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古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

古典の季節表現 七月 初秋月

2013年07月18日 | 日本古典文学-秋

はつあきのゆふかけくさのしらつゆにやとりそめたるやまのはのつき
(為家千首~日文研HPより)

元亨三年七月、内裏にて三首歌講せられける時、初秋月 侍従為親
風わたる天つ雲ゐの夜半の月いつしか秋の影やそふらん
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

七月十五日、月いとおもしろきに、清凉殿いかならんとおほせごとありて、只今は御前にまゐるほどなれば、御かうしもすべらず、御丁のもとにて、御覽ぜさせおはします。ことにくまなくみゆれ。(略)
今宵又はじめの秋のなかばとてかずかず月の影ぞみちぬる
(弁内侍日記~群書類從)

七月七日あまりに姫君のもとへ参りけるにはつ秋の月いとあはれなるよはしちかく出て世中のはかなく哀なることを聞えあはせてなきゐたるを(略)
(住吉物語~バージニア大学HPより)

後深草院の御事おほしめし出て、七月十六日、月のあかゝりけるによませ給うける 伏見院御製
かそふれは十とせあまりの秋なれと面影ちかき月そかなしき
(新後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)


古典の季節表現 七月十五日 盂蘭盆

2013年07月15日 | 日本古典文学-秋

盂蘭盆
今日とてや内蔵の司もそなふらん玉まつるてふ七月半に
盂蘭盆の事は。佛弟子目連母の在所を見て。悲みゝ此事を設けけるよし経文に侍とかや。玉まつるとは侍は。なき人に手向する心にや。玉のありかなど申。源氏物語にも玉殿などいへる。みな亡者の在所にて侍にや。鎮魂のまつりと申事は。あらぬ事にて有也。それは人の魂をしづむる義にて侍にこそ。
(年中行事歌合~群書類従)

盂蘭盆の心を 藤原隆祐朝臣
なき人の此世にかへる面かけのあはれふけ行秋のともしひ
(新続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

ともすひもたむくるみつもまことあらはたまのありかをきくよしもかな
(夫木抄~日文研HPより)

ほにの比、仏の御前にさふらひて思ひつゝけ侍ける 平親清女妹 
しるへせよくらきやみちにまよふともこよひかゝくる法の灯 
(新後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

七月十五日夜、月あかゝりけるに、舟岡にまかりて 西行法師
いかて我今宵の月を身にそへてしての山路の人を照さん 
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

 (屏風歌)十五日、瓷持たせて山寺に詣(まう)づる人
今日のため折(を)れる蓮の葉(は)をひろみ露おく山に我は来(き)にけり
(順集~「和歌文学大系52 三十六歌仙集二」明治書院)

 はちすのつほみたるを身にてなすひの恐ろしけにふしつきたるをかほにしてほうしのかたをつくりて人のおこせたりしに
極楽の蓮と身をはなすひにてうきはこの世のかほにさりける
(赤染衛門集~群書類従15)

十五六日になりぬれば盆などするほどになりにけり。見ればあやしきさまにになひいたゞきさまざまにいそぎつゝあつまるをもろともにみてあはれがりもわらひもす。
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

殿かれ給ひてのちひさしうありて七月十五日盆のことなどきこえのたまへる御かへりごとに
かゝりけるこのよもしらずいまとてやあはれはちすの露をまつらん
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

貧女盂蘭盆歌事
今は昔、七月十五日、いみじう貧しかりける女の、親のためのことをえせで、薄色の衣(きぬ)の表(おもて)を解きて、ほときに入れて、蓮の葉を上に覆ひて、愛宕(おたぎ)に持て行きて、拝みて去りにけるを、人の寄りて見ければ、蓮の葉に書きつけける、
たてまつる蓮(はちす)の上の露ばかり志をもみよの仏に
(古本説話集~講談社学術文庫)

右衞門尉なる者の えせ親をもたりて、人の見るにおもてぶせなど、見ぐるしう思ひけるが、伊豫國よりのぼるとて、海に落し入れてけるを、人の心うがり、あさましがりけるほどに、七月十五日、盆を奉るとていそぐを見給ひて、道命阿闍梨、
わたつ海に親をおし入れてこの主のぼんする見るぞあはれなりける
とよみ給ひけるこそ、いとほしけれ。
(枕草子~バージニア大学HPより)

かくて阿弥陀堂には、今日孟蘭盆講せさせたまへば、いみじく尊くあはれに聞しめす。御堂にみな参らせたまひつつ、仏をも御堂をも見たてまつらせたまふに、いみじく尊くめでたく思しめさる。供養の日などは、いともの騒がしければ、心のどかにもえ見たてまつらせたまはぬに、いとうれしく思しめさる。殿の御前、御堂御堂の僧ども召して、御誦経ども申し上げさせたまふ。宮々、督の殿、おのおの絹五十疋づつ、御誦経にせさせたまふ。(略)
さて還らせたまひぬれば、この殿ばら、やがて御堂の簀子に、御円座にゐさせたまひぬ。さるべき御果物、御御酒などまゐらせたまふほどに、やや御土器過ぎて、しばしこそあれ、みな酔ひ乱れたまひて、御畏りなきまでなれば、「いと不便なることなり。まかでて夜さりの御送りどもにこそまゐりはべらめ」など申させたまふ。殿の御前、「今日の御供に仕うまつりたまへる人々には、さるべくしるしはべらんこそよからめ。なべてのことはいと便なくはべらん。昨日みなこと尽きにしかども、ただ御車の内に見えつる御衣どもやよくはべらん」と聞えさせたまへば、奉りたる御衣どもをみな取り出でさせたまひつつ、 疎くおはするにも睦じきにも、みな奉らせたまふ。色、匂、薫なべてのにあらず。これをいみじく酔ひ乱れたまへるに、しどけなく引き掛けつつ、さうどきたまふ御有様ども、昨日うるはしかりしことどもにもまさり、今めかしくをかしう見えたるに、御声どもさまざまなるに、文集の楽府の文をおぼえたまふ。「織る者は何人ぞ、衣る者誰ぞ。越渓寒女、漢宮姫なり。広裁衫袖長製裾。金斗熨波刀剪雲。春衣一対直千金。汗沾粉汚不再着(広きをば衫袖に裁ち、長きをば裾に製つ。金斗波を熨して、刀雲を剪る。春の衣一対、直千金。汗に沾ひ粉に汚れて、再び着ず)」など、さまざまの御声どもに誦じたまふも、耳に留まりてめでたく聞ゆ。人にとらすれば本意なくかたじけなしとて、みなおのおの被きつつぞ引き乱れて出でたまふほどは、「土に曳き泥を踏んで、惜しむ心無し」とにこそありけれと見ゆ。かくて乱れよろぼひたまふほど、絵にかかまほしくをかしうなん。
(栄花物語~新編日本古典文学全集)

十四日、壬辰、昨日有大将饗事云々、今日益〔盂〕蘭盆供如例、従今日四ケ日物忌、
(小右記【永祚1年7月14日】条~東京大学史料編纂所HP・古記録フルテキストデータベースより)

(長和五年七月)十五日、丁巳。
大内(後一条天皇)の御盂蘭盆供は、内蔵寮から円教寺に送った。三条院の御盆供は、御前に召さなかった。私もまた、拝さなかった。韮気があったからである。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

十五日 庚寅 盂蘭盆ヲ迎ヘテ、勝長寿院ニ於テ、万灯会ヲ行ハル。仍テ二品并ニ御台所、渡御シタマフ是レ二親以下ノ尊霊得脱ノ奉為ナリト〈云云〉。
(吾妻鏡【文治二年七月十五日】条~国文学研究資料館HPより)

十五日 丁卯 今日ハ盂蘭盆ノ間、二品勝長寿院ニ参リ給フ。万灯会ヲ勤修セラル、是レ平氏滅亡ノ衆等ノ黄泉ヲ照ラサンガ為ト〈云云〉。
(吾妻鏡【建久元年七月十五日】条~国文学研究資料館HPより)

十四日、晴、有一献、自内裏被進一献令祝着、次若宮・姫宮達、天王寺・入江殿御盃等重畳数献、祝 着無極、前宰相・源宰相・行豊・隆富等朝臣以下皆祗候、灯炉面々進、自分一〈富士牧〔巻〕狩、〉・若宮一〈金打、〉・前宰相一〈屏風、〉・行豊朝臣一〈輪蔵、〉・隆富朝臣一〈切子、〉・重賢一〈色紙二、〉・経秀一〈毛灯炉、〉・永親一〈小切子、〉有其興、盂蘭盆水之儀如例、
(看聞日記【永享7年7月14日】条~東京大学史料編纂所HP・古記録フルテキストデータベースより)

十四日、晴、盂蘭盆看経如例、自公方灯炉〈芳〔吉〕野山風情、〕宮御方〈へ〉被進、殊勝風情握翫無極、
(看聞日記【永享8年7月14日】条~東京大学史料編纂所HP・古記録フルテキストデータベースより)


古典の季節表現 秋 露

2013年07月14日 | 日本古典文学-秋

(寛弘二年七月)十日、丙辰。
外記庁に参った。外記政が行なわれた。右大弁が初めて南所申文(なんしょのもうしぶみ)を担当することになっている。そこで座を起(た)って、内裏に入った。「御書所(ごしょどころ)に補すべき学生(がくしょう)九人に、弓場殿(ゆばどの)において試(し)を行なった。『秋草の露を珮(はい)とする』〈含を韻とした。七言は八韻である。〉を、巳剋に題として賜わった」と云うことだ。申剋、詩を献上した。
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)

露蘭叢(らんそう)に滴(しただ)つて寒玉(かんぎよく)白し 風松葉(しようえふ)を銜(ふく)んで雅琴(がきん)清し
(和漢朗詠集~岩波・日本古典文学大系)

題しらす 西行法師
あはれいかに草はの露のこほるらん秋風たちぬ宮きのゝ原
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

ゆふくれはあきかせわたるあさちふのをののしのはらつゆこほるらし
(嘉元百首~日文研HPより)

野草帯露といへる事をよめる 太宰大弐長実
まくすはふあたの大野の白露を吹なはらひそ秋のはつ風
(金葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

白河院鳥羽殿におはしましける時、野草露繁と云事を 修理大夫顕季
うつらなくあたの大野のま葛原いく夜の露に結ほゝるらん
(新拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより
白河院にて、野草露繁といへる心をおのこともつかうまつりけるに 贈左大臣長実
秋の野の草葉をしなみをく露にぬれてや人の尋行らむ 
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

詠露
秋萩に置ける白露朝な朝な玉としぞ見る置ける白露
(万葉集~バージニア大学HPより)
さを鹿の朝立つ野辺の秋萩に玉と見るまで置ける白露
(万葉集~バージニア大学HPより)

延喜御時うためしけれは たゝみね
秋のゝにをく白露をけさみれは玉やしけるとおとろかれつゝ
(後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

延喜御時うためしけれは 文屋朝康
白露に風の吹しく秋の野はつらぬきとめぬ玉そちりける
(後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

寛和元年内裏歌合に、露 花山院御製
荻の葉にをける白露玉かとて袖につゝめとたまらさりけり
(続千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

よひよひにあきのくさはにおくつゆのたまにぬかむととれはきえつつ
(是貞親王家歌合)

秋歌とて 藤原為守女
秋そかしいかにあはれのとはかりにやすくもをける袖の露哉
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

左大臣の家にてかれこれ題をさくりて歌よみけるに、露といふもしをえ侍て ふちはらのたゝくに
我ならぬ草はも物はおもひけりそてより外にをける白露
(後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

秋くれは露やいかにとおきそめて夜はにかたしく袖ぬらすらん
(建長八年九月十三日・百首歌合~日文研HPより)

逢ふにかふる梅壺の女御
物思ふ袖の涙にうち添へていたくな置きそ夜半の白露
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

たいしらす 相模
我袖をあきの草葉にくらへはやいつれか露のをきはまさると
(後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

八月ばかり、女のもとにたたずみて、笛を吹き侍りける 露分けわぶる右大将
思ひ知る人に見せばや浅茅生の露分けわぶる袖の気色を
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

秋萩の上に白露置くごとに見つつぞ偲ふ君が姿を
(万葉集~バージニア大学HPより)

ゆふくれのまかきのはきのうへにおくつゆのかことのみたれてそおもふ
(壬二集~日文研HPより)

かつらのみこにすみはしめけるあひたに、かのみこあひおもはぬけしきなりけれは さたかすのみこ
人しれす物思ふころのわか袖は秋の草はにおとらさりけり
(後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

寄露恋 前大納言良教
我恋は草葉にあまる露なれやをき所なく身を歎くらん
(新拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

夕置きて朝は消ぬる白露の消ぬべき恋も我れはするかも
朝な朝な草の上白く置く露の消なばともにと言ひし君はも
(万葉集~バージニア大学HPより)

百首歌奉りし時、寄篠恋 入道二品親王法守
玉さゝの葉分の露の消ぬへく思ふとまてはしる人やなき
(新拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

庭草露と云ことを 如願法師
ふみわけてたれかはとはん蓬生の庭も籬も秋のしら露
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

みかど久しう訪(と)はせ給はりざりけるによませ給ひける うたた寝のきさいの宮
秋の夜の草葉におきて明かせども露あはれとて訪ふ人もなし
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

おとこにわすられてなけきけるころ、八月はかりに、まへなる前栽の露をよもすからなかめてよめる 赤染衛門
もろともにおきゐる露のなかりせは誰とか秋のよをあかさまし
(詞花和歌集~国文学研究資料館HPより)

世中はかなき事おほく聞えける比、前栽の露を風の吹みたしけるを見て 従三位為子
人の世は猶そはかなき夕風にこほるゝ露はまたもをきけり
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

亭子院の御前の花の、いとおもしろくあさ露のをけるを、めしてみせさせ給て 法皇御製
白露のかはるもなにかおしからんありての後もやゝうき物を
(後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

中務にかゝせられける御草子のおくに、玉さゝのはわけにやとる露はかり、とかきて侍けれは 天暦贈太皇太后宮
みれとなを野へにかれせぬ玉さゝの葉分の露はいつもきえせし
(続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

たまささのはわきにおけるしらつゆのいまいくよへむわれならなくに
(古今和歌六帖~日文研HPより)

題知らず 夢路にまどふ大納言女
よしやただ幾世もあらじ笹の葉に置く白露にたぐふ身なれば
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

題しらす 中務
うへてみる草葉そ世をはしらせけるをきてはきゆるけさの朝露
(拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

今はただ消ゆべきものをしら露の何にこころを思ひおくらむ
(如願法師集)

中宮かくれ給てのとしの秋、御前の前栽に露のをきたるを、風の吹なひかしたるを御覧して 天暦御製
秋かせになひく草葉の露よりもきえにし人をなにゝたとへん
(拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

御服におはしましけるころ、人の返り事に 寝覚の中宮
さらでだに涙ひまなき墨染の袖に置き添ふ秋の夕露
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)


古典の季節表現 七月

2013年07月08日 | 日本古典文学-秋

さても七月の七日は天上にあまの川とてふかくひろき川あり
一とせにただこよひばかり牽牛(けんぎう)織女(しょくぢょ)のあふ夜なれば
かささぎのもみぢの橋をわたしてちぎりふかきなかだちをなすとかや
乞巧奠(きかうでん)とて人みなこよひは七夕まつりするもなまめかし
五色(しき)の糸を針にさし衣をかしくたなばたつめに事をいのるもさら也
九日十日六たうといふところにまうでてまつるべきしやうりやうをむかふもけしからずみゆ
十四日よりは寺にせがきのくやうあり
町には聖霊(しやうりやう)のたなをかざり百味のそなへもの十六日までいとなむもたうとし
家々のかどにはいろいろのとうろうに火をともしむかしよりある事にてわかき人みなたち出てをとりをするもたえぬ見物ならずや
たれとはしらずほうかぶりして柳の腰たをやかにうちふり哥のふししめやかにうたひつれたるは夜目にみるからうつゝごころになりぬ
(佛教大学図書館デジタルコレクション「十二月あそひ」より)


古典の季節表現 七月七日 七夕

2013年07月07日 | 日本古典文学-秋

天の川水蔭草の秋風に靡かふ見れば時は来にけり
天の川楫の音聞こゆ彦星と織女と今夜逢ふらしも
天地の 初めの時ゆ 天の川 い向ひ居りて 一年に ふたたび逢はぬ 妻恋ひに 物思ふ人 天の川 安の川原の あり通ふ 出の渡りに そほ舟の 艫にも舳にも 舟装ひ ま楫しじ貫き 旗すすき 本葉もそよに 秋風の 吹きくる宵に 天の川 白波しのぎ 落ちたぎつ 早瀬渡りて 若草の 妻を巻かむと 大船の 思ひ頼みて 漕ぎ来らむ その夫の子が あらたまの 年の緒長く 思ひ来し 恋尽すらむ 七月の 七日の宵は 我れも悲しも
(万葉集~バージニア大学HPより)

十年七月七日之夜獨仰天漢聊述懐一首
織女(たなばた)し舟乗りすらしまそ鏡清き月夜に雲立ちわたる
 右一首大伴宿祢家持作
(万葉集~バージニア大学HPより)

題しらす 読人不知 
久方のあまのかはらのわたしもり君わたりなはかちかくしてよ
(古今集~日文研HPより)

天(あま)の河今宵ながめぬ人ぞなき恋の心を知るも知らぬも
(和泉式部集~岩波文庫)

題しらす 清輔朝臣
思ひやる心もすゝし彦星の妻まつよひの天の川風
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

かくて、七月七日になりぬ。賀茂川に、御髪(みぐし)すましに、大宮より始め奉りて、小君たちまで出で給へり。賀茂の川辺に桟敷うちて、男君達おはしまさうず。その日の節供、川原にまゐれり。君達御髪(ぐし)すましはてて、御琴しらべて、七夕に奉り給ふほどに、(略)
(宇津保物語~岩波・日本古典文学大系)

 七月七日ひきたりける糸にくものすかきけるをみて
さゝかにのもろてにいそく七夕のくもの衣はかせやふく覧
 といふかへし
七夕の(イ:ひこほしの)くへき宵とやさゝかにのくものいかきもしるくみゆ覧
(実方朝臣集~『群書類従 14』)

七月七日
たなばたにけさひくいとのつゆをおもみたはむけしきをみでややみなん
(蜻蛉日記・巻末家集~バージニア大学HPより)

七月七日、いと疾(と)う起きて
織女に心をおけば朝ぼらけただわがごとや露もおくらん
同じ頃、糸をいたう高う引きて、青き紙を杉の葉に結びつく
七夕によきもあしきも織れとてぞ空にかけたるくものいとすぢ
(和泉式部続集~岩波文庫)

 (七夕をよめる) 藤原資隆朝臣
年をへて何を織らん棚機のあはぬなけきをたてぬきにして
(月詣和歌集~続群書類従14上)

七月七日は曇り、夕がたは晴れたる空に月いとあかく、星のすがた見えたる。
(枕草子~バージニア大学HPより)

尚侍貴子四十賀、民部卿清貫し侍ける屏風に、七月七日たらひに影見たる所 伊勢
めつらしくあふ七夕はよそ人も影みまほしき夜にそ有ける(イ空にそ有ける)
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

きかばやなふたつの星の物がたりたらひの水にうつらましかば
(建礼門院右京大夫集~岩波文庫)

七月七日かちのはにかきつけ侍ける 上総乳母
天河とわたる舟のかちのはにおもふことをもかきつくるかな
(後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

 七夕筆
秋にとるかちの七葉とみゆるより露に染たる水くきの跡
(為重卿集~群書類従14)

くさのうへのつゆとるけさのたまつさにのきはのかちはもとつはもなし
(壬二集~日文研HPより)

乞巧奠の心を 入道前太政大臣
庭の面にひかてたむくることのねを雲ゐにかはす軒の松風
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

おなし御時御屏風、七月七日夜、ことひく女あり 源したかふ
ことのねはなそやかひなき織女のあかぬわかれをひきしとめねは
(拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

 七月七日。中ぐうの御まへにせんざいにむらごのいとをひきて。いろいろのたまをつらぬきたり。よしみん人はとみかどのよませ給けんは。かくおもひより給ふ人のなかりけるにや。にようばう
  しらつゆも玉をみかきてちよふへきあきのみやにはつきせさりけり
  ゆきあひのそらよりをけるつゆなれはことにたまをばみかくなりけり
  たなはたのいとにひかれてたまさかにかくきえのこるつゆもありけり。
(栄花物語~国文学研究資料館HPより)

暮れぬれば、乞巧奠の火の光、水にうつろひて景色殊におもしろし。琴柱たてよ、洞院宰相中將なり、會のしるしと珍しくや、七夕つめも思ひやられて、
手向けおくたまの小琴(をごと)も此のあきは七夕つめのいかに聞くらむ
この秋はたなばたつめに手向けおく玉の小琴に音もや添ふらむ
たむけする空だきものに如何ばかり天のはごろも袖かをるらむ
權大納言參らせ給うて、御語(おんかたり)あり。前大納言殿琵琶、琴は女御の御方の權大納言殿、洞院宰相中將、笛、花山院中納言殿、伯少將やすなか、拍子、綾小路少將。御(おん)樂果てぬ。心のうち靜り果てて、月見む、といひて、女御の御方に忍びて、御琵琶彈かせ給ふ。
(中務内侍日記~有朋堂文庫「平安朝日記集」)

七月七日、きかうでんの夜、頭中將、事ども奉行す。あさがれひにて、こう當の内侍、ことぢたてられて、ちとかきならしていだされしこそ、いとおもしろかりしか。「頭中將奉行がらにや、今宵の雨もしめやかにふる。」など、人々おほせらるれば、少將内侍、
しめじめと今宵の雨のふるまひに奉行の人の氣色をぞしる
など申せば、大納言殿ことにけうじて、わらひ給ふもをかし。ことゞもよくなりて、うへの御つぼねより二間にてみれば、ともし火の影かすかなるもおもしろくて、少將内侍、
ともし火のかげもはづかし天河あめもよにとや渡りかぬ覽
返し、辨内侍、
星あひの光はみせよ雲ゐよりくもゐはちかしかさゝぎの橋
(弁内侍日記~群書類從)

  七夕には、梶の葉の七首たむけ侍れど、書とむるにおよばず、阿波守の家にて一続有しに、待七夕
待(ま)ち遠き年にはたへて天津星今日の暮行程や久しき
  七夕雲
七夕の逢夜の床の天津風まれにや雲の塵払ふらん
  七夕霧
さす花の挿頭(かざし)も領巾(ひれ)も錦(にしき)裁つ霧のまぎれの天の河風
  七夕橋
河橋や帰る涙の村雨にぬれて星合の秋の紅葉ば
  七夕衣
織女の織るや五百機(はた)たてぬきは露霜知らぬ天の羽衣
  七夕船
君に行綱手(つなで)も急げ川波にいやのりうけぬ天の岩舟
(草根集~「和歌文学大系66」明治書院)

百首歌たてまつりける時、七夕 入道二品親王法守
九重の庭のともしひ影ふけて星合の空に月そかたふく
(新拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

ふけゆけはほのかになりぬたなはたにたむくるよはのにはのともしひ
(嘉元百首~日文研HPより)

天平六年七月丙寅(七日)、天皇、相撲(すまひ)の戯(わざ)を観(みそなは)す。是(こ)の夕、南苑に徒(うつ)り御(おは)しまして、文人に命(おほ)せて、七夕(しちせき)の詩を賦(ふ)せしめたまふ。禄賜ふこと差(しな)有り。
(続日本紀~新日本古典文学大系13)

寛弘元年七月七日、己丑。
今日の夕方、召しによって、内裏に参った。作文会(さくもんかい)が行なわれた。「七夕の秋意」の題である。
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)

七夕の、 織る糸竹の 手向け草、 いく年経てか かげろふの、 小野の小町の 百年(ももとせ)に、 及ぶや天(あま)つ 星逢ひの、 雲の上人に 馴れ馴れし、 袖も今は 麻衣(あさごろも)の、あさましや 痛はしや、 目も当てられぬ 有様(ありさま)。
とても今宵は 七夕の、 とても今宵は 七夕の、 手向けの数も 色々の、 あるいひは 糸竹に、 かけて巡らす 杯の、 雪を 受けたる、 童舞の袖ぞ 面白き
星祭るなり 呉竹の。 代々を経て住む 行く末の。 いく久しさぞ 萬歳楽。
(謡曲・関寺小町~岩波・日本古典文学大系41「謡曲集 下」)

ワキ、ワキツレ二人次第「待ち得て今ぞ秋に逢ふ。待ち得て今ぞ秋に逢ふ。星の祭を急がん。
ワキ詞「これは江州関寺の住僧にて候。今日は七月七日にて候ふ程に。七夕の祭を取り行ひ候。又この山陰に老女の庵を結びて候ふが。歌道を極めたる由申し候ふ程に。幼き人を伴ひ申し。かの老女の物語をも承らばやと存じ候。
ワキ、ツレサシ「颯々たる涼風と衰鬢と。一時にきたる初秋の。七日の夕に早なりぬ。
ワキ「今日七夕の手向とて。糸竹呂律の色々に。ツレ「ことを尽して。ワキ「敷島の。
ワキ、ワキツレ二人歌「道を願の糸はへて。道を願の糸はへて。織るや錦のはた薄。花をも添へて秋草の露の玉琴かき鳴らす。松風までも折からの。手向に叶ふ。夕かな手向に叶ふ夕かな。
(謡曲「関寺小町」~謡曲三百五十番)

延喜十六年七月七日亭子院殿上の歌合に 読人しらす
別れてはわひしき物を彦星の昨日今日こそ思ひやらるれ
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

橘としつなの、ふし見の山庄にて、七夕後朝の心をよめる 藤原顕綱朝臣
七夕のまちつるほとのくるしさとあかぬ別といつれまされる(イいつれまされり)
(詞花和歌集~国文学研究資料館HPより)

かさねてもなほや露けきほどもなく袖わかるべき天(あま)の羽衣
天の河こぎはなれゆく舟の中のあかぬ涙の色をしぞ思ふ
(建礼門院右京大夫集~岩波文庫)

七夕後朝の心をよみ侍ける 八条院高倉
むつこともまたつきなくに秋風にたなはたつめや袖ぬらすらん
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

八日の朝よませ給ける 延喜御製
彦星のわかれて後の天河おしむ涙に水まさるらし
(続後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

 花山院の御庚申(かむし)に、七月七日、たなばた
としごとにまつもすぐるもくるしきに秋はこよひのなからましかば
(惟成弁集~「惟成弁集全釈(私家集全釈叢書32)」風間書房)