ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

「求職者支援制度を税金で」

2021-02-24 05:25:29 | Public
今朝、本をまとめてブログに書こうかな~と思っていた酒井教授のインタビュー。第2のセーフティーネットとして求職者支援制度を税金でまかなうべき、というもの。求職者支援制度とは、雇用保険の受給要件は満たさない人でも、公共職業訓練+生活費として10万円の支給がある。民主党政権時代にできた画期的な仕組みではある。ただ、雇用保険からの支出になるので要件が厳密で使いづらいというのはその通り。
なので酒井教授の案には賛成。そしてそこに、ケースワークができるワーカーがつくとよいのでは、と思った。


2020年の死者数は増えなかった

2021-02-24 04:51:20 | Public
この記事は、ずっと待っていたので備忘録として張っておく。

「年間死亡数11年ぶり減 コロナ対策で感染症激減」

政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会メンバーの岡部信彦・川崎市健康安全研究所長は「欧米では平年より死亡数が大きく上回る『超過死亡』が生じたが、日本は逆に抑えられた」と指摘。一方で「感染症関連の死亡が減少する厳しい感染症対策でも新型コロナの流行を止められていない」とみている。

新型コロナで亡くなる人は、もしかすると、例年ならインフルエンザやノロウイルスなどの感染症で亡くなっていた人たちなのかもしれない、と感じていたから。それを示唆するようなデータではある。

一方で、記事にあるように自殺者は750人増えた。例年と同じく男性の方が多いものの、昨年との比較では男性は減り、女性は増えた。50歳以降に比べて40代以下、特に20代以下が増えたという。

新型コロナの対応では、おそらく医療体制と両輪で、自殺予防の施策が重要になるべきなのだろう。

新型コロナウイルスをインフルエンザ程度に恐れればいい世界に早くなりますように

2021-01-12 04:29:53 | Public
インフルエンザの流行のピーク時には、1週間で、例えば昨年は11万人が罹患する。
死亡者数は2018年では3300人。(=インフルエンザが直接の理由で亡くなった人。インフルエンザの予後の衰弱など間接的な影響を含むと1万人ほどらしい)

インフルエンザの致死率は0.1%.

新型コロナウイルスは、現在の罹患者数が一週間4万5000人(2021/1/5~2021/1/11)。致死率は0.1~4%。(純粋に1/11までの数字で死者数/患者数をすると1.4%だった

こう見ると、感染力はインフルエンザの方が高いと言ってもいいかもしれない。もちろん、社会として最大限気を付けている状況での一週間4万5000人であり、単純比較はできないが、「信じられない程度」ではない。実際、理由別にしない全死者数は、例年より多いわけではない(日本は)。でもこれは昨夏頃の集計。今はどうなんだろう。国立感染研のレポートでは、現状でも超過死亡が多いわけではなさそうだが、正確に読み取ったか自信はない。超過死亡が増えていないということは、例年いる、インフルエンザやその他風邪をこじらせてなくなる人が今年は新型コロナウイルスで亡くなっている、ということだ。(たぶん)

インフルエンザ程度に気を付けていればいい、と思えば気が楽だが、インフルエンザと新型コロナウイルスの一番の違いは、この医師のブログでは
・急激に状態が悪化すること
・医療崩壊により最適な治療が受けられないこと
が起こりうること。

裏を返せば、急激な状態悪化を防ぐ治療法ができ、医療環境において(設備やスキルの面で)感染症対策がよりスムーズに行えるようになったり、治療の負荷が分散して治療が受けやすくなれば(慈恵医大の医師の提言)、致死率はより下がると言えるだろう。急激な悪化を防ぐ意味では、ワクチンは有効なのだろう。ただ、海外では超過死亡が増えているので、免疫の問題?なのか、急性増悪に医療体制が対応できないのか、医療崩壊が早期に起きているのかはわからないが、海外への渡航や赴任などはかなり長期で影響が残りそうな気がしている。

「インフルエンザより、よりかからない方がいい病気」であることには間違いない。ただ、感染予防のために、将来が見えなくなり孤独に陥る人や、死期が近いのに会いたい人に会えない人や、日常の喜びがなくなって生きる気力がなくなる人が増えていいと、肯定できるような恐怖ではないのではないか。

知りたいことがすべてわかったわけではないが、気になっていたことが少しクリアになった。インフルエンザの場合、みな自分のために(受験生の家族のために)気を付けて生活はするものの、罹患すれば医者にかかり、仕事を休んで安静に過ごし、復帰して自己責任を問われることはない。そんな感じに落ち着くことを願っている。





子育ての生活の瞬間を切り取るブログ

2021-01-05 05:57:09 | Public
とりあえず、年末に見切り発車で始めたこと。育児についてのつぶやきブログ。

毎日何か書く。
子育てで出会うほのぼのとした、いらいらした、あきらめた、いろんな瞬間を書き留めたいという気持ちはこの数年あった。それで、おととしミラーレス一眼レフを買った。だけどほとんど、その瞬間を切り取るほど精力的に使えていない。一つの理由は、3人の子どもたちを運ぶのに精いっぱいで、精密機器を安全に持ち運ぶ自信がないから。そして、撮った写真を管理することもできていない。Wifi対応ではないし、そもそもうちの家にWifiが通っていない・・・。

子育て生活の切り取り方。ブログの方が楽かな、と思って初めてみた。まず1年やってみよう!

同じ10万円をどのようにもらうか

2021-01-04 09:21:00 | Public
https://www.asahi.com/articles/DA3S14751650.html

人間の欲望には限りが無い。ただ、行動経済学の創始者ダニエル・カーネマン米プリンストン大名誉教授の研究によると、日々幸せを感じる度合いは世帯年収が上がるにつれて高くなる傾向にあるが、7万5千ドル(約780万円)を超えると、ほぼ頭打ちになるという。

 同じ1万円でもそれによって得られる満足は、高所得者より低所得者の方が大きいはずだ。格差の是正は、低成長時代に、社会全体の幸福を高めていく有力な手段になりうる。」


そうなのだ。全員に10万円ずつ配ったとしても、待ち望んでいる人もいれば、我が家のように入金を確認すらしない人もいる(我が家など5人家族で50万円も入ったのだ!)。なのに、一度入金されたものを、例えば寄付したり返金したりするのはなぜか難しい。困窮しているひとにのみ使われる(我が家には配られ無い)のだったら文句は言わ無いのに。


にた話で、うちは今のところ困窮しなさそうだし、義父の死去によって不動産収入も増える見込みとなった。これにより、児童手当や、高校無償化の収入制限にひっかかり、手当額が減ったり無償化の対象外となったりする可能性が高い。

これには不満がある。子どものことを、全額親負担にしないという理想的はどこへいったのか?しかも3人育てる労力を主に親のみで担っていることへの労いはないのか?


改めて、国による税や保険料の徴収における「理由(使い道)」の大切さ、支出における「理念」の大切さを感じる。金額だけではないのだ。政治家に身につけてほしい大事なセンスだと思う。


本・猪木武徳『経済学に何ができるか』

2020-12-28 05:52:01 | Public
今年、後半に読んで印象に残った本。数冊レビューしたい。

『経済学に何ができるか』猪木武徳
おそらく読んだのは2回目だが、新鮮な発見があった。
まずは、アダム・スミスが言った「2つの人間類型」。ひとつは野心・虚栄心に突き動かされる「弱い人」、ふたつめは公正で醒めた判断と行動をする「賢い人」。文脈的に、弱い人を非難する展開になりそうだがそうではない(これがオルテガと違うところ)。経済は、前者「弱い人」が繁栄させたというのだ。野心・虚栄心から富の増大を目指し、世間一般の評価を気にしてさらなる富を目指す。近年のデフレは、もしかするとこの「弱い人」が減ってきたからかもしれない。消費行動などで「賢くなれ」と教育される私たちだけど、みなが賢くなった社会には、もしかすると市場原理とは違う消費の仕組みが(経済の安定のために)必要かもしれない。

もうひとつ、強く心に残ったこと。「中間組織の役割」だ。民主主義の進展、個人主義の浸透で、平等化は進んだのかもしれないが、ひとりひとりはより無力になった。個人は弱いのだ。自分自身が、その当たり前に見える事実を直視してこなかったことに気づいて愕然とした。だからこそ、今の時代だからこそ「中間組織」が必要なのだ。それが企業でもいいし、コミュニティーでもいい。associateすることで力を持てるし、共同の善を追求できる。権力に対峙したり、精神的な敵(アルコール依存症など)にも力を発揮できる。

今の時代にこそ中間的組織が必要ーーー何に属せばよいのだろう。ひとつは企業である。日本でその帰属先はおそらく一番身近である。企業の「コミュニティ性」は弱まってきているとはいえ、ゆるやかにつながりやすい場所である。私が仕事で接する人たちは、学校にも企業にも属してこなかった、家族にさえ「属している」と思えなかった人も多い。彼らの感じている孤独感が少し理解できたように思えた。彼らにこそ、企業(仕事)、そして何かに属するという経験(それはうちの団体自体に、会費を払ってつながるというのでもよいと思う)が必要だし、私がそれを必要と思うのもこういう理由からだったのだなと納得できた。




川場村の祖母が亡くなる

2020-07-18 10:55:37 | Public
群馬県川場村にすむ祖母が亡くなった。90歳。おととい、昨日と、公共交通機関ではなかなか行けないその土地へ、行ってきた。

この7、8年は老人保健施設と病院を行ったり来たりで、歩けたり食べれたりするのにしない、車椅子を使う、などと生きることに消極的に見えた。今年初めには食べられない状態になり、家族は胃ろうを希望せず、点滴栄養のみだった。半年以上、それで生き続けられることに、周りは複雑な気持ちだった。この4ヶ月ほどはコロナの影響で面会もできず、ただただかわいそうだった。

農家の嫁として、また祖父のまだ小さい兄弟と自分の子どもを食べさせて行くため、よく働いた人なのだろうと思う。私の知らない、「母親時代」の祖母を想像したが、子どもらはたくさんいるし、田んぼに蚕の世話は年中続く。半纏やセーター作りもこのころからやっていたらしい。体力勝負の毎日だったことだろう。

私や弟たちが毎夏、毎冬に楽しみに通い、着いて早々茹でた枝豆やトウモロコシを出してもらい、スキーに行く時には、焼き海苔一枚をひとつひとつに使う巨大おにぎりを持たせてくれた「祖母時代」。もしかすると、祖母にとって一番充実していたのかもしれないなと思った。
蚕もしなくなり、たんぼとはたけ、味噌や切り餅つくりに勤しみ、運転免許をとって孫たちの送迎や、大正琴にも通った。

高齢になり体が動きにくくなると、一気に元気がなくなり、祖父とのいがみ合いも増えた。孫たちもほとんど行かなくなったり、東京に出たりした。

私たち孫が見てきた祖母と、父や叔父がみた祖母は違うのだろう。家事手伝いとしての農業や蚕の仕事は、過酷だったみたいだ。よくはわからないけど・・・。それもあってか、体が弱り、畑仕事もしなくなったり施設に入ったりした祖母に、父らは親身ではない気がした。そういう祖母を見たくなかったのもあるかもしれないし、幼少期に働かされてきたことがネックで、純粋には感情移入できなかったのかも。いろいろと想像の部分であり、はっきりさせなくてもよいと思うところである。

子ども時代、親時代、そして親を卒業して祖父母時代?こういうのをキャッチーな言い方で何かあった気がするが、エルダー?シニア?時代。マクロとしてではなく、個々人の人生のうねりを感じた。そりゃあ90年も生きていて、子どもとは60年程度の付き合いになるわけだから、時代時代によってかかわり方やポジショニングは変わる。あまり意識していなかったけど、長い時間のスパンで、親族間のかかわりについて考えさせられた。

子守と仕事の1か月概況

2020-05-09 06:03:50 | Public
家で子どもたちを見るようになってから約1か月。
最初の1週間は、気が張っているのと、すでに入っていた予定をリスケしきれなかったのとで、いつも以上に仕事していたと思う。朝4~6時に事務や準備の仕事、子どもたちが家で食べるお弁当も毎日作り、午前中は子どもと一緒にだらだら仕事、午後は出勤して対外的な仕事。
次の一週間は息切れしてきて、でも仕事でもコロナ対応で奮起せねばならないところもあり、モチベーションをなんとか維持しつつ心身の疲労が募ってきた。夫も仕事が休みの日が多かったとはいえ子ども相手で疲れ、八方塞がりな気持ちに。

3週間目は、休みを調整したり、ゴールデンウィーク前ということもあって1日平日の休みを確保。2日出勤、2日休み、2日出勤、4日連休、だったので、なんとかできた。方法論としては、人との接触を避けて業務をすることができてきたが、愚痴を言えない、雑談ができない、というストレスはじわじわ溜まっている。もともと、毎日がノー残業デーでバタバタしているわけだが、在宅勤務の日もあって出社時間がさらに半分になると、もう雑談なんて!

毎年、「保育園が休みになるゴールデンウィーク、毎日子守なんてしんどい」と憂鬱に迎えていましたが、今年は「子守しかしなくていいなんて、だいぶまし・・・」と前向きに迎えられました。パソコンを持って帰ってきてはいたものの、最初の3日は仕事しないことに決め、出社が始まる前の日に、どうしても終わらせる必要のあった仕事をやりました。

来週から、週1~2日、保育園に預けることになりそうなのだけど、どうなんだろうなぁ・・・。大丈夫なんだろうけど、確率的には・・・。自分の中での「解除基準」「自粛緩和スケジュール」が必要。5月中は、長女の小学校が始まらないので、なんとか保育園児たちも一緒に家で見ることにするか・・・という感じでいるのだが。

秋ごろ、さほど気にせず外出できるようになっていたと仮定して、人気のキャンプ場の予約でも入れてみよう。

New Normal

2020-04-21 05:49:47 | Public
この単語が毎日私の頭の中に飛び交っている。なるべくひきこもることを推奨され、ひきこもれる人はそうして、働かなくてはいけない人はリスクに身をさらす。

この事態に何がチャレンジできるのか。こんな世界でどう前向きに生きていくか。

最近、国の感染症対策の指揮を執っている人としてよくNHKに出てくる押谷教授が、「なぜ日本が『都市封鎖』などの強制措置をとらずに『クラスターをひとつひとつ追って厳重に警戒する』という方法をとったか」という話をしていたときに、こう言っていた(NHKのHPより)

「僕らの大きなチャレンジは、いかにして社会経済活動を維持したまま、この流行を収束の方向に向かわせていくかということ。都市の封鎖、再開。また流行が起きて都市の封鎖ということを繰り返していくと、世界中が経済も社会も破綻します。人の心も確実に破綻します。若者は将来に希望を持てなくなる。次々に若者が憧れていたような企業は倒産していきます。中高年の人たちは安らぐ憩いの場が長期間にわたって失われます。その先に何があるのか。その先はもう闇の中しかないわけです。その状態を作っちゃいけない。」 

希望を持つ。それが、抽象的でもなんでもなく「生命線」。現状は、これまで日々に「そこそこ」の希望しかなかった人は、その低空飛行を難なく続けている。「さあこれから」と希望を強く抱いていた人はかなりつらいと思う。
希望以下の不安を抱いていた人は、指数的に不安が増大している感じ。特に経済不安。もともと「ひきこもる権利」のなかった人。

経済的不安を、10万円給付でも短時間アルバイトでもなんでもいいから軽減しつつ、希望を持つ。そのために・・・。この後は宿題。

我が家の緊急事態のはじまりはじまり~

2020-04-20 06:03:42 | Public
新型コロナウイルスの影響はぼちぼち出ていたし、私も2月に東京に行く予定をやめ、気にしながら生活していたものの、我が家自体が「緊急事態」となったのは4月11日からだった。
名古屋市からの委託事業で仕事をしているので、仕事での「緊急事態」と、公立保育園利用をしている保護者としての「緊急事態」はほぼ同時。仕事で、これまで予定通りに行くことを前提にぎりぎりで回していたこと。当然、保育園を抵抗なく利用できることが最重要条件だったが、それもかなわなくなった。同時に。

週末明けの先週月曜日(13日)から、子連れ出勤と在宅勤務と、夫の休日や日中休み(夜勤)・在宅勤務を組み合わせて、保育と(時々、新一年生の長女のための教育と)仕事を並行させているが、「両立している」とは到底言い難い。
・・・ここからいろいろ書きたいのだが、これからお弁当を作って出勤の準備をせねば!