Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

夕陽---東京街歩き(3)

2008年11月26日 | 東京
 東京で夕陽が美しいスポットはどこかと尋ねられると迷わず答えるのが、夕刻に羽田空港から出るモノレールの進行方向左側に見える夕陽である。この夕陽に気がついたのはサラリーマン時代で、大阪からの出張の帰りに疲労困憊してモノレールに乗ったときだった。赤みを帯びた夕陽の輝きが眩しい一方で、そんな光に照らされる自分が恥ずかしかった。あの時は仕事の何もかもがうまくいかなくて、羽田空港から浜松町までずっと地下を走り続けてくれていた方が穏やかな気持ちでいられたのだろう。あの時の空港の地下ホームの暗闇から突然に世界が開けたように輝く夕陽は美しくもあり、寂しくもあった。
 「今日は夕陽が見られるだろうか?」そう思いながら私はモノレールに乗った。できるだけ空いている「快速」のモノレールを待ち、誰にも邪魔されないように、前に向かい合わせの席のない夕陽側の場所を探して座った。こんな時間にモノレールに乗ることはめったにないのだから。トンネルを抜けるまでの時間がとても長く感じる。
 突然、車内が明るくなって期待した以上の夕陽が窓いっぱいに広がった。あのときと同じように眩しすぎる夕陽が埋め立てられて川のように見える海に反射する。まわりに座るサラリーマンらしき男性たちの誰もがそんな夕陽には目をくれずに、目を瞑るか、疲れたようにうなだれている。
 今の私の日常のすべてが順風満帆に進んでいるわけではない。しかし一つ違うことがあるとすれば、私は今、自分の進みたかった道を、大手を振って歩んでいるということだ。そんな自分にとって夕陽は今、その日が終わってしまうという「終末」や「衰退」の象徴ではなく、少し格好をつけて言うとすれば「未知なる明日」の象徴である。とはいえ、私は「夕陽のガンマン」のクリント・イーストウッドの方が「明日に向かって撃て」のロバート・レットフォードとポール・ニューマンよりずっと好きなのだが。