今から30年前の1986年4月26日、チェルノブイリ原子力発電所でレベル7の深刻な事故が起きた。原発から30キロ圏内の11万6千人が故郷を失った。それから25年後の日本の福島原発が同様にレベル7の過酷事故を起こし12万人が避難生活を続けている。私たちは、チェルノブイリの教訓を生かしているといえるのだろうか。24日、日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)が主催して、10日前にベラルーシから帰国したばかりの鎌田實理事長のお話を聞く会が開かれた。鎌田さんの話からチェルノブイリが私たちに伝えようとしていることを考えてみました。
■30年たっても人間が住めないチェルノブイリで
チェルノブイリ原発は、放射能漏れを防ぐために石棺に覆われていますが、その石棺が30年の歳月の中で風化が始まっています。今は、その上にシェルターを被せる工事が続けられているのです。原子力発電所の事故によって、放出された「物質」は30年たっても放射線を出し続けるのです。
セシウム137の半減期はちょうど30年です。放射性物質はα線やガンマ線、中性子線を出し続け30年たってようやく半分になります。そして、さらに30年で4分の1になります。90年後にようやく8分の1になるということですから、結局人間は一生放射能と付き合うことになります。
この放射性物質が発する放射線は人体へ多大な影響を与えます。被曝量が大きければ細胞が死んでしまったり、組織の機能が奪われ、やけど・嘔吐・脱毛・著しい場合には死などの急性障害があらわれます。低線量でも人間の身体を結合している分子を数10万ボルトの力で切断し、ガンをはじめとした放射線障害をもたらします。
ですからチェルノブイリでは、年間5ミリシーベルト以上は強制避難、1~5ミリシーベルトは、住むか住まないか自分で選択しています。鎌田理事長は、事故後いったんは町に住んでいたが故郷に戻って暮らしているお年寄りに聞きました。「なぜ戻ってきたのか」と聞くと「私が若いころから住んでいた故郷だから」と答えます。「一人で寂しくないか」と聞くと、「寂しい」と答えます。故郷を失わせ、寂しさのなかで生きる老婆、原発事故がなければと思わざるを得ません。
ベラルーシは、この30年間、子どもたちに1回24日間の保養を年2回行ってきました。内部被曝しないように安全な食材を運び続けてきました。健康診断も18才未満は2年に1回、18才以上は5年に1回続けてきました。検診を行い異常が見つかれば適切な治療を施すことで95%の子どもの命が救われた事実があります。
...やるべきことをやり続けて不安をなくす努力をしてきたベラルーシ。やることをやらずに不安を大きくする日本…、この差は何でしょうか!