現状の人間の論理思考は知れている。
例えば『神』は自然支持存在として厳存されるが人間の現状思考で再現することは不可能事である。無理に構築を挑めば偶像崇拝となり過去宗教群と肩を並べる。
それらを超えようとスピリチュアルに精を出しても過去概念を引き継ぐ手法である限り自然現象の支持基盤にまで到達することは無理であろう。では如何なる在り方が望ましいのか?
自然人個々固有が己らの創造基盤に立ち還り『神』の眼から地球生命圏を共有し直すことである。
例えば『神』は自然支持存在として厳存されるが人間の現状思考で再現することは不可能事である。無理に構築を挑めば偶像崇拝となり過去宗教群と肩を並べる。
それらを超えようとスピリチュアルに精を出しても過去概念を引き継ぐ手法である限り自然現象の支持基盤にまで到達することは無理であろう。では如何なる在り方が望ましいのか?
自然人個々固有が己らの創造基盤に立ち還り『神』の眼から地球生命圏を共有し直すことである。
… … … … …
(一年前の感想)
過去記事の内容は その時閃いた深層イメージをその時浮かんだ言葉に託し
備忘録として残したものであるが 今こうして読み返すと言葉もそうであるが
その時深層裡に煌めいた自然神との荘厳な対話が蘇えるようである。
有難いことだ。
(今年の感想)
本当に『神』という存在が居られるとしたら 人間の平面思考で交流出来る思うのか? 否否否… 否が何個重なっても『神』に思考平面上で逢うことなど出来ない。それが判らぬほど「人間」というものは劣化してしまったのである。「人間」から『人』へ 先ずはその最低限のハードルを超えねば優良惑星人の未来は拓かれないことを胆に銘じよう