院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

三浦雄一郎さんのエベレスト登頂

2013-05-27 00:26:24 | スポーツ
 プロスキーヤーの三浦雄一郎さんが80歳でエベレスト登頂に成功した。この報を聞いてまず私が思ったのは、三浦さんのすごさよりも、日本は豊かだなぁといういうことだった。

 思えば三浦さんは私が中学生のときからプロスキーヤーだった。私が当時凝っていた写真雑誌に三浦さんの雄姿が載っていた。全日本選手権やオリンピックに出場することもなく、プロスキーヤーなんて名乗って商売になるのだろうかと思った。(後で、もめごとにより三浦さんはアマチュア資格を永久に取り消されていたと知った。)

 その少し前の、私が小学生の時、日本の登山隊がマナスルの初登頂に成功した。日本中が歓喜して、記念切手まで発行された。日本が高度成長時代を迎え、世界の一等国へ躍り出ようとする、まさにその前夜だった。マナスル登山隊の目的は、マナスルを征服することだけだった。

 戦後にスポーツ登山が始まるまでは、登山には必ず目的があった。それは戦争の行軍だったり、地図製作のための測量だったり、信仰上の理由だったりした。登山それ自体が目的の登山は、随分あとから生まれたものである。

 マナスルの次に印象深いのが、1982年の日本隊によるK2登頂だった。このときの登山の様子は記録映画に編集され、日本IBMがスポンサーになってテレビ放送された。そのとき日本IBMは最初と最後にちょろっと顔を出すだけで、2時間の番組中にはまったくCMがなかった。それがかえって日本IBMを目立たせることになった。

 三浦さんのエベレスト登山にも、パナソニックやサントリーがスポンサーとして付いていた。それはらは宣伝を目的とはせず、松下幸之助やサントリーの佐治敬三と三浦さんの古くからの縁によるものかもしれない。

 有名な登山家は、ほとんどヨーロッパから輩出している。アジアでは日本と韓国だけである。このような現状からみても、登山のような一見なんの実質的利益がない行為が可能なのは、先進国であることの証しである。

 三浦さんは、同年代の人々を勇気づけるためにエベレストに登ったと言っていた。この感覚は必ずしもきれいごととは言えない。登頂は物質的にはなんの得にもならない。80歳の三浦さんがエベレストに登頂したからと言って、同年代の人の腹が膨れるわけではない。しかし、精神的には潤されるはずである。

 このように腹が膨れない事柄に価値を置くことは、十分な物質的ゆとりがないとできない。だから私は、日本は豊かだなぁと思ったのである。