十二月
心せはしき此(この)大晦日 やのさいそくに掛(かけ)とりが 弓のちやうちん 手に持(もち)て ぐるりぐるりとまはりくる あとにつゞいて やくはらい おやくはらいと 掛取(かけとり)と 行(ゆき)ちがふたる 大晦日 おやくはらいは よけれども はやくはらいに こまります
(とっちりとん「十二ヶ月」~岩波文庫「江戸端唄集」)
「門(かど)の松」という用語の古い用例として、日本国語大辞典では「世諺問答」(1544年)をあげていますが、100年以上さかのぼる用例があります。
山家歳暮
山里のとしのくれこそあはれなれ人のたてたる門の松かは
(宗良親王千首・597)
『新編国歌大観 10巻』角川書店、平成4年、55ページ
「指を折る」という用語には「指を一本ずつ曲げて、物を数える。」という語釈があり、日本国語大辞典・第二版では、『日葡辞書』(1603-04年)からの例が早いのですが、130年ほどさかのぼる用例があります。
年欲暮
とにかくに暮るる日数をしたふかなわが年程のゆびを折りつつ(10・草根集、6389)189ページ
夜懐旧
さきだつはゆびををりても数しらず鴫よなにぞの夜はの羽がき(10・草根集、10314)251ページ
『新編国歌大観 第八巻 私家集編4 歌集』角川書店、1990年
ありつるながらなほ見出だし給へるに、雪さへ降る。(略)鵲(かささぎ)もまことに寒げに首(くび)引き入れて、洲崎(すざき)はここにも見えねばにや、波寄せかくる岩の上にぞゐたる。暮れ果ててむかひの山の峰には、星の光すさまじげに輝きながら、雪はなほ降る。風吹き迷ひ、松風木(こ)深く響きて、この軒(のき)へ吹き下(お)ろす。山颪(やまおろし)のはしたなきに、雪も散り来て屏(びやう)に当たる。
師走の二十日あまりなれば月もなし。(略)
(恋路ゆかしき大将~「中世王朝物語全集8」笠間書院)
十二月廿五日、宮の御仏名にめしあれば、その夜ばかりと思てまいりぬ。しろききぬどもに、こきかいねりをみなきて、四十余人ばかりいでゐたり。しるべしいでし人のかげにかくれて、あるが中にうちほのめいて、あか月にはまかづ。ゆきうちちりつゝ、いみじくはげしくさえこほるあかつきがたの月の、ほのかにこきかいねりのそでにうつれるも、げにぬるゝかほなり。みちすがら、
年はくれ夜はあけがたの月かげのそでにうつれるほどぞはかなき
(更級日記~バージニア大学HPより)
さて仏名果てぬれば公卿、殿上人、御上臥とて局(つぼね)の番に泊り給ふ。頭の中将は折節、内侍が局の番にて、夜の御衾召し寄せて内侍が局に泊り給ふ。侍従、姫君、御簾を隔てて中将殿と枕合せに寝給ふ。有明の月影やうやう山の端に傾きて、夜もすがら降る白雪、更け行まゝに冴えまさり、心澄みて面白かりければ、中将腰より横笛(やうでう)取り出し、盤渉調に音取りして、朗詠をぞし給へる。
暁、梁王の苑に入れば、雪群山に満つ。夜、庾公が楼に登れば、月千里に明らかなり
とニ三遍し給ひて、優しく恨み声なる嘯(せう)をぞ遊ばしける。雲の上まで澄み上り面白くぞ覚ゆる。
御門夜もすがら聞こしめして、ほのぼのと明けければ、清涼殿の組入の小廂のもとに御門立たせ給ひて「さねあきら」と召さるれば、御簾の際をも起き別れ清涼殿へ参らるゝ。姫君の御心の内の悲しさは譬へん方ぞなかりけり。さらぬだにも冬の夜の曙の空ははかなきに、夜もすがら雪降り積もりて皆白妙に見ゆるに、(略)
(しぐれ~岩波・新日本古典文学大系55 室町物語集 下)
よの人は、すさましき物にいいふるしたるしはすの月も、みる人からにすみわたりて、雪すこしふりたるそらのけしきのさへわたりたるは、いいしらす心ほそけなるに、さよ千鳥さへつまよひわたるに、(略)この宮におはしたれは、みかとなとしたふむる人もなきにやと、見わたし給ふに、ときわかぬみ山きも物こくらく物ふりたるにたつねよるにや、ものあらしもほかよりは物あはれけにふきまよひて、雪かきくらしふりつもるにはのおもは、人めも草もかれはてて、おなし宮この中ともみへす、心ほそさもあまるに、(略)
けんしの宮の御かたにも、つねよりもとくおきたるけわひして、ふりつもりたるゆき見るなるへし。そなたの、わたとのよりみ給へは、わかきさふらひとも、五六人はかりしてゆきまろはしするをみるとて、とのいすかたなるわらはへなとのいてたるあまたねくたれのかたちともいるれともなくとりとりにおかしけにて、ふままくをしき物かなといへは、みすのうちなる人人もこほれいてて、おなしくは、ふしの山にこそつくらめといゑは、こしのしら山こそあむめれといふめり。御まへにはおきさせ給てやとゆかしけれは、すみのまのしやうしのほそめなるより、やおらみ給へは、もやのきはなる御丁とももみなおしやられて、そのはしらのつらにけうそくにをしかかりてみいたさせ給へり。
(狭衣物語~諸本集成第二巻伝為家筆本)
さて、冬枯のけしきこそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。汀の草に紅葉の散りとゞまりて、霜いと白うおける朝、遣水より烟のたつこそをかしけれ。年の暮れはてて、人ごとに急ぎあへる比ぞ、又なくあはれなる。すさまじきものにして見る人もなき月の、寒けく澄める廿日あまりの空こそ、心ぼそきものなれ。御佛名、荷前の使たつなどぞ、あはれにやんごとなき。公事ども繁く、春のいそぎにとり重ねて、もよほし行はるゝさまぞいみじきや。追儺より四方拜につゞくこそ面白けれ。つごもりの夜、いたう暗きに、松どもともして、夜半すぐるまで人の門たゝき走りありきて、何事にかあらん、ことごとしくのゝしりて、足をそらにまどふが、曉がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年の名殘も心細けれ。なき人のくる夜とて魂まつるわざは、此の比都にはなきを、あづまのかたにはなほする事にてありしこそ、あはれなりしか。
(徒然草~バージニア大学HPより)
ゆきつもるのはらにうつむあしかきのひとよのほとのはるそまちかき
(夫木抄~日文研HPより)
雪のふるをみてよめる 紀貫之
春ちかくなりゆくまゝにおほそらははなをかねてそ雪はふりける
(金葉和歌集(初度本にありて底本になき歌)~国文学研究資料館HPより)
十二月つごもりがたに、身の憂きを嘆きて
雪だにも花と咲くべきみにもあらでなにをたよりと春を待つらん
(貫之集~「貫之集全釈」風間書房)
かたをかのまつきるしつかをののおとにとしくれはつるかきりをそしる
やまさとのとしのくれこそあはれなれひとのたてたるかとのまつかは
(宗良親王千首~日文研HPより)
禪師の君久しく痢病をわづらひたまひて今は頼み少し と聞き驚きまゐらせて、しはすの二十日あまり五日の日鹽ねり坂を凌ぎてまうでしを、いといたう喜び給ひて此の雪にはいかでとのたまひしかば「さす竹の君を思ふと海士のつむ鹽ねり坂の雪ふみて來つ」御返し
心なきものにもあるか白雪は君が來る日に降るべきものか
(良寛歌集~バージニア大学HPより)
今年は深鎩(ふかそぎ)あるべきを、永福門院に聞ゆべうやなど思ふ程に、年の内に御覧ずべき由(よし)侍れば、わざともさるべきにて、十二月廿八日に北山におはします。二位殿、具し聞え給。女房もあまた参る。紅梅の二衵(唐織物、青き単)、三小袖(白に唐織物)。(略)
(竹むきが記~新日本古典文学大系)
その年の暮に、御方違の御幸(かう)あり。女院の御方へ内〃成らせ給ふ儀なれど、設けの事どもは本所の沙汰也。主(あるじ)も参り給。萌葱の水干(唐織物)。次の日、南庭の方御覧侍に、無量光院の垂氷(たるひ)、玉を連ねたる心地して、いと珍かなればにや、取らせさせ給て。硯の蓋召して、氷襲の薄様を敷きて出だす。寝殿の西の間、御簾上げられて御酒(みき)あり。透(すき)渡殿通りなる松の大枝、雪に折れにしかば、切口なるを、「などかくはなりぬるにか」とのたまはすれば、取りあへずありし様を申給へるを、「亭主いみじく答へ聞えたる」と、いみじう興ぜさせ給ふさまも、をかしう聞ゆ。(略)
(竹むきが記~新日本古典文学大系)
(長和五年十二月)二十一日、辛卯。
夜に入って、内裏に参った。勧学院の衆の歩みがあった。饗禄(きょうろく)を下賜したことは、常と同じであった。これは摂政の慶賀のためである。日を定めなかったので、今に延期していた。(略)
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)
二十三日 己巳。晴 重胤相州ニ参ジ、御気色ヲ蒙ル事、愁歎休シ難キノ由ヲ申ス。相州仰セラレテ云ク、是非ハ始終ノ事ナル哉。凡ソ此ノ如ノ殃ニ逢フハ、官仕ノ習ヒナリ。但シ詠歌ヲ献ゼハ、定メテ快然タランカト〈云云〉。仍テ当座ニ於テ筆ヲ染メ、一首ヲ詠ゼシメラル、相州之ヲ感ジ、相ヒ伴ツテ御所ニ参リ給フ、重胤ハ、門外ニ徘徊ス。時ニ将軍家、折節南面ニ出御シタマフ。相州、彼ノ歌ヲ御前ニ披キ置カレ、重胤愁緒ノ余リニ、乃チ述懐ノ事ノ体、不便ノ由、之ヲ申サル。将軍家、御詠吟両三反ニ及ンデ、即チ御前ニ召シ片土ノ冬ノ気、枯野ノ眺望、鷹狩、雪後朝等ノ事、尋ネ仰セラル。数剋ノ後、相州退出シ給フ、重胤庭上ニ送リ奉リ、手ヲ合セ賢慮ニ依テ、免許ヲ預カリ、忽チ沈淪ノ恨ミヲ散ズ、子葉孫枝、永ク門下ニ候ズベキノ由、之ヲ申スト〈云云〉。
(吾妻鏡【建永二年十二月二十三日】条~国文学研究資料館HPより)
二十五日 戊辰。晴、 夜ニ入テ、将軍家、御方違トシテ、永福寺ノ内ノ僧坊ニ渡御シタマフ。*公民(*公氏)、御剣ヲ役ス。相模ノ式部大夫、結城左衛門ノ尉朝光、山城ノ判官次郎基行等、御共ニ候ズ。御騎馬。李部已下ハ、歩儀ナリ。縡密密ノ間、参会人無シ。彼ノ僧坊ニ於テ、*九枝ヲ挑ゲテ(*行村ノ許ヨリ獣形一合、桃九枝ヲ召サル。)、終夜*歌ノ御会有リ(*続歌)。
二十六日 己巳。晴 未明ニ、還御。而シテ御衣二領ヲ彼ノ僧坊ニ残シ置カレ、剰ヘ一首ノ*御詠ヲ副ヘラル(*御詠歌)。凡ソ此ノ御時、事ニ於テ御芳情ヲ尽サルト〈云云〉。
春待チテ霞ノ袖ニカサネヨト霜ノ衣ヲ置キテコソユケ
(吾妻鏡【建保五年十二月二十五日、二十六日】条~国文学研究資料館HPより)
このまよりかせにまかせてふるゆきをはるくるまてははなかとそみる
(貫之集~日文研HPより)
やまかけのたるひのしたにすむやとはうららにてらむはるをしそおもふ
ふるゆきになくさむへきをいととしくはなとみてしもはるそこひしき
(林葉集~日文研HPより)
依花待春といふこゝろを 内大臣
なにとなく年のくるゝはおしけれと花のゆかりに春をまつ哉
(金葉和歌集~国文学研究資料館HPより)
冷泉院御時御屏風に かねもり
ひとしれす春をこそまてはらふへき人なき宿にふれる白雪
(拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
しもがれのすすきにまじるたまざさのあをばながらに春をまつかな
(193・逸名歌集-穂久邇文庫~新編国歌大観10)
そまかはのこほりによとむいかたしやいはまのゆきにはるをまつらむ
(千五百番歌合~日文研HPより)
としの暮に琴をかきならして、空も春めきぬるにやと侍けれは 選子内親王家宰相
ことのねを春のしらへと引からにかすみてみゆる空めなるらん
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)
はるちかきかきねのうめはにほへともかすみへたてぬふゆのよのつき
(壬二集~日文研HPより)