止揚がない

2005-03-11 21:22:47 | Weblog
 いよいよ書くネタがなくなってきました。ちょっと古い話になりますが、前から書いておきたいと思っていたことなので。
 
 マイケル・ムーア監督の「華氏911」が公開された時、オウム真理教をテーマにした映画で知られる日本人監督が、「最初からブッシュを悪者と決めつけているのが気に入らない。自分なら多くの対立する見方を取り上げて、それらを止揚し、最後はブッシュの憂いに沈んだ表情で締めくくるだろう」、と、東京新聞でおっしゃっていました。

 「止揚」と聞いて、私が思い出すのは、「海に行くか、山に行くか、さんざん悩んだ末に、山の中の湖に行く。それが止揚だよ」という、ある宗教学の先生の言葉です。今考えると、「さんざん悩んだ末」というのは実は演技で、この人は最初から山の中の湖に行くつもりだったのではないだろうか、いや違う、ということを実証するのは不可能なのではないか、などと思えてきます。
 この日本人監督の場合も、「止揚する」と言っておきながら、どうして「ブッシュの憂いに沈んだ表情」などという結末を最初から予想することができるのか、不思議でしかたありません。実際に映画を作り始めないことには、止揚もなにもあったものではないはずですが。

 「止揚」という言葉。どうも胡散臭いですね。
 
コメント
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