愛と共にそこにある。
物理世界は特にそうなのであろうが 相互間に於いてどちらかが初動を投げかけないと反応は無いように見えるものである。実際は物質世界の内奥というか基底には十数次元に及ぶ波長......
物理世界は特にそうなのであろうが 相互間に於いてどちらかが初動を投げかけないと反応は無いように見えるものである。実際は物質世界の内奥というか基底には十数次元に及ぶ波長層の実体が存在し それらの次元層間では次元に相応した深長ネットワークがあるようだ。
吾々五体五感の惑星人には見えないだけで 感知領域外の波長層には桁違いのポテンシャルエネルギーが詰まっている。地球人は表層脳言語を駆使しその会話も姦しいが ひとたび自然と向き合うと途端に寡黙になる。人間にはまるで自然が冷徹に自分を拒否する環境のように感じられてしまうのかもしれない。
だが 大自然は『人』の生みの親(神)であり育ての親(神)である。『人』は原初からの波長系譜に於いて一瞬たりとも離れたことは無い。『人』は「人間」に堕ち『自然神』を見喪っているだけなのである。「人間」が気付き得ないだけで大然は時空間を超えて『人』(魂)を観護り続けている。
水晶も冷徹に見えるが 意念を深めればその結晶構造により波長共鳴を生ずるのだ。水はさらに意念どころか様々な想いの転写を量る。『蝶』はどうか? 自然界の妖精として自然精霊の想いさえ乗せて舞い踊ってくれるではないか。真摯に深く享けとめれば自然界は最初からあなた方のすべてを護り愛と共にそこにある。
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これは 『私』の霊質眼による『自然観』である。自然宇宙はエーテルポテンシャルに於いて ことのほか華美にして饒舌なのである。