Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

エアコン

2008年02月19日 | バリ
 今回のインドネシアの出張では、エアコンのあるホテルに宿泊した。熱帯インドネシアのエアコンのないホテルで生活するなどあり得るのかと思われるかもしれないが、はじめから無ければ、それでとりわけ暑さに苦しんだりはしないのである。というのも、私が調査するような場所にはエアコンが入っていないため、どこもかしこも暑く、徐々にその暑さに体が慣れていくからである。
 日本にいれば、交通機関、職場、スーパーとどこへいっても冷房がガンガンに効いているからこそ、「外の暑さ」と「内の涼しさ」のギャップが大きい。そのため「涼しい場所」が心地よい場所に感じるのだろう。
 不思議なもので、12月から1月の出張では2週間、冷房なしで、雨季のむし暑いインドネシアも難なく過ごせたのであるが、今回はホテルの冷房を初日につけてしまったことから、結局、「涼しさ」に負けたのであった。負けてしまえば、もうどこへ調査に行っても暑くてたまらない。そうなると仕事に集中できなくなるのである。要するに私は今回「クーラー」に負けたのだ。言い訳のしようのない完全敗北である。

出張という旅

2008年02月11日 | 
 関空のラウンジで、ブログの書き込みのページを開いて、タイトルに「出張」と書き込んで、カテゴリーを選ぼうとすると「旅」しか適当なものがありません。もちろん、カテゴリーの種類は私が作ったのですが、「旅」というと、「出張」とは少し距離がある意味を持っている気がします。といっても、仕事でも遊びでも「旅」には変わりありません。なんだか観光学における「旅」の概念に関する書き出しのようになってしまいました。
 「旅」の前はたいてい大忙しです。いない間に問題が起きてはたいへん!ということで、毎日、するべき仕事を箇条書きしては、ひとつ終わるたびに線を引いて消していきます。昨日は以外に早く仕事が終わり、眠ったのは夜の2時くらいだったでしょうか?とはいえ、原稿の校正だけはあきらめて、もって行きます。急いで片付ける校正ほど悲惨のものはないのですから。
 「旅」を通過儀礼にたとえた文化人類学者がいました。へネップの通過儀礼の理論を応用して、旅は「儀礼の時間」のように非現実的な、人生における移行期だというのです。なるほど、「旅」をすると一時、現実を回避したようなそんな感覚に陥ることがあります。そう考えると、現実と非現実の間の「敷居」のきわめて「曖昧」で「どっちつかず」の空間に今、私は位置しているのかもしれません。パスポートコントロールを通過して、到着国のパスポートコントロールを再び通過するまでは、私はどこにいることになっているのでしょうか?
 そんな風に考えながら、やっぱり「出張」は「旅」ではないような気がしてきました。あまりにもすぐに次の目的地についてしまうし、到着地でも日本とかわりなくあくせく動き回って、調査して、人と会って、会合に参加して・・・。だいぶ前のブログにも書いた気がしますが、もう何が現実で、何が非現実なのかが、わからなくなってきています。どこにも逃げられないのです。どこにも隠れられないのです。あと7時間後には暑い東南アジアが待っています。
 そうだ、タイトルを変えることにします。「出張」から「出張という旅」へ・・・。
 

ガムラ(ン)

2008年02月10日 | 那覇、沖縄
「二十数年前、私がガムランを始めた頃は、ガムランという言葉を知っている方はまだまだ少なく、デパートのイベントで演奏を依頼されて、行ってみると、掲示には「ガラムン」や「ガンダム」と紹介されていたものです。最近は間違えられることもなくなりましたね。」
土曜日のガムランのレクチャーコンサートでは、そんな話をした。確かに沖縄でも「ガムラン」という言葉は定着したのではなかろうかと話しをしたのである。
 コンサートが終わり、主催者が用意してくれた打ち上げ会場に向かう途中、携帯がなった。主催団体の事務局長からである。
「先生、会場の入り口に掲示板見てくださいね。ガムランじゃなくて、「ガムラ」って書いてありますから。」
「それじゃ、消さないでそのままにしておいてください。ブログ用に証拠写真とりますからね。」
 今日の写真がまさに「その掲示板」である。やはり沖縄の隅々まで言葉としてガムランが浸透するのは、まだまだ先のことであるようだ。ということは、私はレクチャーで「嘘」を言ってしまったことになるんだろうか? 


蜂人形

2008年02月09日 | 那覇、沖縄
 「かわいい蜂」といえば「みつばちハッチ」を思い浮かべる世代である。だいたい自宅から歩いて2分もすればタツノコプロダクションという立地で育ったゆえ当然である。
 さて、何年もまえからハッチを彷彿させるようなかわいい「蜂」の人形をくっつけた車(バン)と、バイクに乗っていてすれ違うのだが、もちろん写真を撮ることもできず、ただ「あっ、あっ・・・」と通り過ぎていくのであった。しかしそれがどこの車かもわからずに指をくわえていたのである。
 それが偶然、今日、大学からあるいて坂を下る途中に、この車を発見したのである。なんとそこは養蜂園だったのだ。すれ違うとき車に書かれた文字まで見ることができなかったのである。
 養蜂園ならばこの人形も納得である。こういうものを発見した瞬間は嬉しさでものすごく興奮するものだ。雨振りの中、心をはずませながら急いで写真をとって、一歩踏み出した瞬間、ツルリと滑って腰と頭はゴツン!。もちろん、デジカメは離しませんでしたが・・・。

iPod

2008年02月05日 | 家・わたくしごと
 2月2日が息子の11歳の誕生日だったのだが、その日はシンポジウム、翌日はガムランの舞台と大忙しで、息子の誕生日プレゼントを買いにいく時間がないのだ。月、水、金と息子は塾だし、いったい一緒に買いに行けるのはいつになるのだろうか?と頭を抱えていたが、今日、なんとか時間を作って息子と土砂降りの中、買い物に出かけた。
 実は,iPodを買いに出かけたのだ。とうとうこんなものを欲しがるようになってしまった。とはいえ、親の方がよくわからないのである。子どもはさっさと売り場までいって、「これだよ」とiPod nanoを指差しながら、満面の笑顔である。親というのは、まったくこういう笑顔に弱いものだ。
 さて購入して、ソフトをPCにダウンロードして・・・という作業は結局私の仕事である。今日はやるべき仕事を家にもってきたにもかかわらず、「うーん」とうなりながら、なんとかダウンロードをして、息子の大好きなコブクロの曲を三曲、サザンの〈愛の言霊〉をとりこんだ。時計を見るともう12時前ではないか!これから真夜中まで仕事である。
 結局、明日、息子の喜ぶ顔を見たら、眠い目をこすりながら「まあ、いいか・・・」となってしまうのだろうけれど、親なんてこんなものである。

消しちゃだめ!!

2008年02月04日 | 家・わたくしごと
 1996年製のテレビが先週、急につかなくなった。テレビがなくては生きていけない生活を送っているわが家にとっては、これはもう大事件である。まず、この第一報はかみさんから研究室にかかってきた電話だった。
「たいへんなことになったのよ。」電話の第一声はこれである。こんなことを聞いたら誰だってどんなことになったのかと、背筋を伸ばして緊張状態で聴くものである。私もこの例にもれず、もう一気に血圧が20は上がった感じだった。「テレビがつかないのよ。とうとう壊れたみたい。」という言葉を聞いて、まあホッとはしたが、それにしてもその事件の重大性は十分認識できたのだ。
 その事件から何度かテレビはつくのだが、一旦消してしまうとまたつかなくなってしまう。この原因が解明できないのである。なんといっても12年使っているわけで、そろそろ寿命かとも思うのだが、やはりたまにつくテレビを買い換えるのには結構、勇気がいるものだ。壊れて見れないのならまだしも・・・。
 昨日、つかないテレビを叩いてみた。すると・・・つくのである。まるで漫画の世界だ。しかし事実なのだから仕方がない。テレビの内部のどこかが接触不良なのだろう。それにしても消したらまた難儀だし・・・と思いきや、とうとうかみさんは、
「消しちゃだめ!!」という張り紙を作成したのだ。そんなこといったって、電気代はあがるし、テレビのモーターだって熱を持って危険だ。いったいどうすればいいのやら。やはり最後はテレビを叩いて、毎回目を覚まさせるしかないのだろうか?


リメイク

2008年02月03日 | 家・わたくしごと
 本部の海洋博公園の中の海洋文化館で、今年度、三回目のガムラン演奏に行ってきた。11月、12月、そして2月の今回で最後である。それにしても、どの回も一つずつ踊りを変えてきた。踊り手が少ない沖縄のガムランとしてはまさに「上等」である。
 今回、ランシとよばれる幕をリメイクした。この幕は今から15年ほど前にかみさんが、私のガムラングループ用に発注したもので、絵はすべて手書きである。それにしても15年間で、東京から沖縄に使う場を移し、ずっと活躍してきたせいか、ラマヤナ物語を描いた絵はすっかり色褪せしてしまい、もう青い布とかわらなくなってしまっていたのであった。
 新しいものを買うことも考えたのだが、やはり長年使い続けてきたランシである。先日バリに行ったときこれを持って行き、リメイクしてもらうように頼んだのだった。「新しいものを買うのと値段はほとんど変わらないのだけど・・・」いつも行く衣装屋に勤める友人は私に新しいものを買うように勧めたのだが、私はそれを断った。
 今日の公演は、このランシの再デビューだったのだ。ランシは写真のように蘇ったのである。なんとすばらしいではないか!15年前のランシの姿に再び返ったのである。そんな嬉しさのせいか、このランシを背にしてたたく太鼓の音は、いつもより心なしか気持ちよく響いていた気がした。また15年、このランシとともにガムラン生活を続けたい・・・。

冬の古書店

2008年02月01日 | 東京
 先週神保町に出かけた。すっかり寒くなった土曜日の夕刻、まだ6時前だというのにもうとっぷりと日が暮れてしまう。沖縄だとまだ明るい時間である。冬の神保町の夕刻は心なしか外のワゴンを眺める客が少ない気がする。明るい店内の方が暖かい気がするからだろうか?
 ぼくはこんな季節、オーバーの襟を立ててそんなワゴンに並んだ本を見るのが好きだ。誰に気兼ねなくゆっくりと本を眺められるし、本を眺めているうちに寒さなんて忘れて、すっかり本の世界に没頭してしまう。そのうち、ぼくはある店から「きょうはワゴンだけ見よう」と決めた。
 こんな大好きな街歩きをしていると、やっぱりいつでもこんな街が近くにある東京を恨めしく思う。次ここにくるときはワゴンの「はしご」も、人ごみを気にしながら眺めなくてはならない暖かな季節になっているはずだ。神保町の街歩きで感じられる季節感・・・。