洗心 senshin

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一年前の記事。「深層三位の『己』を取り戻す。」

2024-07-05 18:05:53 | つぶやき

深層三位の『己』を取り戻す。

量子力学が出て来たから形而上学もあの世のことどもも この世の科学で完結できると思いたいのはよく分かる。私とて教科書一冊で大自然の神秘まで表層脳学習出来たら便利この上な......

量子力学が出て来たから形而上学もあの世のことどもも この世の科学で完結できると思いたいのはよく分かる。私とて教科書一冊で大自然の神秘まで表層脳学習出来たら便利この上ないと真剣に思う。
 
しかし 真実はそうではないのである。どのような呼び名を考え方程式を繋ぎ合わせようとも その方程式が直接量子に反応するなんてことはない。どこまで試行錯誤しても二次元記号の羅列に過ぎない。既に有りて在る『自然量子』の介在により森羅万象は創造原初からのポテンシャルを汲み出すように出来ているのだ。
 
あらゆる科学もあらゆる哲学も宗教も表層脳記憶の玩具であったことが この大正転期に図らずも露呈している。地球人が真理と崇め讃えて来たものが 実は玩具ならぬガラクタであったと臍を噛む日は近いようである。そんな日が来る前に惑星人として目覚め 眞の深層三位の『己』を取り戻さねばならないのである。
方法については これまで縷々述べて来た通りである。

… … … … … 

この『創造根源』に繋げない悲劇のために 刻苦勉励頭脳酷使の論文も眞の『自然神』の前には虚しく空を切る羽目に陥って来たのだ。その歴史は遥かに長い。
『人』の表層記憶脳概念は三位の深奥である『魂』のクライン環共振を以て初めて有効となるのだ。その高度でシンプルな全容を明示(暗示ではない)してくれるのが『自然クライン環』の重層共振である。


一年前の記事。「それ相当の共存覚悟。」

2024-07-05 09:29:16 | つぶやき

それ相当の共存覚悟。

以前にも書いたが 巷で言うところの「量子」とこのブログでイメージするところの『自然量子』とはまるで違うものである。「量子」とは粒子性と波動性を併せ持つ物質組成素粒子群......

以前にも書いたが 巷で言うところの「量子」とこのブログでイメージするところの『自然量子』とはまるで違うものである。「量子」とは粒子性と波動性を併せ持つ物質組成素粒子群と言えようか。具体名を挙げれば光子 ニュートリノ クォークなどであろう。しかし 物理学ではいつもそうだが素粒子の飛跡を観測しそれを以って存在証明とし仮説化する。それしか出来ないからだが随分と虚しい話ではないか。
 
しかし 自然は地球人の表層脳思考とはまるで別次元で 量子だろうが素粒子だろうが既に『有りて在る』のである。何より 惑星自体も惑星人自体も元から『量子』がその変幻(粒子性&波動性)性質を駆使しまくった結果として『今』存在している訳だから まだまだ未完成な量子力学的(とされる)思考を振り回さなくても『自然量子』に訊き倣うのが最速だし合理的と直観するわけである。結局は惑星人は創造原初から天賦として与えられた自己深層ポテンシャルを掘り下げ且つ浮上させるのが理に適っていると結論出来るのである。
 
だが 人工的量子論思考であろうと 自然量子根源思考であろうとリアル自然量子ネットワークと共振出来なければお話にもならない。創造原初からの進化努力にはそれ相当の共存覚悟が必須であるのは言うまでもない。

… … … … … 

ここが決定的な「人間」と『人』の所属周波数層帯の分かれ目である。表層記憶脳平面上の理想価値を追いかける限り この見えない分岐嶺に氣付くことは困難である。「人間」は表層の「神」を崇めてきたがそれに限界を感ずると「科学信仰」にすり替えた。だが表層記憶脳次元で処理する限り眞の『神』眞の『科学』に到達することは出来ないのだ。
これらの深層意味について真摯に取り組む時代に否応なく惑星環境は正転したのである。

リアル自然量子ネットワークと共振出来なければお話にもならない。創造原初を取り戻す進化努力にはそれ相当の共存覚悟が必須である。