ポップスでスタンダードナンバーというと、「枯葉」、「虹の彼方に」、「煙が目にしみる」などが挙げられる。今日でも新しい楽曲でよいものが生まれれば、それがスタンダードナンバーになるはずだと言われていたが、そのような楽曲は出てこない。
ということは、あるジャンルが完成してしまうと、もうそれ以上の作品は出てこないのではないか?
モダンジャズでもそうだ。現在でも演奏されるのはもっぱら60年代のサウンドで、当時最新といわれた70年代のサウンドは残っていない。マイルス・デビスで言えば、「マイルススマイルズ」までで、後のLP「ビッチズブリュー」は当時は騒がれたが、もう顧みられない。
落語も古典落語と新作落語の間には大きな溝がある。新作落語は何年たっても古典落語にはなりえない。明治大正昭和の新作落語は残っていない。
クラシック音楽は、今でも盛んに演奏されるのは、モーツァルト、ベートーベンといったドイツロマン派までで、それ以降の音楽を聴く人は物好きの部類である。
能なぞはもっと徹底している。例えば能面だが、新しい能面というのはありえない。なぜなら、面打ちの職人は、過去の面と寸分たがわずに作るのが腕の見せ所だから。
歌舞伎もそうだ。歌舞伎十八番にとどめを刺す。スーパー歌舞伎なんてキワモノだ。三代目猿之助が宝塚みたいな衣装で演じても、絶対に残らない。
映画も漫画も、もう伸びしろが少ない。
新しくて素晴らしい作品を期待するなら、ジャンルそのものが新しくなくてはならないようだ。
ということは、あるジャンルが完成してしまうと、もうそれ以上の作品は出てこないのではないか?
モダンジャズでもそうだ。現在でも演奏されるのはもっぱら60年代のサウンドで、当時最新といわれた70年代のサウンドは残っていない。マイルス・デビスで言えば、「マイルススマイルズ」までで、後のLP「ビッチズブリュー」は当時は騒がれたが、もう顧みられない。
落語も古典落語と新作落語の間には大きな溝がある。新作落語は何年たっても古典落語にはなりえない。明治大正昭和の新作落語は残っていない。
クラシック音楽は、今でも盛んに演奏されるのは、モーツァルト、ベートーベンといったドイツロマン派までで、それ以降の音楽を聴く人は物好きの部類である。
能なぞはもっと徹底している。例えば能面だが、新しい能面というのはありえない。なぜなら、面打ちの職人は、過去の面と寸分たがわずに作るのが腕の見せ所だから。
歌舞伎もそうだ。歌舞伎十八番にとどめを刺す。スーパー歌舞伎なんてキワモノだ。三代目猿之助が宝塚みたいな衣装で演じても、絶対に残らない。
映画も漫画も、もう伸びしろが少ない。
新しくて素晴らしい作品を期待するなら、ジャンルそのものが新しくなくてはならないようだ。