生き祈り奉る日々。
何時から備忘録を記録し始めたのか。物心ついた頃には 何かそのような初動はあったのかもしれない。自然の中にあって 光り輝く自然への感動を思うままに顕わして 自然もその創......
何時から備忘録を記録し始めたのか。
物心ついた頃には 何かそのような初動はあったのかもしれない。
自然の中にあって 光り輝く自然への感動を思うままに顕わして 自然もその創造表現に応えてくれるのが嬉しくて まさに天国を与えられていたんだと思う。
その時 全面的に応援してくれていたのはクライン側のエネルギー体。
光り輝くエネルギー体の律動が確かに観えていたんだ。
地球の三次元世界も 自らの三次元世界も光り輝くクライン環に包まれて まさに一体同体のプラズマを共有していたように思う。
それから表層脳意識界に物心ついたが 天国の光の饗宴は三つ子の魂故に忘れられるものではない。幾つかの欠片になってしまったあの頃の光の残像を深層意識から拾い集め 遠い記憶に照らし合わせ わずかに残った光の残像を辿り 何とか原初光を復元させたいと冀(こいねが)い生き祈り奉る日々なのである。
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『人』は三位が厳存し『自然クライン環』が齎すエネルギー体の脈動ある故にこのような天国体験が与えられたのであろう。この実体験を正当に原初解析して生きるのか はたまた表層記憶脳価値に身を任せるのか 『人』と「人間」の生き方の相違になって来るのだろう。
私としてはすでに低次元文化として結果の出ている牢獄の数千年より 未だ観ぬ潜在界の創造原初の『光』に倣う道の方が遥かに高次惑星文明の実現が速いと思うのであるが如何であろう!