院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

こころのケアなんて要らない!

2013-05-14 00:07:58 | 医療
 表題の言葉は東日本大震災の被災者の口から出たものである。

 被災者によれば、精神科医や臨床心理士が押し掛けてきて、根ほり葉ほり質問してくるので、うるさくて仕方がなかったらしい。いま直面している生活を立て直すのに大変なのに、カウンセリンなぞやっている場合ではないというわけだ。

 こうなることは、ほとんどの精神医療関係者には最初から分かっていた。「こころのケア」にまずもって必要なのは、治療者と依頼者の間に「お馴染さん」という関係があることだ。専門的な用語でいえば、ラポールが付いていることが必要だったのである。

 外科医は依頼者との間にさほど深い関係がなくても、手術を行うことはできる。(実際には、外科医と依頼者の間にもラポールが必要だが、ラポールがなくても手術をやってやれないことはない。)

 ところが「こころのケア」はラポールがないところでは絶対に不可能なのである。相手がいくら好意的なボランティアでも、誰が見ず知らずの人に心をあけすけに開くだろうか?邪魔にされるのがオチで実際にそうなった。

 「こころのケア」が万能であるかのように世に受け取られていることが、まず問題である。大衆がそのように感じてしまう方向に、精神医療関係者が振る舞ってきたことはなかったか?

 一昨日のNHKテレビニュースで報道していたが、このたびの中国の大震災に当たり、「こころのケア隊」が中国の被災地に行くのだという。

 その「隊」の頭目らしき兵庫教育大学のT教授という人が、「中国の人にもやっと、こころのケアの必要性が理解されてきた。これから駆けつける」と語っていた。

 なにを言っているのだ!「こころのケア」がそんなに簡単にできるわけがないことは、東日本大震災で証明済みではないか。(実は阪神淡路大震災ですでに証明済みなのだが。)まして中国人とは言葉の壁がある。そんな場所に何をしに行こうというのだ。

 教授という指導的な立場の人が、このようにセンチメンタルなことをテレビで言うから、善良な大衆は「こころのケア」に幻想的に過大な期待を抱いてしまうのだ。猛省を促がしたい。