洗心 senshin

2022,07,01.autopageからgoo blogへと移行しました。

二年前の記事。

2024-03-14 19:26:07 | つぶやき

一年前の記事。

 では現状の人間の論理思考は知れている。例えば『神』は自然支持存在として厳存されるが人間の現状思考で再現することは不可能事である。無理に構築を挑めば偶像崇拝と......

現状の人間の論理思考は知れている。
例えば『神』は自然支持存在として厳存されるが人間の現状思考で再現することは不可能事である。無理に構築を挑めば偶像崇拝となり過去宗教群と肩を並べる。
それらを超えようとスピリチュアルに精を出しても過去概念を引き継ぐ手法である限り自然現象の支持基盤にまで到達することは無理であろう。では如何なる在り方が望ましいのか?
自然人個々固有が己らの創造基盤に立ち還り『神』の眼から地球生命圏を共有し直すことである。

… … … … … 

(一年前の感想)
過去記事の内容は その時閃いた深層イメージをその時浮かんだ言葉に託し
備忘録として残したものであるが 今こうして読み返すと言葉もそうであるが
その時深層裡に煌めいた自然神との荘厳な対話が蘇えるようである。
有難いことだ。

(今年の感想)
本当に『神』という存在が居られるとしたら 人間の平面思考で交流出来る思うのか? 否否否… 否が何個重なっても『神』に思考平面上で逢うことなど出来ない。それが判らぬほど「人間」というものは劣化してしまったのである。「人間」から『人』へ 先ずはその最低限のハードルを超えねば優良惑星人の未来は拓かれないことを胆に銘じよう




一年前の記事。「自分自身のクライン環を稼働させる。」

2024-03-14 19:14:27 | つぶやき

自分自身の自然クライン環を稼働させる。

大まかながら 見えない次元のクライン環構造が観えて来たであろうか。 地球表層脳文化では五感に訴求する流れに重きを置くため生命の深層の高次構造までを手繰り寄せた意識......

大まかながら 見えない次元のクライン環構造が観えて来たであろうか。
 
地球表層脳文化では五感に訴求する流れに重きを置くため生命の深層の高次構造までを手繰り寄せた意識生活を経験しづらいものなのだ。
 
深い次元に耽溺するもその方法は表層脳によるマニュアルならば それでは高次元もどきの平面資料によるコピー体験であり それらはまやかしの体験に過ぎない。
 
自然クライン環に深意識接続しようとするならば 表層コピー模擬体験ではなく 自分自身の原初根源にある自らの自然クライン環を稼働させることである。

… … … … … 

何度も何度も同じ言葉を繰り返し 時には角度を変え様々にイデアを鏤め『備忘録』として 例えば一里塚のように遺す意義はまさにこの一点にある。言葉は一里塚の石に過ぎない。何某かの意念を言葉に刻みモニュメントとするのは表層記憶の名残りだが 平面資料の時代は終わったのだ。

繰り返そう。
自然クライン環に深意識接続しようとするならば 表層コピー模擬体験ではなく 自分自身の原初根源にある自らの自然クライン環を稼働させることである。