洗心 senshin

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一年前の記事。「『絶対神』について。」

2024-05-07 22:13:57 | つぶやき

『絶対神』について。

いつも述べている『絶対光』とは『絶対神』と言い換えても良い。絶対光とは物質光を超えての霊質光を更に超えるであろう十数次元究極の『光』である。あらゆる次元性質の光を超え......

いつも述べている『絶対光』とは『絶対神』と言い換えても良い。絶対光とは物質光を超えての霊質光を更に超えるであろう十数次元究極の『光』である。あらゆる次元性質の光を超えて 大クラインの究極に位置する『光』である。
 
あらゆる生命の原初光であるから それは単純に絶対神と言い換えても矛盾は起きない。ただし絶対値をつけない「神」は対象外である。ここはまことに難しいところなのだが 波長次元の介在する生命波長層は原初よりそういう構造なのである。
 
蛇足だが 唯一神という呼称も『絶対神』とは異なるものである。また唯一神であろうと多神であろうと表層脳概念に人為に設えた擬人化神は『絶対神』には遠く及ばない三次元の妄想形骸なのである。

… … … … …

言葉に纏めにくい内容をよくぞ言葉に出来たと思う。吾ながら備忘録の凄みと醍醐味を感じた次第である。最高の理想はこれらの内容を概念平面に描く習慣から抜け出て クライン環のスクリーンに共振させることである。
 

一年前の記事。「自覚を持ち自在に駆け巡る。」

2024-05-07 22:03:01 | つぶやき

自覚を持ち自在に駆け巡る。

面倒な理解であるが このゾーンを矛盾なく超えられないと自然を楽しむことは出来ないし 自然そのものである自らの魂心体をその自然意図のままに謳歌出来ない。 三次元......

面倒な理解であるが このゾーンを矛盾なく超えられないと自然を楽しむことは出来ないし 自然そのものである自らの魂心体をその自然意図のままに謳歌出来ない。
 
三次元パーツ乃至は三次元器械に重きを置き その次元での詳細な説明を蓄えたとしてもそれらを高次意図に於いて使いこなせなければ それらはガラクタ同然である。
 
大自然の小路を自転車に跨り颯爽と乗り回してこその 器械操作の醍醐味である。乗れもしない器械の蘊蓄を如何ほど垂れても それらは高次元創造とは別物である。
 
『人』たるもの 表層脳平面の情報に篭絡されず 内在せる自然量子ネットワークを駆使し 自然神の観定め給うた森羅万象を神の代行者たる自覚を持ち自在に駆け巡るのだ。

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物事を面倒にしているのは表層記憶脳に染み付いた平面価値という護符である。この価値に味をしめ平面優先に意識を固化させ 魂心体の三位のクライン環バランスを観誤るのである。

『人』たるもの 表層脳平面の情報に篭絡されず 内在せる自然量子ネットワークを駆使し 自然神の観定め給うた森羅万象を神の代行者たる自覚を持ち自在に駆け巡るのだ。

昇華あるのみ。

2024-05-07 12:23:17 | つぶやき
「魔女狩り」ならぬ「言葉狩り」が行われる地球はまだまだ不良星と云わざるを得ない。魔女狩りは更に酷く まさに地獄を導く様相である。善人を魔女と決めつけ火炙りになすなど言語道断 鬼畜を超え悪魔の為す所業である。

近年まで 地球の「人間」はこの悪行を繰り返して来た。現実の魔女裁判も魔女処刑もさすがに今はないが 「言葉狩り」は表層意識界ではざらにあるだろう。
『自然クライン環』に『人』と「人間」の意識層周波数の相違を写し取れば あざといその魂胆が観えて来る。

騙されてはならない。すべからく「人間」の殻を浄化し『人』への昇華あるのみである。