洗心 senshin

2022,07,01.autopageからgoo blogへと移行しました。

二年前の記事。「光の未来。」

2024-03-07 19:16:24 | つぶやき

二年前の記事。

 たぶん以下は先日の不思議な写真の解読です。たぶん、雲の中には葉巻型UFOがいたのでしょう。そして下界の様子を観察していたのでしょう。そこに私がたまたま(必然......

以下は先日の不思議な写真の解読です。


たぶん、雲の中には葉巻型UFOがいたのでしょう。

そして下界の様子を観察していたのでしょう。

そこに私がたまたま(必然か)現れ

UFOの鼓動を感じ取り雲に向けてシャッターを切ったのでしょう。


それはUFOのパイロットには時間差で(事前に)

予測されるので

点灯してくれたのでしょう。


ただ私が手振れ状態でシャッターを押したので

列をなす窓の明かりなどが下方にブレて

あのような光の軌跡を描いたのでしょう。


温かい親近の想いを感じた次第です。


今度はブレない機体を写真に納めたいなと

願っています。

… … … … … 

(一年前の感想)

もう一年になるのか。
あの何とも言えない不思議な感覚。
未知の対象なのに恐怖感もなく慈愛に満ちた そしてある種荘厳な振動波。
リアルに船体は見せては貰えなかったが それはそれで良かったのかもしれない。
五感ではなく しかし確かに振動波として深層に響くUFOを感知できたのは
とても意義深い出来事だった。
いずれその時期が来れば 実際に搭乗することも可能になるだろう。

… … … … … 

(本年の感想)

今でもあの時の感覚は褪せることはない。この世のものではない感覚とリアル以上にリアルな圧倒的且つ荘厳な存在感。この事実を目の前にしてそれ以外の何を覚れというのか。いずれはUFO搭乗員である彼らとなるべくならば近い周波数帯で意思疎通したいものである。ただし それには地球人が眞の『自然クライン環』の五次元以上の共振実績を開花させなければならないようだ。虚心坦懐に顕潜統合意識の共振場を広げてゆきたいものである。












一年前の記事。「『自然聖典』。」

2024-03-07 19:02:54 | つぶやき

『自然聖典』

このブログに記録しておくことの意義とは 時々読みかえし総合意識に反芻し表層念に染まった部分があれば剥がし洗い流し 少しでも自然で純粋な量子意識に回帰できるようにするた......

このブログに記録しておくことの意義とは 時々読みかえし総合意識に反芻し表層念に染まった部分があれば剥がし洗い流し 少しでも自然で純粋な量子意識に回帰できるようにするためである。
 
私なりの自己世界での自然量子回帰行動なので 誰にでも当てはまるというものではないだろう。しかし 『人』が原初より保有する『自然クライン環』は自然神から観て平等であり過不足はない。
 
ただ 自然神の領域に到達するまでには次元を乗り超えねば共振さえ儘ならない。地球人は自然量子やその容量保持体である自然クライン環の実感が稀薄であるために『自然神』が何たるかがまず判らないのである。
 
私の場合は私なりの地道な作業で表層脳概念を超えて かといって深層意識の攪乱に溺れないように この『備忘録』を自らの『自然聖典』としているのである。多くの地球人が個々にこの作業を深め 独自の『自然聖典』を創るべきであろう。

… … … … …

ここで重要な確認をしておきたい。
言葉及び概念で『人』は創造共振場を得るのではない。眞のエーテル共振は『自然クライン環』にそれぞれが直に繋いで縦波(或いはクライン波)で根源共振場を齎すものである。言葉は精々3~4次元の意念通訳に過ぎない。それでも無いよりは遥かにマシだが 私たちの究極は『自然クライン環』なのである。 

漸くにして『人』の歴史が始まる。

2024-03-07 07:45:48 | つぶやき
物心ついて表層記憶脳情報を蓄え人類歴史を学び始めた頃 私の心魂は憂鬱な帳に閉ざされていった。物心つく前の心魂の輝きに満ちた躍動は影を潜め 天の岩戸隠しのように私の心魂は化石化を強いられたのだ。

あの頃 薄れゆく心魂の輝きの中で 表層記憶脳構築(洗脳)されつつも 私は別次元での光輝くイメージを反芻していた。それは残酷な地球歴史とは対極のパラダイスへの憧憬であった。

そうした両極端な情報の存在を懸けた闘いの中で 私なりの『自然クライン環』イメージは強靭なクライン流動を起動することに成功したようである。やがて間もなく『天戸開き』は起きる。漸くにして『人』の歴史が始まるのだ。