を読む。聖書のせいで、1年以上放置していたのにゃ。
今さらながらの寺山修司。それでも、発見がある。「ベートーヴェンの第五が感動的なのは、運命が扉をたたくあの主題が、素晴しく吃っているからなのだ」。これ、オリジナルは武満徹だったのにゃ。
寺山が演劇で使わなければ、ワシがこの言葉を知ることもなかった。寺山にとって、言葉は俳優と同じ。オリジナルの文脈から離れて、さまざまな場面で登場し、新たな生命を獲得するのにゃ。
美空ひばりにファンの少女が塩酸をかけた話も、おもしろい。単なる一ファンから脱却して、美空ひばりと直接的なつながりを持つには、そうするしかなかった、とか。同じことは、ジョン・レノンを撃ったファンの男にも言えるかもしれないにゃ。