ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

筑紫哲也ら編(2005)『ジャーナリズムの条件』

2010-10-27 23:34:53 | Book
筑紫哲也・徳山喜雄・佐野眞一・野中章弘・編(2005)
『ジャーナリズムの条件(一)~(四)』岩波書店

ジャーナリズムの世界に身を置いたものの、あまりに方法や内容が自由で、
評価指標や評価システムのない世界だとちょっと途方に暮れていた。
こんな本があることも、この本の中で経験や持論を書く80人ほどの
ジャーナリスト(新聞記者、フリーライター、カメラマンなど)の名前も知らなかった。
筑紫が「ジャーナリズムについての著書の中で「決定版」にしたいという野望の元に・・・」
と一巻のはじめに書いていたので、評価軸が見つかるかも知れない、と思って読んだ。

それぞれの巻は、
(一)職業としてのジャーナリスト
(二)報道不信の構造
(三)メディアの権力性
(四)ジャーナリズムの可能性

の副題があり、それぞれ20人ほどのジャーナリストが書いている。
第一の感想は、選ばれた?ジャーナリストだけあって、面白い。
面白いのは、その考え方とかではなく、題材となる取材ノートだ。
だいたい、「私は~~~を~~~やって取材する中で~~~見えてきた。
何か答えを出すとすれば、××だ。」みたいな感じで、
~~が面白い。これは、一般の人にも面白いはず。

私の期待に対しては、それほど答えてくれるものではなかった。
何をもってよしとするのか、成功とするのか。
実際、人それぞれなのだろう・・・自己実現にかなりリンクした仕事だからか。
それでも、ジャーナリズムの世界にはこういう考えで、こう活動している人がいるのだ
ということは、ジャーナリストの知り合いをほとんど持たず、
「何が醍醐味なんですか?」と聞いたり議論したりする人が近くにいない私にとっては
有益だった。

以下、それぞれの巻を読んで思ったことをポツポツと。

(一)職業としてのジャーナリスト
ジャーナリストとは、という質問に、筑紫は「永遠の大学生だよ」と言った
アメリカ人ジャーナリストの答えを紹介している。
そう言うからには、もう少し分析方法の整理や、評価システムの明確化がなされていて
ほしいと思った。
竹内謙の記者クラブ批判は、賛同。イラクとアフガニスタンの戦場を取材したという
カメラマンの原田浩司の文章を読んでいて、
「戦争」と名前が付くと、即「反戦」になる。これはジャーナリストでなくても
そうだという気がするが、その時点で非常に単純な対立構造で書かれがちのように思う。
アメリカ対アルカイダ、被害を受けるイラク市民、みたいな。
でも、戦争が始まる前には、戦争にならざるを得ないような、政治腐敗とか飢餓とか
民族対立とか悲惨な状況があって、それは戦争を引き起こしてからも続いているはず。
その「戦争故の状況」と「戦争の原因となった酷い状況」とを分けて
報道しないと、単なる「戦争でかわいそうな人生となってしまったかわいそうな人」
の押し売りになってしまうのでは、と思った。

(二)報道不信の構造
ジャーナリストは市民のある面での代表として、権力を監視するポジションのはずだが、
犯罪被害者などへのメディアスクラムで被害が発生し、権力が市民を、ジャーナリズムから
守っている、というおかしな、反省すべき状況が生まれている、という問題提起。
菅沼賢吾が政治部での経験から、政治の世界を対立構造で表したがる、
田中真紀子VS外務省など対立の構造が書ければ報道量が多くなるし、
安全保障など、与野党間でも対立を書けない場合は少なくなる。
という指摘はなるほど。そしてくだらない習性だと思った。

(三)メディアの権力性
新聞社やNHKを飛び出し、フリーランスになった人たちが多く書いている。
大手新聞の批判や、日テレの視聴率買収事件、NHKの慰安婦番組改謬、
フリージャーナリストの社会的な弱さ、などなど。
丸山昇が、「タレントの暴走を止めず、商業主義に走るテレビ」というようなスタンスで
批判した文では、島田紳助が吉本興業の女性社員に暴力をふるった事件を
出していて、私自身もすっかり忘れていて、「忘れさせられていたのか?」と
怖い思いだった。彼の番組は好きではないので見ていないが。改めて読むと
本当に酷い事件だ。
オウム真理教を追い、ドキュメンタリー映画を製作している森達也が、
本多勝一の言葉として、「主観的事実こそ本当の真実。主観的事実で勝負する」
と紹介しながら、主体的な意見を表に出そうとしない大手メディアを批判している。
その通りだ。「これは酷い事実だ、改善するべきだ」という意思のもと、
報道し続けることが出来る、その体力こそ大手メディアにしかできないことでは。

(四)ジャーナリズムの可能性
ここでも、おおよそ大手メディアを見限った人らが新しい方法を模索している。
インターネット新聞や、ビデオジャーナリズムの組織化、情報発信など。
ドキュメンタリー映像の力強さには最近改めて実感しているところ。
ここらへんが力を持てば、けっこう世の中変わるかも知れない。
全国紙とフジテレビやTBSなどの大手放送局、ヤフーニュースなどに飽き飽きした人は、
面白そうな情報源が(それを主宰している人たちが)たくさん載っている。
ただし、成功例としてではなく挑戦例。
そういう意味では、週刊金曜日やDAYSJAPANなどが成功例と言えるのだろうか。

ブログを書くためにざーっとめくり直してみたが、
おそらく今の日本で一流のジャーナリストに入るような人たちが
取り上げる題材は、やっぱり戦争、事件事故、政治などが多かった。
生活や労働などで「仕事」している人が少なかったように思う。
肩肘張らずに読めてしまうことは、よかったような残念なような。
こういう多事争論的なやり方が、この世界の「正解」のひとつなんだろうか。

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