私「そこの君、ダイオキシンって知ってる?」
弟「なにそれ、おいしいもの?」
私「・・・」
弟「冗談、ゴミ袋燃やしたら出てくるやつでしょ、小学校の焼却所が無くなった理由の」
でも、ダイオキシンはゴミ袋を燃やしたから出てくる、というものでもなく、
焼却所を減らして対処すべきものでもなかった・・・ダイオキシンは何を燃やしても
出てくるものだし、山火事でも発生する。
そしてその発生量は、たとえポリ塩化水素を含むものだとしても
超微量で、人体に影響を与え得ない。
土壌に蓄積されるものもしかり、である。
だから小中学校の焼却施設をなくしても、そしてもっと重要なことに、
超巨額を投じて市町村ごとに最新鋭の焼却施設を作っても、
解決するものでもなく、解決させるべきものでもなかったのである。
前回の疑問、
ダイオキシン問題はどこへ行ったのか?
特別措置法が解決したのか?
そもそも、超大騒ぎするほどの問題だったのだろうか?
その答えは、
ダイオキシン問題は科学の問題でも人体への負の影響を及ぼすものでもなく、
誤った事実認識と、メディアと、厚生省の過敏な対応が創造したものだったため、
ダイオキシン特別措置法だけを残してあとは消え去った、
というもののようだ。
この認識の出典はこちら『ダイオキシン―――神話の終焉』/渡辺正・林俊郎。
序章にはこの本を書く目的についてこうある。
「貴重な時間、労力、お金、資源の無駄遣いはやめよう。」
完成度の高い本だったので、ダイオキシンに興味がなくとも、
小中学生時代に焼却炉が撤去されたことを覚えている人は、
読んでみるといいと思う。
ゼミに入って一番最初に紹介された本は『社会調査のウソ』だったが、
http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E3%80%8D%E3%81%AE%E3%82%A6%E3%82%BD%E2%80%95%E3%83%AA%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%86%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%81%99%E3%81%99%E3%82%81-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E8%B0%B7%E5%B2%A1-%E4%B8%80%E9%83%8E/dp/4166601105
これに並ぶ、分析視角を養える本だった。
・・・
学者・研究者がこのような告発本を書くとき、必ず触れるのは、
学者界の自浄機能である。すなわち、
論文という活字体を、匿名のレフェリーが審査をし、追試できる形で研究雑誌に発表される。
それによって、多くの研究者からその内容の軽重を判断され、
それが追加的な研究論文数などで現れる、といったこと。
そして、このような自浄機能のないメディアの、判断基準の危うさを問う。
「新聞の科学面は、ひどい。」
土曜日に高校の同級生と飲んだときの話。
理系専門分野の学生が、新聞社に来なくなった(となんとなく思う)のは、
日本の研究職の労働環境が良くなったからだろうか?
あと、厚生省がありえない情報判断能力なのは(例えば、母集団が100くらいの統計データで
法律を制定しまうような)
彼らの能力の問題?マスコミの権力の大きさ?彼らが忙しすぎるから?
現在は国交省が発表した、道路特定財源についての計画のずさんさに批難が集まっているが、
(Wikipediaを引用するとはほとほとヒドイ。。)
なぜそんな程度の低い発表しか出来ないのか、(どの企業より高学歴集団のはず)
諦めとかではなく分析してほしいものです。