Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

出張という旅

2008年02月11日 | 
 関空のラウンジで、ブログの書き込みのページを開いて、タイトルに「出張」と書き込んで、カテゴリーを選ぼうとすると「旅」しか適当なものがありません。もちろん、カテゴリーの種類は私が作ったのですが、「旅」というと、「出張」とは少し距離がある意味を持っている気がします。といっても、仕事でも遊びでも「旅」には変わりありません。なんだか観光学における「旅」の概念に関する書き出しのようになってしまいました。
 「旅」の前はたいてい大忙しです。いない間に問題が起きてはたいへん!ということで、毎日、するべき仕事を箇条書きしては、ひとつ終わるたびに線を引いて消していきます。昨日は以外に早く仕事が終わり、眠ったのは夜の2時くらいだったでしょうか?とはいえ、原稿の校正だけはあきらめて、もって行きます。急いで片付ける校正ほど悲惨のものはないのですから。
 「旅」を通過儀礼にたとえた文化人類学者がいました。へネップの通過儀礼の理論を応用して、旅は「儀礼の時間」のように非現実的な、人生における移行期だというのです。なるほど、「旅」をすると一時、現実を回避したようなそんな感覚に陥ることがあります。そう考えると、現実と非現実の間の「敷居」のきわめて「曖昧」で「どっちつかず」の空間に今、私は位置しているのかもしれません。パスポートコントロールを通過して、到着国のパスポートコントロールを再び通過するまでは、私はどこにいることになっているのでしょうか?
 そんな風に考えながら、やっぱり「出張」は「旅」ではないような気がしてきました。あまりにもすぐに次の目的地についてしまうし、到着地でも日本とかわりなくあくせく動き回って、調査して、人と会って、会合に参加して・・・。だいぶ前のブログにも書いた気がしますが、もう何が現実で、何が非現実なのかが、わからなくなってきています。どこにも逃げられないのです。どこにも隠れられないのです。あと7時間後には暑い東南アジアが待っています。
 そうだ、タイトルを変えることにします。「出張」から「出張という旅」へ・・・。