ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

日本の新聞における不偏不党性

2008-02-09 10:04:51 | Public
日本の新聞の特徴を、山下(1996)は以下の4つに要約している。

①政党的立場を鮮明にしない「不偏不党性」

②寡占・過当競争から来る全国紙の強さ

③権威・権力への従順性

④集団(例えば会社、記者クラブ等)主義的意識

④を置いておけば、他の3つは①の不偏不党性に起因していると言えるだろう。
政党や政治性を明示しないことで、読者対象は広がる(②)し、
政党を応援しないことは、与党政府にとって都合が良い(③)。

ではなぜ、日本の新聞界には不偏不党的な新聞しかないのか。

★日本には高級紙がない

これは、なぜ政党への支持・不支持を明確に書くような、「高級紙」がないのか、という問いにも言い換えられる。
というのは、イギリスやアメリカで、政策の良し悪し、政党への支持・不支持を
明示する新聞は高級紙と呼ばれる新聞だからである。
欧米でも、日本のように(?)政策に関してさほど言及しない大衆紙はある。
例)
高級紙)『ガーディアン』(英)、『タイムズ』(英)、『ニューヨーク・タイムズ』(米)、『ル・モンド』(仏)など
大衆紙)『デイリー・ミラー』(英)、『ザ・サン』(英)、『U・Sトゥデイ』(米)、『パリジャン』(仏)など

これらに対し、日本の新聞は、大衆紙寄り・・・正確には中間あたりにあるという位置づけである。

★日本にも、政党支持型の高級紙はあった

日本に新聞が発行されるようになるのは、明治初期。
「上意下達」の手段として政府が支援する形で新聞社が勃興した。
自由民権運動の始まりがきっかけで、新聞が広まる。

明治初期から後期にかけては、新聞には高級紙、大衆紙にあたるような「大新聞」、「小新聞」の二種類があった。

大新聞)東京日日新聞、時事新報、郵便報知、など・・・漢文調、難解、政治論評など
小新聞)読売新聞、東京絵入り新聞、都新聞(のち東京新聞)、大阪朝日新聞 など・・・かな文字、絵入り、ゴシップなども

このリストを見てもわかるとおり、現在の日本の全国紙は、基本的に「小新聞」が
規模を拡大した結果として残ってきたものばかりである。(読売、朝日・・・)
大新聞に属するものは、組織としては小新聞に統合され、発行体としては姿を消している。
(例えば、東京日日は毎日に、郵便報知は読売に買収されている)

★政府補助を受けていた大新聞が、自由民権運動への政党支持のために
 補助をうけなくなる

この明治期に、大新聞は不偏政党化、そして衰退していく。なぜか?

・大新聞への政府援助がなくなった
・機関紙間の攻撃合戦が読者を惹き付けなくなった
・松方デフレによる読者の購買力の低下

これらが直接の理由と考えられる。
日本の大新聞は、明治初期に政府の援助によって設立、運営された。
「上意下達」の目的―――官報のような役目を果たすことが意図されていた。
それが、自由民権運動の際、各紙(東京日日新聞を除く)が政党内閣制支持を
表明し、これはすなわち当時の藩閥政治への批判であった。
政府はこれが面白くないので、補助をやめた。

★欧米との環境の違い

欧米の新聞業界との環境の違いは、

・日本の高級紙の誕生には政府援助があったこと
・高級紙が誕生して、数十年という短い期間で以上の危機があり、
 読者が根付かなかったこと
・配達、郵送などにおける鉄道など輸送機関が未発達であったこと

があると考えられる。
通常、新聞などのメディアは「上意下達」ではなく、「下意上達」のために、
成立する。市民革命によってそれを成し遂げる風土があり、
下意上達のためのツールとして新聞が出来ていた、というのが日本との違いか。

★不偏政党性の裏返しとしての「報道新聞」、「組織主義」

政治的な目的でなくて、人々は何を求めたのか。
それは、報道である。
小新聞が大新聞を部数で抜くのは1877年の西南戦争のころ。
小新聞の代表格であった大阪毎日、大阪朝日が東京に進出して
大規模化するのが1904年の日露戦争のころ。
戦争の行く末を知るために人々は新聞を求めた。

報道新聞を作るのに必要なのは、政党機関紙のような「同志」ではなく「組織」である。
この明治末期ころから、新聞の企業化が進んでいく。


ひとまずここまで。
以上は主に山本武利(*2)さんの本をいくつか読んでまとめたもの。

いろいろ書いたけど、要は、
反政府を含めて政党支持をできるような高級紙の成立には
・政府に属さないプチ・ブルジョア層

が必要だった。
西欧にはそれが存在したが、
日本にはいなかった―――エリート層はほとんどが「官」側にいたし、
当時読者であった地方豪族は、1880年代の農村不況と、高い郵送料によって
読者として心もとなかった。

それが、不偏不党を唱える小新聞の拡大になったのではないか、というのが考察です。

・・・でも、欧米でも、商業者、労働者階級の人数増加に伴って
「ジャーナリズムの大衆化」が問題となってはくる。
アメリカで、ハーストなどが商品としての新聞を売りたたいた、
イエロージャーナリズムがそれである。
ちょうど1930年代、オルテガが『大衆の反逆』で書いたように、
ジャーナリズムへの関心は
「積極的なものから受動的なものへと転換」した。
こういう、大衆化への危機感、非難みたいなものは
日本でもあったのだろうか?
エリート層は何を考えていた?
なんてことも気になってきました。次回へ続く。

(*1)http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9E%8B%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0%E2%80%95%E6%A7%8B%E9%80%A0%E5%88%86%E6%9E%90%E3%81%A8%E4%BD%93%E8%B3%AA%E6%94%B9%E5%96%84%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%A8%A1%E7%B4%A2-%E5%B1%B1%E4%B8%8B-%E5%9B%BD%E8%AA%A5/dp/487378459X

(*2)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E6%AD%A6%E5%88%A9