洗心 senshin

2022,07,01.autopageからgoo blogへと移行しました。

クライン反転の具体的事例。

2024-06-22 18:17:09 | つぶやき
この大反転(実は正転)の激動の時代だけに 研ぎ澄ました先見の感性が必須となるが これから紹介する『未来党ムーブメント』は注目に値するのではないかと思うのである。

私はこうした特定団体を推奨することはほぼ無いが 『自然クライン環』構想にあまりにも副った理念波を感受したため ここに備忘記録せねばならないと引用させて戴く次第である。


https://www.youtube.com/watch?v=whNIy4c0nL4&t=1961s

一年前の記事。「ひとりひとりの実践に委ねられている。」

2024-06-22 09:25:49 | つぶやき

ひとりひとりの実践に委ねられている。

地球人は意識進化の初期段階にあると言えるだろう。それが意識波長の劣化後退によるものなのか 未発達のまま表層染脳に囚われ続けたままなのか 多分その複合であろうが顕潜統合......

地球人は意識進化の初期段階にあると言えるだろう。それが意識波長の劣化後退によるものなのか 未発達のまま表層染脳に囚われ続けたままなのか 多分その複合であろうが顕潜統合意識失調症であることだけは間違いないようである。
 
まともな惑星人であるならば 母星のこの大自然の機微を稀有なる自然神の恵みと享受し その深い原理の解明と保全に吾が身全存在を懸けて立ち上がろうと沸々と魂の源流からの力が漲って来るのが本来なのである。
 
その本然原初の創造エネルギーが途絶しているのは 地球人の意識が表層脳記憶に平面的に磔(はりつけ)られてしまい酷い洗脳状態となり 意識もそれに殉じて生ける屍と化してしまっているということなのである。
 
この現況を先進進化宇宙人はどのように観ているのであろう。勿論 進化を妨げ邪魔する悪魔どもを許すはずはないだろう。宇宙を隈なく探索し量子消滅させている筈である。地球に悪魔が蔓延るのもそろそろ限界値に近づいているだろう。
 
問題は地球人への覚醒扶助であろうが それも数千年以上も懇ろにサポートされているのであるから万全の三位一体に亘るケアで終始一貫されている筈である。あとは よほど馬鹿でない限り一目瞭然で判るこの現況の中から地球人自身が喫緊の課題を如何に創造進化的にクリアしていけるか ひとりひとりの実践に委ねられているのだ。

… … … … … 

昨日今日に始まったことではなく 自然創造原初からの生命意識層進化の観座からの膨大な時空間情報のクライン環透過の全容までを観渡した上での惑星地球人の『魂』進化状況の是非が取り沙汰されなければならないだろう。

最早 表層記憶脳文化価値に惑星人の『今』を賭け預けるのは自然神に最も反する所業として『自然クライン環』の運用規定にも厳密な規制がかかるようになるやもしれないのだ。

まさに『今』こそ地球人は下記の言葉を嚙み締めねばならないだろう。

地球人自身が喫緊の課題を如何に創造進化的にクリアしていけるか ひとりひとりの実践に委ねられているのだ。

二年前の記事。「第一義。」

2024-06-21 22:47:20 | つぶやき

一年まえの記事。

 第一義表層脳の既成概念化されたパルスパターン意識では深層意識界の量子ネットワークと常時接続することが極めて困難となるのである。どのように説明したら判るだろう......

表層脳の既成概念化されたパルスパターン意識では

深層意識界の量子ネットワークと常時接続することが

極めて困難となるのである。


どのように説明したら判るだろうか。


たとえば自然界に根付いた大樹が

自ら自然環境に生まれ自然環境に共振し

天地と交信するように

人もまた

同じ波長環境の中で成立している。


人は自然を護る使命があり

互換表層の波長接続バンドが広く

能動的側面が突出するが

その表層能力だけでは自然神からの使命を

全うすることは出来ないのである。


人は自然量子環境の全的享受者であると共に

護り人であり

他の動植物と共有の量子ライフラインに

使命を護るべく繋がれている。


そのことを第一義と成すべきなのである。 

… … … … … 

(一年前の感想)
人は自然量子環境の全的享受者であると共に護り人であり 他の動植物と共有の量子
ライフラインに使命を護るべく繋がれている。そのことを第一義と成すべきなのであ
る。
 
一年まえの記事の文章だが まさにその通りなのである。

(本年の感想)
まさに第一義と成すことである。
そして それは『人』の原義なのである。


一年前の記事。「不滅。」

2024-06-21 10:38:12 | つぶやき

不滅。

当時は 子どもながらに宗教は依るべからざる対象としていた。それは子供心に怪しき大人の背中(背後)に闇(光無き様)を観察しており 『人』として天賦の理性を欠いた大人たち......

当時は 子どもながらに宗教は依るべからざる対象としていた。それは子供心に怪しき大人の背中(背後)に闇(光無き様)を観察しており 『人』として天賦の理性を欠いた大人たちの背後には良心の光が途絶した有りの儘が写ると知らされていたのだ。表層脳記憶の偽の神 偽の正義 偽の概念に囚われた地球人の悍ましい姿が純真な子どものクライン環の鏡には写っていたのである。
 
しかし 成長するにつれ社会の膨大な似非情報に私の表層脳も劣化し クライン環のダイレクトな自然神の光は喪われていったのである。そのために無垢な良心で物事を量る深層能力は目隠しを架けられ 次第に表層脳洗脳で社会に関わろうとする羊脳へと劣化してしまったのである。地球人は多かれ少なかれこの悲哀を味わって来た筈である。
 
そして 多くの人々は日々やせ細る良心をなす術もなく表層脳の物理的力に反旗も翻すことなく 自然神の光ではない「禍モノ」に引き摺られてしまうのである。私は幼きころから果敢に魔物に挑んだのであるが一見敗北の履歴となった。だが 自然神は『人』を決して見限ることはない。『人』に良心のある限り自然神の輝きは喪われることはない。不滅なのである。

… … … … … 

幸か不幸か(正転し得た今は大きな幸いであるのだが) 私は三つ子の魂の観座を表層上は敗北の歴史ながらも 辛うじて護り通して来たのである。多くの地球人はなす術もなく表層脳の物理力すなわち「禍モノ」に引き摺られて『自然神の光』を観喪うのである。地球人は過去数千年 そのような悪循環に苛まれたのである。
だが 自然神は『人』を決して見限ることはない。『人』に良心のある限り自然神の輝きは喪われることはない。永遠に不滅なのである。

一年前の記事。「具な体験。」

2024-06-20 09:42:39 | つぶやき

具な体験。

このブログを長年お読み頂いている方は理解されているとは思うが 私はこの地球上の所謂宗教には関心がない。というより極めて如何わしいものであるとの強い思いがある。 ......

このブログを長年お読み頂いている方は理解されているとは思うが 私はこの地球上の所謂宗教には関心がない。というより極めて如何わしいものであるとの強い思いがある。
 
なんせ 子どもの時から宗教色には辟易していた。青年期にはありとあらゆる哲学やら宗教教義やら 勿論書籍の中ではあるが当時は各宗教関連の教義書などが古本屋に並べられており 買い漁って貪るように読んだものである。
 
一時は哲学&宗教教義に毒されて この地球上に若しも宗教というものが必要であれば それは自分としても譲歩せねばなるまいかと とある宗教に身を寄せるこになったのである。
 
それは 今から思えば潜入し内在する悪業を掴むという離れ業であった。しかし 当時の想いは純粋な已むに已まれぬ人類に対する切なる想いで行われたことである。いずれ詳細は後々語ることになるであろうが そこで宗教弊害を具に体験することになったのである。

… … … … … 

若き頃は純粋無垢な精神を維持しているものである。私が当時結果的に敢行した離れ業は純粋な已むに已まれぬ人類に対する切なる想いで行われたものである。了見の狭い打算などで到底敢行出来るものではない。さらに付け加えれば  眞實追及のためのあらゆる条件が揃って初めて体験可能であったことである。当時の『場』を支えて下さった人々に心からなる感謝と敬意を捧げたい。