例えば、人口5万人くらいのある都市で、こんなことがあるとする。
3月議会の議案説明をする市長会見の時間を、午後3時にするという。
記者側が、「もっと早い時間にならないか」と要求する。
市の広報が、「考えますが、今回は3時で」と答える。
市はその理由を、「市長が1時ぐらいから業務が入るかもしれませんので」と、
のっぴきならない公務がある、というわけではない。
「かもしれない」という話。
記者はなぜ、もっと早い時間に、と要求するのか。
3月議会の説明=新年度予算案の説明。
市にとっては、一年間の方針を明らかにすることであり、
報道側としては、新しい施策とか、収入見込みの変化とか、
重点政策とか、いちいち気になる。
簡単に言えば、「ちゃんと取材できる時間をなるべく多く確保したい」というところ。
この要求が、個人的な能力のなさとか、個人的都合によるわがままなら
要求はできない。
じゃあ例えば、「そちらも、一年間の市のお金の使い方、施策を市民に多く知ってもらいたいんでしょう。それをこちらは、なるべく正確に、間違いなく伝えたいと思っている。協力してくれて当然ではないか」
と言ったらどうなるだろう。
一般常識で考えると、わがままと、正確さ追求と、どちらに見えますか?
私は後者だ。・・・たぶん。
記者会見という形でやるのなら、当然、市側は正確な広報を目的に
会見に応じる、ということなわけだから、双方に妥当なやり方、時間でやるべきだ。
意味不明な理由で会見時間を遅らせて、その日にたどたどしい文章、表もなく数字の羅列された予算案原稿が紙面に載るようにつながるなら、
会見などしなければいい。
それで、個々の課の課長らが困ればいいんだと思う。
恐ろしくPOORな書き方だけど。
あーなんかほんとに、小さいことだ。
だけど、面倒くさいし、「どう論理武装すればいいのだろう」と考える。
やはり、「法律」もなければ、「競争市場の原則」も適用されない
憲法=表現の自由、の世界だからだろう。
3月議会の議案説明をする市長会見の時間を、午後3時にするという。
記者側が、「もっと早い時間にならないか」と要求する。
市の広報が、「考えますが、今回は3時で」と答える。
市はその理由を、「市長が1時ぐらいから業務が入るかもしれませんので」と、
のっぴきならない公務がある、というわけではない。
「かもしれない」という話。
記者はなぜ、もっと早い時間に、と要求するのか。
3月議会の説明=新年度予算案の説明。
市にとっては、一年間の方針を明らかにすることであり、
報道側としては、新しい施策とか、収入見込みの変化とか、
重点政策とか、いちいち気になる。
簡単に言えば、「ちゃんと取材できる時間をなるべく多く確保したい」というところ。
この要求が、個人的な能力のなさとか、個人的都合によるわがままなら
要求はできない。
じゃあ例えば、「そちらも、一年間の市のお金の使い方、施策を市民に多く知ってもらいたいんでしょう。それをこちらは、なるべく正確に、間違いなく伝えたいと思っている。協力してくれて当然ではないか」
と言ったらどうなるだろう。
一般常識で考えると、わがままと、正確さ追求と、どちらに見えますか?
私は後者だ。・・・たぶん。
記者会見という形でやるのなら、当然、市側は正確な広報を目的に
会見に応じる、ということなわけだから、双方に妥当なやり方、時間でやるべきだ。
意味不明な理由で会見時間を遅らせて、その日にたどたどしい文章、表もなく数字の羅列された予算案原稿が紙面に載るようにつながるなら、
会見などしなければいい。
それで、個々の課の課長らが困ればいいんだと思う。
恐ろしくPOORな書き方だけど。
あーなんかほんとに、小さいことだ。
だけど、面倒くさいし、「どう論理武装すればいいのだろう」と考える。
やはり、「法律」もなければ、「競争市場の原則」も適用されない
憲法=表現の自由、の世界だからだろう。