ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

ボリビア革命

2007-12-22 12:22:53 | Public
シングルマザーの貧困、失業問題は、悲惨だ。
おそらく若者や、高齢者のそれよりも・・・現在進行形で、悲惨だ。

ひとつの理由は、彼女たちは頑張りやだからだろう。
かなりの確率で、悲惨さに耐える根性を持っている。
子供がいるから、必死さが違う。
その悲惨な毎日に追われ、社会を憎んでも政治に期待する気など持てない。
・・・そんなところじゃないかと思う。

でも、政治に訴えると、大きなパワーになる。
(そこには「大量に」「失業している」より悲惨なシングルマザーたち、という
 条件が必要かもしれないけど・・・)
「彼女たちの唯一の武器が、投票権だ。」という紹介で始まる、
ボリビア革命におけるシングルマザー団体を撮ったドキュメンタリーでは、
彼女たちの政治的エネルギーの様相
―――パワーの源と維持の難しさと、限界―――
を取り上げていた。
http://www.nhk-jn.co.jp/wp/program/details/disp_j.asp?a=00&s=0&c=200712261717

ボリビア革命とは―――
スペイン軍に占領され、ずっと白人による政治的経済的支配が続いていたボリビアで、
60%ほどを占める先住民
(この言い方はどうなんだろう、別に彼らはマイノリティーじゃないのに。ボリビア民族、とかいう言い方はないのかな?)
が政権を取った、あの革命のことである。
農地改革、コカの栽培の推奨、天然資源の国有化。
MAS党、エボ・モラレス大統領は、貧しい人間への再分配の実現を目指す。


民主主義のよさは、やっぱり「数の勝負」というシンプルさじゃないかと思う。
必ずしもお金がなくても、頭数さえあれば革命が可能である。
それが、おそらくボリビアの例だ。

それに対して民主主義の難しさは、(革命後の)政治的決定の複雑さ、
と言えるかもしれない。
そこで主導的な役割を担うのが中流層と呼ばれる人たちだったりする。
ここは数だけでは決まらない、「一票以上の重みを持った有権者」(マスメディアとか学者とかのグループ)が左右する。
中流層の利害と底辺階層のひとたちの利害はしばしば一致しない。
もしくは(おそらく正しくは?)一致しているように見せかけられていても、実質的には中流層の利益になるようになっている。

それが、民主主義のジレンマ、なのかなと思う。

まさに、シングルマザーたちの苦悩もそこにあった。
政権党に議員を送り込むことに成功しても、雇用もお金も回すことができない。
おまけに汚職疑惑による団体分裂とかなじり合い。これがまた政治的影響力を弱めてしまう。これもどの「民主主義」にもある「ジレンマ・セット」のひとつだ。

「本当に救うべき人たちは誰なのか?」の答えはひとつじゃない。
そんなことを(考えるのは重要だけど)唱えるのは意味がない
(と先生は言うだろう)。
先生がシャンパングラス仮説、と言っていたもの
―――パーティー会場に重ねられたタワー状のシャンパングラスに上からシャンパンを流していく。
上が満たされないと、一番下は満たされないという流れは、
所得の分配にも当てはまる―――
というのはかなり当たっていると思う。
だから、(大概の国で一番上は満たされているとしても)
真ん中が満たされてない国は、一番下には早々期待できそうにはない。

「本当に救うべき人たちは誰なのか?」
私の中のひとつの指標は、「3Kと呼ばれるような職に
誰が一番に応募してくるか」というものである。
(これは「STAND UP」って映画を見ていて思ったことだ。)
何が何でも、働かなくちゃいけない。その枠にはかなりの程度シングルマザーが入ってくる国が多い。

そう考えると、ボリビアのシングルマザーが
「あまりに狭い部屋に子供と住み、鍋をかけっぱなしにしにしてしまったという
一回のミスで、一酸化炭素中毒のために母子3人がなくなる」
というような状況から脱することができる日は遠いかもしれない。

革命を起こすことと、革命を実現させることは違う。
悲惨な状況の人たちがせっかく政治にエネルギーを投じた国なのだから、
何か良い「実現」のニュースが届くといいなと思う。

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