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古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

「群霞・叢霞(むらがすみ)」用例

2018年01月27日 | 日本国語大辞典-ま行

 「むらがすみ」という語の日本国語大辞典の用例年は1346年ですが、さかのぼる用例が複数あります。

眺めつるよもの木末のむら霞ひとつに成ぬ春雨のくも(585ページ)
かつらきやくめ路の谷のむら霞とたえは橋に限らさりけり(590ページ)
(巻第三百八十二・正治二年院御百首)
『続群書類従・第十四輯下(訂正三版)』塙保己一編、続群書類従完成会、1983年

01845 慈円 
ひはりあかる-はるののさはの-あさみとり-そらにいろこき-むらかすみかな
(夫木抄)~日文研の和歌データベースより


「またもや」用例

2018年01月26日 | 日本国語大辞典-ま行

 「またもや」という用語は日本国語大辞典・第二版では1505年・光悦本謡曲・熊野からの例を早い用例として挙げていますが、もっとさかのぼる用例があります。

 返し 良勢法師
なごりある命と思はばともづなの又もやくると待たまし物を
(巻第八・別、481)
『新日本古典文学全集8 後拾遺和歌集』岩波書店、1994年、157ページ

みしひとに-またもやあふと-うめのはな-さきしあたりに-ゆかぬひそなき
(伊勢集・00034)~日文研HPの和歌データベースより

ちるはなに-またもやあはむ-おほつかな-そのはるまてと-しらぬみなれは
(詞花集・352)~日文研HPの和歌データベースより


古典の季節表現 春 一月下旬

2018年01月25日 | 日本古典文学-春

たちかへりかすみのころもまたさむしきさらきちかきはるのひかすに
(新撰和歌六帖~日文研HPより)

 正月二十三日、子の日なるに、左大将殿の北の方、若菜参りたまふ。(略)
 南の御殿の西の放出に御座よそふ。屏風、壁代よりはじめ、新しく払ひしつらはれたり。うるはしく倚子などは立てず、御地敷四十枚、御茵、脇息など、すべてその御具ども、いときよらにせさせたまへり。
 螺鈿の御厨子二具に、御衣筥四つ据ゑて、夏冬の御装束。香壷、薬の筥、御硯、ゆする坏、掻上の筥などやうのもの、うちうちきよらを尽くしたまへり。御插頭の台には、沈、紫檀を作り、めづらしきあやめを尽くし、同じき金をも、色使ひなしたる、心ばへあり、今めかしく。(略)
 人々参りなどしたまひて、御座に出でたまふとて、尚侍の君に御対面あり。(略)
 「若葉さす野辺の小松を引き連れてもとの岩根を祈る今日かな」
  と、せめておとなび聞こえたまふ。沈の折敷四つして、御若菜さまばかり参れり。御土器取りたまひて、
  「小松原末の齢に引かれてや野辺の若菜も年を摘むべき」
  など聞こえ交はしたまひて、上達部あまた南の廂に着きたまふ。(略)御土器くだり、若菜の御羹参る。御前には、沈の懸盤四つ、御坏どもなつかしく、今めきたるほどにせられたり。
 朱雀院の御薬のこと、なほたひらぎ果てたまはぬにより、楽人などは召さず。御笛など、太政大臣の、その方は整へたまひて、
  「世の中に、この御賀よりまためづらしくきよら尽くすべきことあらじ」
  とのたまひて、すぐれたる音の限りを、かねてより思しまうけたりければ、忍びやかに御遊びあり。
  とりどりにたてまつる中に、和琴は、かの大臣の第一に秘したまひける御琴なり。さるものの上手の、心をとどめて弾き馴らしたまへる音、いと並びなきを、異人は掻きたてにくくしたまへば、衛門督の固く否ぶるを責めたまへば、げにいとおもしろく、をさをさ劣るまじく弾く。
  「何ごとも、上手の嗣といひながら、かくしもえ継がぬわざぞかし」と、心にくくあはれに人々思す。調べに従ひて、跡ある手ども、定まれる唐土の伝へどもは、なかなか尋ね知るべき方あらはなるを、心にまかせて、ただ掻き合はせたるすが掻きに、よろづの物の音調へられたるは、妙におもしろく、あやしきまで響く。
  父大臣は、琴の緒もいと緩に張りて、いたう下して調べ、響き多く合はせてぞ掻き鳴らしたまふ。これは、いとわららかに昇る音の、なつかしく愛敬づきたるを、「いとかうしもは聞こえざりしを」と、親王たちも驚きたまふ。
  琴は、兵部卿宮弾きたまふ。この御琴は、宜陽殿の御物にて、代々に第一の名ありし御琴を、故院の末つ方、一品宮の好みたまふことにて、賜はりたまへりけるを、この折のきよらを尽くしたまはむとするため、大臣の申し賜はりたまへる御伝へ伝へを思すに、いとあはれに、昔のことも恋しく思し出でらる。
  親王も、酔ひ泣きえとどめたまはず。御けしきとりたまひて、琴は御前に譲りきこえさせたまふ。もののあはれにえ過ぐしたまはで、めづらしきもの一つばかり弾きたまふに、ことことしからねど、限りなくおもしろき夜の御遊びなり。
  唱歌の人々御階に召して、すぐれたる声の限り出だして、返り声になる。夜の更け行くままに、物の調べども、なつかしく変はりて、「青柳」遊びたまふほど、げに、ねぐらの鴬おどろきぬべく、いみじくおもしろし。私事のさまにしなしたまひて、禄など、いと警策にまうけられたりけり。
(源氏物語・若菜上~バージニア大学HPより)

大将殿には、二十七日出で来たる乙子になむ、嵯峨の院に御賀参らむとしたまひける。ありの限りの君だち、男も女も集ひて仕まつりたまふ。すべてよろづのもの、かねてより設けて、いといみじく、になくして参りたまふ。いとめづらしく清らなるさまにし整へたまひて、子、孫引き続きて、糸毛六つ、檳榔毛十四、うなゐ車五つ、下仕へ車五つしてなむ参りたまひける。御前、四位二十人、五位四十人、六位は数知らず。御供、婿の君だちみなおはします。例の遊び人たち数を尽くして、舞の子ども、君だち、いとになく装束きて、いとをかしげなり。御供定めて、糸毛のには宮、若御子たち六所、二のには女御の君、また次々の君だち、みな組みまぜて、あまねく奉る。副車には御方々の御達、四人づつ乗るべし。大人四十人、童二十人、下仕へ十人、いとになく装束きてぞありける。大人二十人は赤色に蘇坊襲、今二十人は赤色に葡萄染襲、綾の摺り裳、うなゐはおしなべて青色に蘇坊襲、綾の上の袴、綾掻練、色はさらにもいはず、下仕へは例の村摺り、檜皮色、桜襲、おしなべて賜ふ。(略)
(うつほ物語~新編日本古典文学全集)

かくて、后の宮の御賀、正月廿七日に出来る乙子になむ仕うまつり給ひける。(略)
かくて、廿六日参り給ふ。車廿、糸毛十、黄金造りの檳榔毛十、髫髪車(うなゐぐるま)二、下仕の車二。御前、天の下の人残らず、四位、五位百人、六位数知らず。御装ひ、大宮、女御、今宮などは、赤色に葡萄染の襲の織物、唐の御衣、綾の裳、あて宮は十五、同じ赤色の織物、五重襲、表(うへ)の御衣、白き綾の表の袴、御供の人、青丹に柳襲のひら衣、あをみずりの裳、上下わかず着たり。童同じごと、下仕、平絹の三重襲着たり。(略)
(宇津保物語・菊の宴~岩波・日本古典文学大系)

正月の晦日なれば、公私のどやかなるころほひに、薫物合はせたまふ。
(源氏物語・梅枝~バージニア大学HPより)

嘉保三年正月卅日、殿上人船岡にて花を見けるに、斎院選子より柳の枝をたまはせけり。人びとこれをみければ、「いとのしたには」とかゝれたりけり。他人その心をしらざりけるに、雅通たまたま古歌の一句をさとりて、返事をたてまつりけるにこそ人びとの色なほりにけれ。紙のなかりければ、直衣を破りて書侍りける、
 ちりぬべき花をのみこそ尋ねつれ思もよらず青柳の糸
(古今著聞集~岩波・日本古典文学大系)

比は睦月廿日餘の事なれば、比良の高峯、志賀の山、昔ながらの雪も消え、谷々の氷打解て、水は折節増りたり。白浪おびたゞしう漲り落ち、瀬枕大きに瀧鳴て、逆卷く水も疾かりけり。
(平家物語~バージニア大学HPより)

同じ二月十七日に、又、新院富の小路殿にて舞御覧。其の朝、大宮院先づ忍びて渡らせ給ふ。一院の御幸は、日たけてなる。冷泉殿より只はひ渡る程なれば、楽人・舞人、今日の装束にて、上達部など皆歩み続く。庇の御車にて、御随身十二人、花を折り錦を立ち重ねて、声々、御さき花やかに追ひ罵りて、近く候ひつる、二無く面白し。新院は、御烏帽子直衣・御袴際にて、中門にて待ち聞こえさせ給ひつる程、いと艶にめでたし。御車中門に寄せて、関白殿、御佩刀取りて、御匣殿に伝へ給ふ。二重織物の萌黄の御几帳のかたびらを出だされて、色々の平文の衣共、物の具は無くて押し出ださる。今日は正親町の院も御堂の隅の間より御覧ぜらる。
大臣・上達部、有りしに変はらず。猶参り加はる人は多けれど、洩れたるは無し。実冬、今日は、花田うら山吹の狩衣、二重うち萌黄など、思ひ思ひ心々に、前には皆引きかへて、様々尽くしたり。基俊の少将、此の度は、桜萌黄の五重の狩衣・紅の匂の五衣、打衣は〔やりつき、〕山吹の匂、浮織物の三重のひとへ・紫の綾の指貫、中に勝れてけうらに見え給へり。此の度は、多く緑苔の衣を着たり。万歳楽を吹きて楽人・舞人参る。池の汀に桙を立つ。春鴬囀・古鳥蘇・後参・輪台・青海波・落蹲など有り。日暮らし面白く罵りて、帰らせ給ふ程に、赤地の錦の袋に御琵琶入れて奉らせ給ふ。刑部卿の君、御簾の中より出ださる。右大将取りて、院の御前に気色ばみ給ふ。胡飲酒の舞は、実俊の中将とかねては聞こえしを、父大臣の事にとどまりにしかば、近衛殿の前の関白殿の御子三位中将と聞こゆる、未だ童にて舞ひ給ふ。別して、此の試楽より先なりしにや、内々白河殿にて試み有りしに、父の殿も御簾の内にて見給ふ。若君いと美しう舞ひ給へば、院めでさせ給ひて、舞の師忠茂、禄賜はりなどしけり。
(増鏡~和田英松「校註 増鏡 改訂版」)

(延暦十三年正月)己亥(二十五日) 天皇が栗前野で狩猟した。
庚子(二十六日) 天皇が瑞野で狩猟した。本日、大雪が降った。
(日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(承和二年正月)甲戌(二十八日) 天皇が芹川野に行幸(みゆき)し、猟をした。日暮れて宮へ戻った。
(続日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(承元元年正月)廿一日。天晴る。午の時許りに、院に参ず。未の時、神泉に出でおはしますの後退出す。大納言殿に参じて見参。昏に退出す。(略)明後日、八幡御幸。殿上人十二人と云々。明日、年始御会あるべし。歌人、左金吾・有家・下官・家隆・雅経・具親・家長・清範・季能。題、春の松に齢を契る。之を聞き、弥ゝ憐旧の思ひを増す。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(承元元年正月)廿六日。辰後に天晴る。夜。雪降る。草樹僅かに白し。朝、雨間々降り、即ち消ゆ。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(承元元年正月)廿九日。天晴る。雪霏々。午の時許りに参上す。俄にして出でおはしますの後、退下す。明日、勝負の笠懸、殿上人忠信朝臣・有雅朝臣・頼平朝臣・忠清朝臣・範茂・清親・信能・輔平。此の外、通光卿・保家卿・仲隆・仲俊等加へらると云々。西面十一人、御所の御方となすべし。公卿、念人となすと云々。八幡別当祐清、不食所労増す。仍て申し申し請ひ、弟幸清に譲り、子を以て、又権別当に補す。(略)
卅日。天晴れ、雪飛ぶ。酉の時、雨雪。巳の時許りに参上す。申始許りに出でおはします。暫く御小弓。遅参の人々を召すの後、十番笠懸け。左方十人、先づ射る。次で、右方十人の射手。末座の矢、中る。仍て左負くる事、頗る興無し。仰せて云ふ、此の次又ねたみを射るべしと。即ち又、会を始め、之を結ばる。各々射る。一番左衛門督、二番左方、西北面の童部等。右忠信・有雅・頼平・忠清・信能・範茂・清親・仲隆。大相国・定輔卿・尊長僧都等五六人、小山の上に於て見物、念人と云々。雅縁・実教卿以下の殿上人、東の土庇に於て之を見る。夕に退下す。冷然たるに依り、帰参せず。今日博陸、御表と云々。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(建暦二年正月)廿一日。辰の時に雨降る。終日濛々たり。天明に華洛を出で、孤舟に棹す。雨脚滂沱たり。漸く黄昏に及びて、神崎の小屋に着く。
 沙堤雨の裏(うち)行人少なし 纔(わづか)に漁舟を伴ひて宿を問ひて来たる 月黒く雲陰りて徐(おもむ)ろに夜ならんと欲す 猶江水を望みて独り徘徊す
 はるさめのあすさへふらばいかがせんそでほしわぶるけふのふな人
廿二日。夜、雨休む。暁に風寒し。未明、月に乗じて路に赴く。
 月斜に霞深くして春尚浅し 山雲初めて曙色徐(おもむ)ろに分(わか)る 野村の雨後何(いづく)ぞ望を遮(さへぎ)る 只早梅の風底に薫る有り
昆陽池を過ぎ、武庫山に入る。
 新雨初めて晴れ池水満つ 恩波風緩かにして豊年を楽しむ 遠松我を迎ふる親故の如し 群鳥人を驚かし争ひて後先す
 暁涙を伴ひて来たる江館の月 春望相似たり洞庭の天 頭を廻らし遥かに顧みる青厳の路 漸く帝都を隔つ山復(また)川
武庫河大いに溢れ、人通ずるを得ず。遥かに下流を尋ね、蒙を衝きて田を渉(わた)るの間、時刻推移す。水を済(わた)る者、膺(むね)に騰(すが)る波を撤す。況んや亦厳路崔嵬、険阻を踰(をか)して越え、荊棘を除剪し、山を披きて路を通ず。申の刻に及び、湯泉の孤舘に着す。即時に浴を始む。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(嘉禄元年正月)廿一日。壬午。天顔陰る。陽景見ゆ。申後、雨漸く密なり。女房、七観音に参る。巽の地の白梅開く(去年、二月中旬に開く)。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(嘉禄元年正月)廿七日。(略)近日、白梅・単紅梅盛んに開く。路頭芬々たり。
廿八日。(略)仁和寺南の辺りの墻根に、単紅梅、昨日之を見る。法眼に語り、今日取り寄せて南庭に栽う。早速く開くに依るなり。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(嘉禎元年正月)廿六日、庚申、今夜、御方違の為に、周防前司親実の大倉の家に入御、此所に於て庚申の御会有り、二首の和歌を講ぜらる、題は竹間の鶯、松に寄する祝、岩山侍従、河内前司光行入道、大夫判官基綱、式部大夫入道光西、東六郎行胤等懐紙を進ずと云々、
(吾妻鏡~岩波文庫)


古典の季節表現 春 一月二十一日頃 内宴

2018年01月21日 | 日本古典文学-春

(承和元年正月)辛未(二十日) 天皇が仁寿殿で内宴を催し、内教坊が歌舞を奏した。天皇の寵を受けている近習が観覧し、詞を解する五位以上の者二、三人と内記らを特別に喚(よ)び、ともに「早春の花と月」の題で詩を賦させた。本日の夕刻、勅により正六位上大戸首清上に外従五位下を授けた。清上は横笛を能(よ)くし、それにより今回の叙位となった。
(続日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(承和十一年)春正月庚子(十七日) 天皇が仁寿殿で内宴を催した。公卿と文学に心得のある者五、六人が陪侍した。ともに「初春の詞」の題で詩を賦した。特別に勅により三品基貞親王を宴に参加させ、日暮れて差をなして禄を賜った。
(続日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(承和十五年)春正月壬午(二十一日) 天皇が仁寿殿に出御して、恒例の内宴を催した。咲いていた殿前の紅梅を詩題に入れ、宴が終了すると、差をなして禄を賜った。
(続日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

 早春内宴、聴宮妓奏柳花怨曲、応製。
(略)
舞(ま)ひは破(は)にして 緑なる朶(えだ)を飄(ひるがへ)すに同じくとも、
歓(よろこ)びは酣(たけなは)にして 銀(しろがね)の釵(かみざし)を落(おと)すことを覚(おぼ)えず
(略)
(菅家文草~岩波「日本古典文学大系72」)

 賦新煙催柳色、応製。
何(いづ)れの処の新煙(しんえん)ぞ 柳色(りうしょく)の粧(よそほ)ひ
春来(きた)りて数日 青陽(せいやう)に映(は)ゆ
(略)
花なくして舞妓(ぶぎ) 怨(うら)みを含(ふふ)まむことを欲(ほ)りす
枝有りて行人(かうじん)折りて 腸(はらわた)を断(た)つ
翠黛(すいたい) 眉を開きて 纔(わづか)に画(えが)き出(いだ)す
金糸 繭を結びて 繰り将(おく)らず
(略)
(菅家文草~岩波「日本古典文学大系72」)

昌泰元年正月廿日庚寅。内宴。題云。草樹暗迎春。
(日本紀略~「新訂増補 国史大系11」)

 早春内宴、侍清涼殿同賦草樹暗迎春、応製。
東郊(とうかう) 豈(あに)敢へて煙嵐(えんらん)を占(し)むや
陽気 暗(ほのか)に侵(をか)して草木(さうもく)に覃(およ)ぶ
千里懐(おも)ひを遣(や)る 鎖(き)え尽くる雪
四山(しざん)眼(まなこ)を廻(めぐら)す 染め初(そ)むる藍(あゐ)
剪刀(せんたう) 萱(かや)出でて 礪(といし)に由(よし)なし
絲縷(しる) 柳垂りて 蚕(かひこ)を待たず
臣は迎へて楽しぶ処 春毎(はるごと)に酣(たけなは)なり
(菅家文草~岩波「日本古典文学大系72」)

(略)予(われ)昔内宴に侍りて草木共に春に逢ふといふことを賦せし詩に曰く、「庭気色(きそく)を増して晴沙(せいさ)緑なり、林容輝く(ようき)を変じて宿雪(しゅくせつ)紅なり」といへり。(略)
(本朝文粋~岩波・新日本古典文学大系)

(延喜三年正月)廿二日甲子。内宴仁寿殿。以残雪宮梅為題。
(延喜四年正月)廿日。内宴。題云、花伴玉楼人。
(日本紀略~「新訂増補 国史大系11」)

(延喜十二年正月)廿一日庚子。内宴。題云。雪尽草芽生。〈萌を以て韻と為す。〉於仁寿殿被行之。
(日本紀略~「新訂増補 国史大系11」)

河畔(かはん)の青袍(せいほう)愛(め)づべしといへども 小臣(せうしん)の衣の上には太(はなは)だ心なし
   (正月の叙位に漏れし年の内宴。雪尽きて草の牙(め)生ふ 菅淳茂)
 この句に依りて叙位せらる。(臨時。)
(江談抄~岩波「新日本古典文学大系32」)

(長元七年正月)廿二日癸未。於仁寿殿内宴。詩宴。題云。春至鶯花。木工寮於綾綺殿前立舞台。
(日本紀略~「新訂増補 国史大系11」)

(平治元年正月)廿一日。内宴。妓女奏舞曲。如陽台之窈窕。我朝勝事在此事。信西入道奉勅。令練習其曲。
(百錬抄~「新訂増補 国史大系11」)

  保元三年正月内宴最高の事幷びに次年内宴に主上玄象を弾じ給ふ事
 内宴は弘仁年中にはじまりたりけるが、長元より後たえておこなはれず。保元三年正月廿一日におこしおこなはるべきよし、さたありけるほどに、その日は雨ふりて、廿二日におこなはれけり。次第のことゞも、ふるきあとを尋ねておこなはれけり。法性寺殿関白にておはしましけるをはじめて、人びとおほくまゐらひたりけるに、前太政大臣は、かならず詩をたてまつるべき人にておはしけり、太政大臣は管絃の座に必候べき人にておはしけるに、座敷うちなかりければ、いかゞあるべきとかねたさたありけるに、太政大臣、大臣につくべきよし、すゝみ申されけれども、殿下ゆるし給はざりけり。つひに前太政大臣、まづまゐりて詩をたてまつる。披講はてゝいで給て後、太政大臣かはりて座につき給けり。ありがたかるべき事なり。御遊の所作人、太政大臣、左大臣拍子、内大臣笛、按察使重通琵琶、左京大夫季朝朝臣・上総介重家朝臣笙、宮内卿資賢朝臣和琴、前備後守季兼篳篥、主上御付歌あり。ありがたきためしなるべし。呂、安名尊・鳥破・蓆田・賀殿急・美作、律、伊勢海・万歳楽・青柳・五常楽・更衣、これらをぞ奏せられける。(略)
(古今著聞集~岩波・日本古典文学大系)

内宴には、平中納言殿の御息所なり。かたちも清げなり。ある中に下ラフにて、賄ひたまふ。
(うつほ物語~新編日本古典文学全集)


古典の季節表現 春 紅梅

2018年01月13日 | 日本古典文学-春

寛喜元年女御入内屏風歌 入道前太政大臣
野も山も匂ひにけりな紅のこそめのむめの花の下風 
(続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

梅の花の白き、紅合はせ侍りけるに、紅の方にてよめる 梅めづるの宮の君
八重咲けどにほひは添はず梅の花紅深き色ぞまされる
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

ただの梅、紅梅など多かるを見て
梅の花香(か)はことごとに匂へども色は色にも匂ひぬるかな
(和泉式部続集~岩波文庫)

紅梅をよませ給ける 花山院御製
香をたにもあく事かたき梅の花いかにせよとか色のそふらん
(新拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

紅梅をよめる 源俊頼朝臣
くれなゐの梅かえになく鶯は声の色さへことにそ有ける
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

 内の紅梅を女蔵人に詠(よ)めとおほせごとありけるに、かはりて詠(よ)みて侍し
春雨やふりてそむらんくれなゐにいろこくみゆるむめの花笠(がさ)
梅花香(か)はことごとに匂(にほ)はねどうすくこくこそ色は咲けれ
紅に色こき梅は鶯のなきそめしより匂ふなるべし
(元輔集~「和歌文学大系52」明治書院)

とみのこうぢどの内裏になりて、ひろ御所のつまの紅梅さかりなりし比、月のおぼろなる夜、たれとはなくて、しろきうすやうにかきてむすびつけられたりし、
色もかもかさねて匂へ梅の花こゝのへになる宿のしるしに
この御返事は、院の御所へ申すべしとおほせられしかば、辨内侍、
いろも香もさこそ重ねて匂ふらめ九重になるやどの梅がえ
(弁内侍日記~群書類從18)

 宇治殿、南面の紅梅に雪のつもえるを御覧じて、人をめして折らせ給ふ。
  おられけり紅にほふ梅の花けさしろたへに雪はふれゝど
経衡を召て、此御歌をたまはせければ、経衡さはぎてまかりたちにける。
 ニ三日ありて、堀川右大臣、和歌をたてまつられけり。
  おられける梅の立枝にふりまがふ雪は匂ひて花や咲らん
(「續古事談」おうふう)

紅のこそめの梅もしろたへにふりまかへたるはるのあはゆき
(東撰六帖~続群書類従14上)

 雪の梅にふりかゝりたるをみてよめる 入道前左大臣室
降つもる雪の隙よりほのみえて下紅に匂ふ梅かえ
(菊葉和歌集~続群書類従14上)

木の花は、濃きも淡きも紅梅。
(枕草子~新潮日本古典集成)

二月になりぬ。紅梅のつねのとしよりもいろこくめでたうにほひたり。
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

日のいとうららかなるに、いつしかと霞みわたれる梢どもの、心もとなきなかにも、梅はけしきばみ、ほほ笑みわたれる、とりわきて見ゆ。階隠のもとの紅梅、いととく咲く花にて、色づきにけり。
(源氏物語・末摘花、~バージニア大学HPより)

寝殿の隅の紅梅盛りに咲きたるを、ことはてて内へまゐらせたまひざまに、花の下に立ち寄らせたまひて、一枝をおし折りて、御挿頭にさして、気色ばかりうち奏でさせたまへりし日などは、いとこそめでたく見えさせたまひしか。
(大鏡~新編日本古典文学全集)

二月の十日、雨すこし降りて、御前近き紅梅盛りに、色も香も似るものなきほどに、兵部卿宮渡りたまへり。(略)花をめでつつおはするほどに、前斎院よりとて、散り過ぎたる梅の枝につけたる御文持て参れり。
(源氏物語・梅枝~バージニア大学HPより)

御かたちいと清げに、きららかになどぞおはしましし。堀河の院に住ませたまひしころ、臨時客の日、寝殿の隅の紅梅盛りに咲きたるを、ことはてて内へまゐらせたまひざまに、花の下に立ち寄らせたまひて、一枝をおし折りて、御挿頭にさして、気色ばかりうち奏でさせたまへりし日などは、いとこそめでたく見えさせたまひしか。
(大鏡~新編日本古典文学全集)

近衛太皇太后宮に紅梅を奉りて侍けるに、次のとしの春、花の咲たる見よとておりて給はせけるに、むすひつけ侍ける 読人しらす
うつしうへし色香もしるき梅花君にそわきてみすへかりける
巻名 風雅和歌集巻第十五 部立 雑歌上 
かへし 前参議経盛
うつしうへし宿の梅とも見えぬかなあるしからにそ花も咲ける 
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

中院にありける紅梅のおろしえたつかはさんと申しけるを、またのとしの二月はかり、花さきたるおろし枝に結ひつけて、皇太后宮大夫俊成のもとにつかはし侍ける 大納言定房
昔より散さぬ宿のむめの花わくる心は色に見ゆらん 
(千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

はるかむ(玄上)の宰相左近中将にて紅梅を折ておこせたりしに
君かため我おるやとの梅花色にそ出る深き心は
とある返し
色も香もともに匂へる梅花ちるうたかひのあるや何なり
(権中納言兼輔卿集~群書類従14)

この東のつまに、軒近き紅梅の、いとおもしろく匂ひたるを見たまひて、(略)
 「心ありて風の匂はす園の梅にまづ鴬の訪はずやあるべき」
 と、紅の紙に若やぎ書きて、この君の懐紙に取りまぜ、押したたみて出だしたてたまふを、幼き心に、いと馴れきこえまほしと思へば、急ぎ参りたまひぬ。
(略)枝のさま、花房、色も香も世の常ならず。
  「園に匂へる紅の、色に取られて、香なむ、白き梅には劣れるといふめるを、いとかしこく、とり並べても咲きけるかな」
  とて、御心とどめたまふ花なれば、かひありて、もてはやしたまふ。
(源氏物語・紅梅~バージニア大学HPより)

三百首歌中に 中務卿親王 
けふも又人もとはてやくれなゐのこそめの梅の花のさかりを
(続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

女に梅の花を折りて見せ侍るとて 逢ふにかふる三位中将
紅に匂はざりせば梅の花深き心をよそへましやは
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

そのほどにあめふれど「いとほし」とていづるほどにふみとりてかへりたるをみれば、くれなゐのうすやうひとかさねにて紅梅につけたり。ことばは「いそのかみといふことはしろしめしたらんかし
はるさめにぬれたる花のえだよりも人しれぬみのそでぞわりなき
(蜻蛉日記~岩波文庫)

くれなゐのなみたにそむるうめのはなむかしのはるをこふるなるへし
(能因法師集~日文研HPより)

 閨のつま近き紅梅の色も香も変はらぬを、「春や昔の」と、異花よりもこれに心寄せのあるは、飽かざりし匂ひのしみにけるにや。後夜に閼伽奉らせたまふ。下臈の尼のすこし若きがある、召し出でて花折らすれば、かことがましく散るに、いとど匂ひ来れば、
 「袖触れし人こそ見えね花の香のそれかと匂ふ春のあけぼの」
(源氏物語・手習~バージニア大学HPより)