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古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

古典の季節表現 十一月下酉日 賀茂臨時祭

2013年11月30日 | 日本古典文学-冬

 賀茂の臨時の祭。
 空のくもり、寒げなるに、雪すこしうち散りて、挿頭の花・青摺などにかかりたる、えもいはずをかし。太刀の鞘の、きはやかに黒う、まだらにて、広う見えたるに、半臂の緒の、瑩したるやうにかかりたる、地摺の袴のなかより、「氷か」と、おどろくばかりなる打ち目など、すべて、いとめでたし。
 いま少し多く渡らせまほしきに、使は、かならずよき人ならず。受領などなるは、目もとまらず、憎げなるも、藤の花に隠れたるほどは、をかし。
 なほ、過ぎぬるかたを見送るに、陪従の、品おくれたる柳に、挿頭の山吹、わりなく見ゆれど、泥障いと高ううち鳴らして、
 「神の社の木綿襷」
と唱ひたるは、いとをかし。
(枕草子~新潮日本古典集成)

十二月五日、臨時祭なり。使は花山院宰相中將、清凉殿に出御なる。麹塵(きくぢん)の御袍(ごはう)、躑躅の御下襲、御簾に殿下御まゐりあり。御(おん)神馬(しんめ)引き立てて、使まゐりて、御幣とれば、御拜(ごはい)ありて入らせ給ひて、御椅子(ごいし)に御(おん)尻かけさせ給ふ。使、舞人ども座につく。中門の下に公卿著きたり。勸杯(けんぱい)三獻果てぬ。かざしの公卿、内大臣、左大將、權大納言、花山院中納言、大炊御門(おほゐのみかどの)中納言、久我中納言、皇后宮權大夫、ざしきに子細ありて、殿上ばかりにて著座なし。洞院(とうのゐんの)宰相中將、左大辨宰相、巳の時に催されて、舞人ども疾くまゐりたれども、儀式とうも久しくて日も暮る。勸杯果てぬれば、内大臣殿、使のかざし藤をとりて、冠(かうぶり)にさゝせ給ふ。つらにまがはぬかざしの色も、おもしろく、世の初にて、公卿の使よろづ映えばえしきにも、雨雪のさはりだになくて、長閑にめでたし。神もめづらしとや受け給ふらむ、と覺えて、
いろふかき雲井の藤をかざしにて神もうけみるつかひなるらむ
かざし果てぬれば、簀子に著座、舞人ども、左右に立ちて行きちがふ青摺(あをずり)の袖口をかし。主殿寮の立明(たちあかし)の光に見えたる、いひつくすべうもなし。笛のおと、和琴の音もをかしう聞ゆ。北陣(きたのぢん)わたさるゝに、長橋のつまに行幸なる。果てぬれば、やがて御拜あり。かくて更けぬるに、やがて還立ちなれば、この度は御引直衣にて出でさせ給ふ。庭火のかげに、舞人の櫻かざして、人長(にんぢゃう)が拍子にあはせたる足蹈(あしぶみ)、和琴の音すごく、やうやう明け行く空の光かきあひて、いひ盡すべうもなく面白し。
(中務内侍日記~有朋堂文庫「平安朝日記集」)

 りんじのまつり明後日とてすけにはかにまひびとにめされたり。これにつけてぞめづらしきふみある。「いかゞする」などているべきものみなものしたり。試楽の日あるやう「けがらひのいとまなるところなればうちにもえまゐるまじきを、まゐりてみいだしたてんとするをよせ給ふまじかなればいかゞすべからんといとおぼつかなきこと」とあり。むねつぶれて、いまさらになにせんにかとおもふことしげければ「とくさうぞきてかしこへをまゐれ」とていそがしやりたりければまづぞうちなかれける。もろともにたちてまひひとわたりならさせてまゐらせてけり。
まつりの日「いかゞはみざらん」とていでたれば、まくのつらになでふこともなきびりやうげしりくちうちおろしてたてり。くちのかた、すだれのしたよりきよげなるかいねりにむらさきのおりものかさなりたる袖ぞさしいでためる。をんなぐるまなりけりとみるところに、くるまのしりのかたにあたりたる人のいへのかどより六位なるものゝ太刀はきたるふるまひいできてまへのかたにひざまづきてものをいふにおどろきて目をとゞめてみればかれがいできつる。くるまのもとにはあかき人くろき人おしよりてかずもしらぬほどにたてりけり。よく見もていけばみし人々のあまたなりけりと思ふ。れいのとしよりはこととうなりてかんだちめのくるまかいいりてくるものみなかれをみてなるべしそこにとまりておなじところにくちをつどへてたちたり。我が思ふ人にはかにいでたるほどよりは、とも人などもきらきらしうみえたり。かんだちめ手ごとにくだものなどさしいでつゝものいひなどし給へばおもだゝしき心ちす。またふるめかしき人もれいのゆるされぬことにて山ぶきのなかにあるを、うちちりたる中にさしわきてとらへさせてかのうちよりさけなどとりいでたればかはらけさしかけられなどするをみればたゞそのかたとき許やゆく心もありけん。
(蜻蛉日記~岩波文庫)

右大臣恒佐家屏風に、臨時祭かきたる所に つらゆき
あし引の山ゐにすれるころもをは神につかふるしるしとそおもふ
(拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

文治六年女御入内屏風に、臨時祭かける所をよみはへりける 皇太后宮大夫俊成
月さゆるみたらし川にかけみえて氷にすれる山あゐの袖
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

冬の賀茂のまつりのうた 藤原としゆきの朝臣
ちはや振かもの社のひめこ松よろつ世ふとも色はかはらし
(古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

貞和元年十一月、臨時祭の行事舞人にて同し社にまうてける時、雪のふりかゝりけれはよめる よみ人しらす
はらはてもかへりたちなむをみ衣神のめくみにかゝる白雪
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

賀茂臨時祭をよみ侍ける 法成寺入道前摂政太政大臣
いかなれはかさしの花は春なからをみの衣に霜のをくらん
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

賀茂臨時祭の舞人つとめける時、社頭にて読侍ける 前左兵衛督為成
山あゐの袖の月影さ夜更て霜吹かへす賀茂の河風
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

臨時祭社頭より帰りまいりけるに、かたへの舞人に雪のふりかゝりけるをみてよめる 藤原永光
うちはらふ衣の雪の消かてにみたれてみゆる山あひの袖
(続後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

臨時祭還立の御神楽をよみ侍ける 兵部卿成実
立かへる雲ゐの月もかけそへて庭火うつろふ山あゐの袖
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

 十一月加茂臨時祭みる車
ちはやふるかもの河霧きるなかにしるきはすれる衣也けり
(源順集~群書類従14)

 賀茂の臨時の祭は、還立の御神楽などにこそ、慰めらるれ。庭燎の煙の細くのぼりたるに、神楽の笛のおもしろく、わななき吹きすまされてのぼるに、歌の声も、いとあはれに、いみじうおもしろし。寒く冴え凍りて、擣ちたる衣もつめたう、扇持ちたる手も、「冷ゆ」ともおぼえず。才の男召して、声引きたる人長の心ちよげさこそ、いみじけれ。
 里なる時は、ただ渡るを見るが飽かねば、御社までいきて、見るをりもあり。大いなる木どものもとに、車を立てたれば、松明の煙のたなびきて、火の影に、半臂の緒・衣の艶も、昼よりはこよなうまさりてぞ見ゆる。橋の板を踏み鳴らして、声合はせて舞ふほども、いとをかしきに、水の流るる音・笛の声など合ひたるは、まことに神も「めでたし」と、おぼすらむかし。
(枕草子~新潮日本古典集成)

 十一月、賀茂の臨時の祭、清涼殿にて行はる。御禊果てて、庇の御簾の際(きは)に、御倚子につかせ給。蔵人頭、上達部を召せば、長橋のうちの座につく。使以下、滝の戸より参りて庭の座につく。上卿勧盃(けむぱい)ありて、使以下に御酒(みき)賜(た)ぶ。重ね土器(かはらけ)あり。公卿、挿頭(かざし)を取りて使・舞人にさして後、簀子につく。事果てて神垣に引連れし程、庭火のかげもしめりはてぬ。峰の横雲しらみゆく空に、返立の山藍の袖ども、しほれはてて見ゆ。御引直衣・御物具(ものゝぐ)、御倚子におはします御さま、明けゆく光にいとゞしくぞ見えさせ給。雪時どきうち散りて、立ち舞ふ袖もいとゞしほれはててぞ見え侍し。
  雪や猶かさねて寒き朝ぼらけ返す雲井の山藍の袖
(竹むきが記~新日本古典文学大系)

 この左馬権頭、賀茂の臨時祭の舞人なりけるに、暁、使ひなりける人をうち具して、還立(かへりだち)にまゐりけるに、雪いたく降りて、袖にたまりたりけるを見て、
  あをずりの竹にも雪はつもりけり
 と言ひたりけるに、使ひなりける人は付けざりければ、秦兼任、人長(にんぢやう)にてうち具してけるが、馬を打ち寄せけしきばみければ、「兼任が付けたるとおぼゆるぞ」と言はれて、「下臈はいかでか」とはばしくいひけるを、なほ責め問はれて、
  色はかざしの花にまがひて
 と付けたりける、まことに兼久、兼方などが子孫とおぼえて、いとやさしかりけり。
(今物語~講談社学術文庫)

賀茂の臨時の祭歸り立の御神樂土御門内裏にて侍りけるに竹のつぼに雪のふりたりけるを見て
うらがへす小忌の衣と見ゆるかな竹のうら葉にふれるしら雪
(山家和歌集~バージニア大学HPより)

朝倉やかへすがへすぞ恨みつるかざしの花の折知らぬ身を
(建礼門院右京大夫集~岩波文庫)

賀茂臨時祭の使にたちてのあしたに、かさしの花にさして、左大臣の北方のもとにいひつかはしける 兵衛〈参議兼茂女〉 
ちはやふるかもの川辺の藤なみはかけてわするゝ時のなき哉
(拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

 藤中将仲忠、臨時の祭の使に出で立つとて、 
  「夕暮れの頼まるるかな逢ふことを賀茂の社も許さざらめや
神の御慮も見たまへに、今参り来む」と聞こえたまへり。あて宮、「めざましや」などのたまひて、
  「榊葉の色変はるまで逢ふことは賀茂の社も許したまはじ
神も同じ心にや」とのたまふ。
(うつほ物語~新編日本古典文学全集)

 右大将通房、臨時祭の舞人せられけるに、宇治殿にて拍子合ありけるに、人々まいりあつまりて、舞の師武方に纏頭せられけり。盃酌かさなりて、人皆酔てけり。
 播磨守行任朝臣を殿上人の座にめして、酒のませられけるに、おほきなる鉢にて、十盃のみたりけり。「事の外の大飲(たいいん)」とぞ人々いひける。
(續古事談~おうふう)

(長徳四年十一月)三十日。
賀茂臨時祭が行なわれた。(藤原)経通兵衛佐が、宿所において装束を着した。相公(懐平)が指示されたので、垸飯(おうばん)を準備させた。勅によって納言以上を召し遣わしたといっても、皆、障りを申して参らなかった。そこで勅が有って、藤相公に宣命を奏上するよう命じた。先例が有るのである。御禊が終わった。所司が鋪設(ほせつ)を行ない、衝重を据えたのは、通例のとおりであった。祭使以下が座に着した。
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)

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古典の季節表現 十一月 大嘗会、豊明節会、五節

2013年11月29日 | 日本古典文学-冬

同十一月十三日福原には、内裏造出して、主上御遷幸有り。大嘗會あるべかりしかども、大嘗會は十月の末、東河に御幸して、御禊有り。大内の北の野に齋場所を作て、神服神具を調ふ。大極殿の前、龍尾道の壇下に、迴立殿を建て、御湯をめす。同壇の竝に、大嘗宮を作て、神膳を備ふ。宸宴有り。御遊有り。大極殿にて大禮有り。清暑堂にて御神樂有り。豊樂院にて宴會あり。然を此福原の新都には、大極殿も無ければ、大禮行ふべき處もなし。清暑堂無れば、御神樂奏すべき樣もなし。豊樂院も無れば、宴會も行はれず。今年は唯新嘗會五節許有るべきよし、公卿僉議有て、猶新嘗の祭をば、舊都の神祇官にして遂られけり。
五節は、淨見原の當時、吉野宮にして、月白く風烈しかりし夜、御心を澄しつゝ琴を彈給しに、神女あま下り、五度袖を飜す。是ぞ五節の始なる。
(平家物語~バージニア大学HPより)

文和三年十一月大嘗会悠紀方の額書とて、代々の古本をみ侍て 従二位行忠
みるたひに思ひそいつる水くきの跡はわすれぬよゝのかたみを
(新拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

流れて早き月日にて過ぎもてゆけば、五節に、中宮の女房、「梅鶏舌を含むで」といふ詩を装束きたり。梅の織物、香染、紅梅の紅に匂ひたるなどなり。「緑の文を帯びたり」とてしたる緑の衣着たり。殿上人誦じなどしていとをかし。唐衣の紐などにやがてこの詩を結びたり。八重紅梅の唐衣など色々にをかし。
(栄花物語~新編日本古典文学全集)

殿の大納言、五節出させたまふ。皇后宮の女房、中﨟、下﨟のきたなげなきどもを出させたまふ。われはと思ふ際のは出させたまはず。装束、有様いふ方なし。この御時には制ありて、衣五つなどあれど、厳しからねば、さるべき所どころにはいみじくせさせたまふ。後一条院の御時こそはかかりしか。女房、童女、下仕の装束、人々当りて、心も尽すともおろかなり。中宮より童女の装束奉らせたまへり。紅の打ちたるに、菊の二重文の、その折枝織りたる衵、蘇芳の汗衫、竜胆の上の袴、みな二重文なり。打ちたる袴など、例の事なり。瑠璃を文に押しなど、いみじう尽されたり。世の中にめづらしき五節の有様なり。
(栄花物語~新編日本古典文学全集)

十一月十四日の夜、雪いとおもしろく、みちたえてつもりにけり。夜番にて、花山院宰相中將・頭中將など候ひけるも、院の御所へ參りにければ、人々清凉殿へたちいでゝみれば、竹にさえたるかぜのおとまでも身にしみておもしろきに、月はなほ雪げにくもりたりしも、中々見所あり。大宮大納言・萬里小路大納言などまゐらせたまひて南殿にてよもすがらながめ給ひけるが、曉がたことにさえたりければ、うへのをのこども、殿上のをりまつめしけれども、つきたるよし申ければ、ひろ御所のきたむきにて、かれたる萩の枝など、をり松にせられけるときゝし、いとやさしくて、辨内侍、
霜がれのふるえの萩のをり松はもえ出る春の爲とこそみれ
有明の月くまなかりしに、雪のひかりさえとほりて、おもしろくみえ侍りしかば、常の御所のかうらんのもとへたちいでたりしに、公忠の中將・大宮の大納言殿の、すゞりこはせ給ふとて、もちてまゐりしも、いづくの御文ならむとゆかしくて、辨内侍、
明けやらでまだ夜は深き雪のうちにふみゝる道は跡やなか覽
十四日のよ、少將内侍女く所へわたりゐて、心ちなほわびしくて侍りければ、なにごともしらずふしたるに、曉がた、はるかに雪ふかきをわけいるくつのおとのきこゆるにおどろきて、こゝちをためらひて、やをらおきあがりてきけば、「大宮大納言殿より。」といふこゑにつきて、つまどををしあけたれば、いまだ夜はあけぬものから、雪にしらみたるうちのゝけいき、いつのよにもわすれがたくおもしろしといへばなべてなり。御ふみをあけてみれば、
こゝのへのうちのゝ雪に跡つけて遥に千代の道をみるかな
その雪のあした、少將内侍のもとより、
九重にちよをかさねてみゆるかな大内山の今朝のしらゆき
返し、辨内侍、
道しあらんちよのみゆきを思ふには降る共のべの跡はみえなん
(弁内侍日記~群書類從18)

五節は十六日よりはじまる。月ことにさえておもしろし。丁だいのこゝろみ、ふたまよりやをらみやりしかば、攝政殿・内大臣殿・おほみやの大納言殿、のこりの人々はいともみえわかず。
とらの日、月いとあかきに、五節所へ行幸なりしに、攝政殿まゐらせ給ふ。左大臣殿御供にまゐらせたまひたりしが、御ぶんとていだされたりしくしを、御ふところへいるゝよしにて、さながら御袖のしたよりおとさせ給ひし御ことがら、いひしらず見え給ひしかば、辨内侍、
霜こほる露の玉にもあらなくに袖にたまらぬ夜半のさし櫛
御覽は、殿いたさせ給ふ。わらはもなべてならずみえ侍りき。ひとりはふるきはしたもの、ふくらかにうつくし。いま一人はいづくのきみとかや、ほそらかに思ひいれたるけしき、とりどりなり。人々ことにもてなして、かざみの袖などつくろひ侍るもめとまりて、辨内侍、
あかずみるをとめの袖の月影に心やとまる雲のうへ人
節會は十八日なれば、月いとあかゝりしに、めしにすゝみて侍りし、御階の月わすれがたきよし、中納言のすけどのに申しいでゝ、辨内侍のかみあげのきぬ、ゆきのしたのこうばい、
雪のした梅のにほひも袖さえてすゝむみはしに月をみし哉
權中納言、五節いださるゝときゝて、くしこひたてまつるとて、辨内侍、
思ひやれ誰かはみせんこゝのへや豐の明りのよはのおきぐし
返し、大納言、
たれこめて豐の明りもしらざりき君こそみせめよはのさし櫛
いたはることおはしけるともしらで、申したりけるも、げにこゝろづきなくて、辨内侍、
たれこめし比ともしらぬおこたりに豐の明りの月は更けにき
(弁内侍日記~群書類從18)

 御神楽の夜になりぬれば事のさま内侍所のみかぐらにたがふ事なし。これは今すこし今めかしく見ゆる。みな人たち小忌(をみ)の姿にて赤紐かけ日蔭の糸などなまめかしく見ゆるに、かざしの花の有様見る、臨時の祭見るここちする。皆座に着きておのおのすべき事どもとりどりにせらるるに、殿も本末(もとすゑ)の拍子とり給ふぞ麗(うる)はしき。日(ひ)の装束なる殿は、今すこし人たちの座よりはあがりて御ざしきなれば、それに居させ給ひたり。つかひのかざしの花ささせ給ひたる見るにさまかはりてめでたき。本(もと)の拍子按察使の中納言、笛その子の中将信通、琴その弟の備中守伊通、篳篥安芸前司経忠、あまた居たりしを事長ければ書かず。
 かくて御神楽はじまりぬれば、本末(もとすゑ)の拍子(はうし)の音、さばかり大きに高き所に響きあひたる声、聞き知らぬ耳にもめでたし。(略)
 かくてみあそびはてかたになりぬれば、殿御琴、治部卿基綱琵琶、拍子もとの如く宗忠の中納言、笙の笛内大臣の御子の少将雅定、笛・篳篥もとの人々御つがひにて、殿の御声にて「まんざいらく出せ」とて、われうちそひさせ給ひて、ふたかへりばかりにて、あなたふと・伊勢の海など、みだれあそばせ給ふ。宗忠の中納言拍子をとりて出す。
(讃岐典侍日記~岩波文庫)

宝治百首歌に、冬月 後深草院少将内侍
雲のうへのとよのあかりに立出て御はしのめしに月をみるかな
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

官庁にて、五節の夜いたうさえたりけるに 後深草院弁内侍
霜雪もさそこほるらんもゝしきやふるきみかきの豊の明は
(新続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

豊の明りの節会に、小忌(をみ)にて侍りけるに、まかづとて、有明の月のおもしろく冴えわたれるに 御垣が原の右大将
珍しき豊の明りの日陰草かざす袖にも霜は置きけり
まことに置きたりけるにや、うち払へるけはひをかしかりければ 大納言典侍
日陰草かざすにいとど霜さえて氷や結ぶ山藍の袖
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

豊明節会をよませ給ける 今上御歌
雲のうへのとよのあかりに月さえて霜をかさぬる山あひの袖
(続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

 十一月 五節
百しきやながき霜夜のそら更て袖うちかへす朝倉の声
(「藤原定家全歌集」久保田淳校訂、ちくま学芸文庫)

百首よませ給うけるに 後嵯峨院御製
をとめ子か袖白たへに霜そをく豊明も夜やふけぬらん
(続拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

豊明節会をよませ給うける 御製
天つ風袖さむからし乙女子かかへる雲路のあけかたの空
(続後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

題しらす 藤原懐通朝臣
雲の上の豊明も明行は日影さしそふをみ衣かな
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

清暑堂の御(み)神樂は、御代のはじめの御(おん)祈なれば、ことに君も臣も御(おん)神事にてもてはやし給ふことなれば、所作(そさ)の人、かねてより其人々と定められて皆まゐりぬ。御神樂の裝束果てて、出御なりてはじまりぬ。物の音すみのぼりて、玄上(ママ)の御(おん)撥音(ばちおと)ことに響きのぼりて、和琴の調、本末の拍子に合せて掻きなす、面白くやさしきに、古めかしなど申すもおろかなり。八十(やそぢ)にあまりたる實清(さねたか)二位の聲の色、むかしゆかしく覺ゆ。時々消えかへりて、年のしるしと、かすかなる折にも、玄上の御撥音にまぎれて、おもしろくやさしく聞ゆ。やうやう御神樂も果つれば空も明けぬ。
(中務内侍日記~有朋堂文庫「平安朝日記集」)

五節の舞ひめを見てよめる よしみねのむねさた
あまつ風雲のかよひち吹とちよ乙女の姿しはしとゝめん
(古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

五節の舞姫の、すぐれて見えけるに遣はしける 顔よき舞姫の蔵人少将
いかにせんをとめの姿恋しくは天つ空をやいとど眺めむ
返し とばりあげの君
天つ空をとめの姿眺むとも雲の袂はまた見えんかも
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

左大将朝光、五節舞姫たてまつりけるかしつきをみてつかはしける 前大納言公任
あまつ空とよのあかりに見し人の猶おも影のしゐて恋しき
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

貞応元年豊明夜、月くまなきに思いつることおほくて、前中納言定家のもとにつかはしける 西園寺入道前太政大臣
月のゆく雲のかよひちかはれとも乙女のすかた忘しもせす
前中納言定家
忘られぬをとめの姿世ゝふりてわかみし空の月そはるけき
(続後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

豊明節会のこゝろを 前関白太政大臣
みしまゝに思ひやりてそ忍はるゝ豊のあかりの月の面影
(新後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

 豊明は今日ぞかしと、京思ひやりたまふ。風いたう吹きて、雪の降るさまあわたたしう荒れまどふ。「都にはいとかうしもあらじかし」と、人やりならず心細うて、「疎くてやみぬべきにや」と思ふ契りはつらけれど、恨むべうもあらず。なつかしうらうたげなる御もてなしを、ただしばしにても例になして、「思ひつることどもも語らはばや」と思ひ続けて眺めたまふ。光もなくて暮れ果てぬ。
 「かき曇り日かげも見えぬ奥山に心をくらすころにもあるかな」
(源氏物語・総角~バージニア大学HPより)

冬の御歌の中に 後伏見院御製
みしやいつそ豊のあかりのそのかみも面影とをき雲のうへの月
(新拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

堀河院かくれさせ給て後、五節に殿上人引つれて皇后宮にまうてたりけるに読侍ける 堀河院中宮上総
あはれにも尋けるかな有し世に見しもろ人の面かはりせて
返し 権中納言師時
あらぬ世の豊のあかりにあふ人はみし面影を恋ぬ日そなき
(続拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

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古典の季節表現 十一月中旬

2013年11月19日 | 日本古典文学-冬

文和三年十一月十一日、花園院の七年の御仏事に御供養なとありて後、山中より勅書のついてに 法皇御製
思ひやれ跡とふ霜のふりすのみひとりぬれそふ苔の袂を
返し 入道親王覚誉
つらゝゐし袖の涙の其まゝにはや七とせの霜そかさなる
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

しも月の廿よ日、いし山にまいる。ゆきうちふりつゝ、みちのほどさへおかしきに、(略)
(更級日記~バージニア大学HPより)

治承などの比なりしにや、豊の明のころ、上西門院女坊、物見に二車(ぐるま)ばかりにてまゐられたりし、とりどりにみえし中に、小宰相殿といひし人の、びんひたひのかゝりまで、ことに目とまりしを、年ごろ心かけていひける人の、通盛の朝臣にとられて、なげくときゝし、げに思ふもことわりとおぼえしかば、その人のもとへ、
さこそげに君なげくらめ心そめし山のもみぢを人に折られて
かへし
なにかげに人の折りけるもみぢ葉をこゝろうつして思ひそめけん
(建礼門院右京大夫集~岩波文庫)

節会果てぬる暁方、有明の月隈なきに、藤壺わたりへ紛れ寄りぬるを、(略)
後涼殿におはしざまにおはすれば、澄みかへりたる有明の影に、霜いと白く見わたされて、袖の上まで冴え凍る心地して、
 慣れ慣れて心も曇る日陰には袖にも霜のかつ凍りつつ
(いはでしのぶ~「中世王朝物語全集4」笠間書院)

おほかたは、さもよしなかりけることよと、かれにもおろかならぬ御心ざしに添へては、いとど思ひ乱れつつ、めづらしう我が御方にうちながめておはする夕つ方、雪霰かき暗し、風も気悪(けあ)しう吹き迷ひて、をちこち人のながめの末も、埋(うづ)もれ果てぬらん、篠屋の軒まづ思ひやられ給へば、さばかり荒れたる空に、御馬にて雪にまどはされつつ、更けゆくほどにおはし着きたるを、待ち取りきこえ給ふ所にも、いかがおろかに思さむ。女君は、とにかくに、いといたうものを思ひ湿(しめ)り、涙がちなる気色なれど、いつもただうちなびきたるさまにて、御答(いら)へなども、おほどかなるものから、あながちに埋(む)もれいたきほどにはあらず。気近うらうたきさまぞ、よろづにすぐれて覚え給ふ。
やうやう風も靜かになりぬれば、端つ方にいざなひ出でて、もろともにながめ出で給ふに、霜月の十日余日の月は、かつ散る雪に、春ならぬ朧に霞わかりつつ、池の面(おもて)も向かひの山も一つに、白妙に見わたされて、軒近き呉竹の、おのれ一人と下折れたるほど、絵にかかまほしう、取り集め艶にをかしう見ゆれば、御簾を少し巻き上げ給ふに、(略)
(いはでしのぶ~「中世王朝物語全集4」笠間書院)

延暦十二年十一月 丁亥(十二日)
大雪が降った。諸司の官人らが雪を掃った。身分に応じて物を下賜した。
(日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(長和四年十一月)十四日、庚申。
卯から辰剋の頃から、雪が降った。初雪の見参簿を取った。後に退出した頃には、大雪であった。申剋の頃、晴気(せいき)が有った。庭に積もったのは、三寸ほどであった。(略)
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

十六日(じふろくにち)の晩に、山階まで出奉りて、同(おなじき)十七日(じふしちにち)の暁深く出給へば、会坂山に積る雪、四方の梢も白して、遊子残月に行ける、函谷の関を思出て、是や此延喜第四の御子、会坂の蝉丸、琵琶を弾じ和歌を詠じて嵐の風を凌つつ、住給けん藁屋の跡と心ぼそく打過て、打出浜、粟津原、未夜なれば見分ず。抑昔天智天皇(てんわうの)御宇(ぎよう)、大和国(やまとのくに)飛鳥の岡本の宮より、当国志賀郡に移て、大津宮を造たりと聞にも、此程は皇居の跡ぞかしと思出て、あけぼのの空にも成行ば、勢多唐橋渡る程、湖海遥(はるか)に顕て、彼満誓沙弥が比良山に居て、漕行舟の跡の白波と詠じけんも哀也。野路宿にも懸ぬれば、枯野の草に置る露、日影に解て旅衣、乾間もなく絞りつゝ、篠原の東西を見渡せば、遥(はるか)に長堤あり。北には郷人棲をしめ、南には池水遠く清めり。遥(はるか)の向の岸の汀(みぎは)には、翠り深き十八公、白波の色に移りつゝ、南山の影を浸ねども、青して滉瀁たり。州崎にさわぐ鴛鴦鴎の、葦手を書ける心地して、鏡宿にも著ぬれば、むかし扇の絵合に、老やしぬらんと詠じけんも、此山の事也。去(さる)程(ほど)に師長は武佐寺に著給ふ。峰の嵐夜ふくる程に身に入て、都には引替て、枕に近き鐘の声、暁の空に音信(おとづれ)て、彼遺愛寺の草庵の、ねざめも角やと思知れつゝ、蒲生原をも過給へば、老曽森の杉村に、梢に白く懸る雪、朝立袖に払ひ敢ず、音に聞えし醒井の、暗き岩根に出水、柏原をも過ぬれば、美濃国関山にも懸りつゝ、谷川雪の底に声咽嵐、松の梢に時雨つゝ、日影も見えぬ木の下路、心ぼそくぞ越え給ふ。不破の関屋の板廂、年へにけりと見置つゝ、妹瀬川にも留給ふ。此は霜月廿日に及ぶ事なれば、皆白妙の晴の空、清き河瀬にうつりつゝ、照月波もすみわたり、二千里外古人心、想像旅の哀さ最深し。
(源平盛衰記~バージニア大学HPより)

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古典の季節表現 十一月

2013年11月18日 | 日本古典文学-冬

もみぢの色もやうやううつろひて霜月のころは木ずゑもあはれなり
しもばしらすさまじきまで立ならびていと白うみゆるも又をかし
大うちより民の家々まで庭火をたきて神をいさむ事もゆへなきにはあらず
むかしあまてる太神御おとゝのすさのおのみことにうらみ給ふことありて
あまの岩戸にこもりたまひしに闇のうちとこやみとなれりけり
思兼(おもひかね)のみかどはかりごとをめぐらして
あまのかご山のまさかきに八咫(やた)のかがみをかけ庭火をたきて八百よろづの神たち岩戸のまへにむらがりてかぐらをそうしまひあそび給ひしかば
あまてる太神岩戸をひらき出給ひしかば
人のおもてしろくみえけるよりあなさやけあなおもしろと諸神申させ給ひしより庭火ははじまりていまにつたはること也かし
(佛教大学図書館デジタルコレクション「十二月あそひ」より)

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古典の季節表現 十一月上旬

2013年11月01日 | 日本古典文学-冬

冬十一月五日夜小雷起鳴雪落覆庭忽懐憐聊作短歌一首
消残りの雪にあへ照るあしひきの山橘をつとに摘み来な
 右一首兵部少輔大伴宿祢家持
(万葉集~バージニア大学HPより)

冬十一月左大辨葛城王等賜姓橘氏之時御製歌一首
橘は実さへ花さへその葉さへ枝に霜降れどいや常葉の木
 右冬十一月九日 従三位葛城王従四位上佐為王等 辞皇族之高名 賜外家之橘姓已訖 於時太上天皇々后共在于皇后宮 以為肆宴而即御製賀橘之歌 并賜御酒宿祢等也 或云 此歌一首太上天皇御歌 但天皇々后御歌各有一首者 其歌遺落未得求焉 今檢案内 八年十一月九日葛城王等願橘宿祢之姓上表 以十七日依表乞賜橘宿祢
橘宿祢奈良麻呂應詔歌一首
奥山の真木の葉しのぎ降る雪の降りは増すとも地に落ちめやも
(万葉集~バージニア大学HPより)

霜月のついたちごろに みぞれたる雨うち降り、霰などまじりて、風のはげしう吹きみだりたる夕つかた、きりぎりす色の狩衣、紫の指貫薄色の衣(きぬ)をうへにて、白き衣(きぬ)三つ四つばかり、紅(くれなゐ)か何ぞなど重なりたる袖をひき、赤められたるかほにおしあてて、烏帽子の、やうにもなく吹きやられたる人の、「あなむざん」といひて、寄り来(き)たるこそにくからね。
(前田家本枕草子)

 霜月の十日なれば、紅葉も散り果てて、野山も見所なく、雪霰がちにて、物心細く、いとゞ思ふこと積りぬべし。
(狭衣物語~岩波・日本古典文学大系)

ついたちの日一條の太政のおとゞうせ給ひぬとのゝしる。れいの「あないみじ」などいひてきゝあへる夜はつゆき七八寸のほどたまれり。(略)
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

十一月ついたちごろ、雪のいたく降る日、
 神世よりふりはてにける雪なれば今日(けふ)はことにもめづらしきかな
御かへし、
 初雪といづれの冬も見るまゝにめづらしげなき身のみふりつゝ
(和泉式部日記~岩波文庫)

ま(こ)とや内にうたあはせせさせ給き。またにようごとのもまいらせ給はざりしに。十月つごもりとありしかど。のびてしも月の九日なり。てんじやう人左右にわかたせ給。舞臺はかねのすはまに。かねの五葉にかねのつたいろ++にいろどりたるかゝりたるいとおかし。もろもとのひやうゑのすけかきたり。右はかねのすぎばこにすゞりのはことおなじきに。さうとほをいれたり。うたのこゝろばへをだいにしたがひつゝ。したゑにかきたり。ては右のおほいどのゝいなばのめのと。にしきのへうし。つぎのはかねのへうしをみがきたる。しろたえにはる++とみえて。やまのたゝすまゐみづのなかれはほのかなり。かねをむすびてたまをもんにしなどさま++なるべうしあてにおかし。かねのすゞり。るりのすゞりのかめ。ふで。すみ。までいみじうつくしたり。かすさしのすはまどもなど。こゝろ++にいとおかし。中ぐうのにようばうまでもみぢををりつくしたり。うちものをりものむらごなど。こゝろ++にいとおかしうものにうちたるを。すかしたるもぬいものし。かねのみづやりもみぢのちりそひたるなどいとおかしくなまめかし。きくのをりものゝ御几帳どもをしいでわたしておはします。ほどこそいたさね。すこしさしのきてよきほどにをしいでたるきぬのすそ。そでぐちいとめもおどろきてみゆ。きくのおりえだかづらのもみぢ。かゞみのみづなどをしたるか。うすものよりすきたるうちめきかゝやきあひたるほかけいみじうおかし。くれなゐのうちたるをなかへにてかつらのかたにゑりてあをきを下にかさねて。かうぞめの御ありさまえもいはずめでたくみえさせ給。
(栄花物語~国文学研究資料館HPより)

 御五十日は霜月の朔日の日、例の人々のしたててのぼり集ひたる、御前の有樣、繪に畫きたる物合の所にぞ、いとよう似て侍りし。御帳の東の御座のきはに、御几帳を奧の御障子より廂の柱まで、ひまもあらせず立てきりて、南面に御前の物は參りすゑたり。西によりて大宮のおもの、例の沈のをしきなり、何くれの臺なりけんかし。そなたの事は見ず。御まかなひ宰相の君、讚岐とりつぐ。女房も釵子元結などしたり。若宮の御まかなひは、大納言の君、ひんがしによりて參りすゑたり。小き御臺、御皿ども、御箸の臺、洲濱なども、ひゝな遊びの具と見ゆ。
 それより東の間の、廂の御簾すこし上げて、辨の内侍、中務の命婦、小中將の君など、さべい限りぞ取り次ぎつゝまゐる。奧にゐて詳しうは見侍らず。今宵少輔のめのと色ゆるさる。こごしき樣うちしたり。宮抱き奉れり。御帳のうちにて、殿のうへ抱きうつし奉り給ひて、ゐざり出でさせ給へり。火影の御樣けはひ殊にめでたし。赤色の唐の御衣、地摺の御裳、麗くさうぞき給へるも、かたじけなくもあはれに見ゆ。大宮は葡萄染の五重の御衣、蘇芳の御小袿奉れり。
(紫式部日記~バージニアHPより)

(貞元元年十一月)四日丙寅。雪下。及尺。有諸陣之禄。申剋。諸陣之後。向閑院。有饗膳。
(日本紀略~「新訂増補 国史大系11」)

(長和四年十一月)六日、壬子。 小南第作文会
人々が来向した。作文を行なった。題は、「鶴は百鳥の兄である」であった〈年を韻とした。〉。辰剋の頃に集まって来て、子剋の頃に、分散して帰って行った。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

十一月大 六日 辛卯 鶴岡八幡宮ニ於テ、神楽有リ。武衛参リ給フ。御神楽以後ニ、別当坊ニ入御シタマフ。請ジ奉ルニ依テナリ。別当、京都ヨリ、児童ヲ招請シ、〈惣持王ト号ス、〉去ヌル比下著ス。是レ郢曲ノ達者ナリ。之ヲ以テ媒介トシテ、杯酒ヲ勧メ申ス所ナリ。垂髪、横笛ヲ吹ク。梶原平次之ニ付キテ、又唱歌ス。畠山ノ次郎、今様ヲ歌フ。武衛、興ニ入ラセ給フ。晩ニ及ビテ、還ラシメ給フト〈云云〉。
(吾妻鏡【元暦元年十一月六日】条~国文学研究資料館HPより)

(正治二年十一月)七日。天晴る。申の時許りに院より召し有り。(中略)人々已に参じ了んぬと。引導に依り弘御所に入る。寂蓮・家隆・具親等と題を給ひ、風情を尽して詠吟す。近日の事殊に以て堪へ難し。良々(やや)久しきの後、行幸ありと。内府以下供奉し、其の人々を見ず。人々退下し、無音の後、親綱引導に付け、更に北の対北東の門を内の御車宿りの戸を経、池の東の庭に出づ。已に御乗船了んぬ。召しに依りて進み乗る。次々船に棹(さをさ)し、池より坤角の新宮に御幸あり。歌合三首あり。評定了りて還御あり。是より各々退出すべきの由仰せ有り。即ち庭上より西の門を出て退出す。病気殊に甚し。題、「紅葉梢に残る」「寒夜の埋火」「海浜に夜を重ぬ」。有家、今夜題を給はりて歌を献ず。(略)
(『明月記抄』今川文雄、河出書房新社)

(嘉禄元年十一月)三日。天晴る。法印来らる。承明門院黄門又来臨。初三の月甚だ明し。弦に異ならず。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

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