城のいは田の小野の朝露に袖はまかせて菫つみけり
霞たち日もなが岡のつぼすみれ摘めどもあかず今一夜ねむ
いかにせむ野べの仮寝はならはぬを岩田の菫つみ残しつる
(千々廼屋集~校註国歌大系19)

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古典の季節表現 春 三月 御燈

2021年03月03日 | 日本古典文学-春

三月一日、ごとうの御神事に、きやうぶくにて仁壽殿のつまの局にわたりゐたりしに、左衞門の陣むきなれば、東三條の木ずゑも、ちかくみえわたされて、いとおもしろし。けふは陣に公事ありて、經光の宰相・頭中將・頭辨もまゐり、たきぐちどもしたがひてみゆるもをかし。宗雅・光國なども參る。花もさかりにいとおもしろきに、をりしも大宮大納言參り給ふ。なほしすがた常よりも心ことに、にほひ深くみえたまひしかば、辨内侍〔あをかりぎぬきたる人ぞ御ともにはありし。〕、 
花の色にくらべて今ぞ思ひしる櫻に増る匂ひ有りとは
(弁内侍日記~群書類從18)

(長和二年三月)一日、壬辰。
早朝、鴨川に出て、御燈を奉らない由の解除(げじょ)を行なった。女方(源倫子)も、同じく解除を行なった。(略)
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(寛仁元年二月)三十日、己亥。
内裏から、夜に入って退出した。女房も同行した。蔵人(平)範国が来て、申して云ったことには、「御燈の御卜(みうら)は、例年は明日、宮主(みやじ)が御厨子所に参って奉仕します。ところが明日は、子の日に当たります。そこで今日、宮主を召させましたところ、『伊勢国に下向している』ということです。如何いたしましょうか」と。私が仰せて云ったことには、「他の官人を召して奉仕させよ。もし今夜、召しても出てこなかったならば、二日に奉仕させよ」と。
(寛仁元年三月)一日、庚子。
鴨川に出て、解除(げじょ)を行なった。御燈を奉らない由の解除であった。
二日、辛丑。
時々、雨が降った。(略)(平)範国が、御燈の御卜(みうら)の占文(うらぶみ)を持って来た。申して云ったことには、「昨日、中宮の宮主(みやじ)が、御卜の占文を持って来ました。神祇祐(卜部)兼忠の語ったことによって、二月末に神祇官において奉仕しました」ということだ。私が命じていたことには、「御厨子所によいて卜占させよ」と。ところが、すでに神祇官において卜し申してしまった。「再び卜占を行なうというのは、具合が悪いことです。この卜占によるべきでしょう」ということだ。(略)
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

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古典の季節表現 春 闘鶏・鳥合

2021年03月03日 | 日本古典文学-春

さくはなも-なくうくひすも-はるはなほ-とりあはせたる-ころにもあるかな
はるさめの-なこりのにはに-ぬるとてや-あはするとりの-みのけたつらむ
(為忠家後度百首~日文研HPより)

「三日の御鳥あはせに、ことしは女房のもあはせらるべし。」ときゝしかば、わかき女房たち、心つくしてよきとりども尋ねられしに、宮内卿のすけどのは、「爲教の中將がはりまといふ鳥をいださん。」などぞありし。萬里小路大納言のまゐらせられたるあかとりの、いしとさかあるがけいろもうつくしきをたまはりて、あきつぼねにほこらかしておきたるを、もりありといふ六位が、「そのとりきとまゐらせよ。」といふ。かまへてとりなどにあはせらるまじきよし、よく\/いひてまゐらせつ。とばかりありて、かためはつぶれ、とさかよりちたり、をぬけなどして、見わするほどになりてかへりたり。おほかた思ふばかりなし。「今はゆゝしき鳥ありとも、なにゝかはせん。たまはりの鳥なれば、きくもいみしらむとこそ思ひしに。」など、かへす\〃/こゝろうくて、辨内侍、 
われぞ先ねにたつばかりおぼえけるゆふ付け鳥のなれる姿に 
三日、御鳥合なり。御所もひろ御所へいでさせおはします。冷泉大納言・萬里の小路大納言・左衞門督・三條中納言〔公親〕・頭中將〔公保〕・伊與中將〔公忠〕・すけやすの中將、藏人はのこりなし。はつゆきなるあか〔みイ〕こくろなどいふ鳥ども、かねてよりふせごにつきて、おの\/あづかりて、丁子・じやかうすりつけ、たきものなどして、「いづれかにほひうつくしき。」とぞあらそひし。みすのうちより出だされしかば、萬里小路の大納言たまはりて、あはせられし。ゆゝしかりし君なり。ひよ\/より御所に御手ならさせおはしまして、かひたてられしいみじさばかりにてこそ侍れ。御とりがらはあやしげなれば、「かたせん。」とて、それよりおとりたる鳥どもにあはせられしもをかし。公忠・公保がとりあはせしをり、「伊與中將がとり、そらおとりする。」とて人々わらひしに、冷泉大納言、「ひさかたのそらおとりこそをかしけれ。」とのたまへば、公忠「さこそ。」といひたりし、をかしくて、辨内侍、 
雲ゐとはなれさへしるや久かたの空おとりする鳥にも有る哉 
(弁内侍日記~群書類從18)

廿八日、庚子、早旦参内、於殿上小庭御覧闘鶏、数剋無勝負、各可謂翹楚之歟、今夕宿仕、
(中右記・嘉保1年1月28日条~東京大学史料編纂所データベース・古記録フルテキストデータベースより)

十三日、甲申、終日候御前、依当番供朝夕膳、終日有闘鶏興、困幡守長実(藤原)所献黒鳥已負了、頗雖異物無雄飛興歟 、(略)
(中右記・嘉保1年3月13日条~東京大学史料編纂所データベース・古記録フルテキストデータベースより)

保延元年三月三日丙子、女院有鬪鷄事、左方限合之、{摸臨時祭方}右頭經宗、依病不參之故也、 ○按ズルニ、三月三日鬭鷄ノ事ハ、遊戲部物合篇ニ詳ナリ、
(長秋記~国文学研究資料館HPの古事類苑データベースより)

(保元三年)二月十三日。於弘徽殿壺有闘鶏事。月卿雲客為左右念人。有勝負舞。
(百錬抄~新訂増補 国史大系11)

(宝治元年三月)三日 丙辰 営中ニ、闘鶏ノ会有ルナリ。此ノ間、若狭ノ前司等、聊カ喧嘩ス。 
(吾妻鏡【宝治元年三月三日】条~国文学研究資料館HPより)

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古典の季節表現 春 二月上卯日 大原野祭

2021年02月11日 | 日本古典文学-春

きさらきやけふ神まつる小鹽山はやかけそへよ花のしらゆふ
(年中行事歌合~群書類従6)

 大原野祭の日、さかきにさして女の許につかはすとて 伊尹 
おほはらの神もしるらむわかこひはけふ氏人の心やらなむ
 返し 読人不知
さか木はの春さす枝のあまたあれはとかむる神もあらしとそおもふ
(拾遺和歌集~日文研HPより)

《卷三仁寿元年(八五一)二月乙卯【十二】》○乙卯。別制大原野祭儀。一准梅宮祭。
(日本文徳天皇實録~「増補 六国史 8』朝日新聞社、昭和15年)

《卷二十一貞觀十四年(八七二)二月三日癸卯》○二月辛丑朔三日癸卯。大原野祭如常。使等不歌舞。
《卷四十九仁和二年(八八六)二月五日乙卯》五日乙卯。大原野祭如常是日。辰時、日上有冠、左右成珥。
(日本三代實録~「増補 六国史 9』朝日新聞社、昭和15年)

(寛弘二年二月)一日、己卯。
一日中、雨が降った。例年のように大原野祭に神馬使を出立させた。(略)
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(寛元四年二月)七日丁卯。大原野祭也。辰時同社釜吠。其声遥聞云々。今日釈奠也。権中納言公光卿参入。依当大原野祭。上卿無庿拝云々。(略)
(百錬抄~「新訂増補 国史大系11」)

十二日、大原野祭なり。雨うちそゝぎ霞めるに、まだ見ぬ里とめづらしく見ゆれば、桂川などいふ所も過ぎて、「西山とこそ申せ。」といふ。 
こころぼそくつねに慕ひてながめせしこれや日の入る西の山本
宮にまゐり著きぬれば、辨、上卿つきて事ども行ふ。几帳さして、御前にまゐりて見れば、四所(よつどころ)の御戸(みと)ひらきて、西の御帳に、太刀を横ざまにすぢかへたるやうにつけて、扉の脇に矛立てたり。日暮るれば、いとめづらかに尊(たふと)し。果てぬれば歸るに、雨も時々猶そゝぐものから、夕日のかげに、影もすこし見えつるに、又ありつる桂川にもなりぬ。鵜舟も二三あり。橋の下行くやうにて、さしとゞめたるに、綱手引くやうに、人二人ばかり綱を引きてさきにあり。車の通れば、綱を水に沈めて、 
かつら川くだす鵜舟の綱手なはしづむるはてよ如何になりなむ
(中務内侍日記~岩波・新日本古典文学大系)

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