Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

酒屋で飲める店

2008年05月18日 | 
 東京で酒屋の隣にカウンター式の飲み屋が併設されている店を見なくなった。もちろん那覇でも見たことがない。しかし、大阪では今もなおそうした店をよく見かける。仕事帰りのサラリーマンたちの賑やかな声がするそうした飲み屋は、料理は出せないが、たぶん店で買ったお酒類や「乾きもの」をそこで飲みながらつまむことができるのだろう。私も何年か前だが阪急梅田駅の高架の近くのそんな店でビールを味わったことがある。今日も、ホテルのある御堂筋線の中津駅の近くを歩いているとそんな店を見つけた。喉も乾いていたのでふらりと入ってしまいそうになったが、「ダイエット中」であることを思い出して自らを戒める。
 酒屋で酒を飲む、というのは実に理にかなった飲み方である。最近、コンビニの前では買ったばかりのカップ麺を食べる学生がいるし、コンビニによっては、店内で買った品物の飲食のための席まで用意しているところもある。となれば酒屋だって同じなのだ。だいたい、飲み屋よりは格段に安く飲めるわけだし。
 私の亡くなった祖父は池尻でそんな酒屋を経営していた。といっても私の子どもの頃の断片的な記憶では、なんだか薄暗いカウンターのような場所が酒屋に併設されていて、そこに父と一度だけ行った記憶しかない。父が昼から酒を飲んでいたことだけは覚えている。そんな記憶や、父の話のせいなのか、僕は今でも飲み屋を併設した酒屋の前を通ると無性にある種の「懐かしさ」を覚える。私の体験した懐かしさではなく、私の血が、そうさせるのかもしれない。そしてそんな店の前を通るたびに、実家の仏壇の前に置かれたもう30年以上も前に亡くなった祖父の酒屋時代の写真を思い出す。祖父は酒も人も好きだったのだろう。通り過ぎた酒屋からまだかすかに笑い声が聞こえる・・・。

私、馬鹿よね

2008年05月17日 | 
「あっ、忘れた!」と気づいたときはもう那覇空港行きのモノレールの中である。忘れ物はなんと印鑑である。数回前に自分のブログに三文判の話を掲載したばかりなのに、その印鑑を研究室の机の上に出したまま、書類だけもって、カバンに入れるのを忘れてしまったのだ。印鑑がないと、明日の研究会では主催者に迷惑をかけるのは経験済みなので、こうなったら大阪で三文判を探さなくてはならない。「あー、また印鑑が増える・・・」とぼやきながら、伊丹行きの便にのる。
 空港についたのは夜8時近くで、とりあえずホテルをとってある梅田周辺の地下のショッピングモールで探すことにする。まあ、ありふれた名字だし、すぐに見つかるだろうと特に焦ることもなかった。しかし、文房具屋一件目、二件目とも売り切れ。三件目はすでに閉まっている。沖縄では私の印鑑は名前そのものが見つからないが、大阪だと、あまりにも多すぎて、今度は売り切れか?仕方ないのでインフォーメーションを探してお姉さんに印鑑屋の場所を聞く。「土曜日はもう閉まっているかもしれませんよ。」なんてニコニコしながら言われて、心でムッとしながらも、こちらも微笑んで礼を言う。行ってみるとまだ開いている。そしてそこでめでたく315円のプラスチック製の印鑑を購入できた。
 それにしてもまったく情けない。私が大阪で買った印鑑は、この6,7年の間に、これで3本目である。たいていのカバンには印鑑が入っているのであるが、どうして今日に限って、背中に背負うカバンを持ってきてしまったのであろうか?再びため息をつくとふと浮かんだ曲の歌詞がこれ。
「私、馬鹿よね。お馬鹿さんよね・・・」馬鹿で悪かったな、と私をあざ笑うもう一人の自分に呟く。

お土産にもらったバルタン星人

2008年05月16日 | 家・わたくしごと
 熊本の実家に戻ったガムランの教え子が、月に一度、沖縄にやって来てガムランの練習に参加してくれている。交通費もたいへんだと思うのだが、そんな熱意をありがたく思う。来るのだけでもたいへんだろうに、来るたびにいろいろなお土産を持ってきてくれる。
 そんな教え子から、熊本限定のバルタン星人のストラップをいただいた。「奪え!辛子蓮根」と書いてあるのも笑えるが、なによりも「熊本」と書かれた辛子蓮根に抱きついているバルタン星人が愛らしい。
 携帯が一般化してから、ストラップというのはまさに各地の「おみやげ文化」の王道となった。しかし携帯を2台も3台も持っている人は少ないだろうから、ストラップをたくさん集めても、もらっても、やはり自分の携帯に付けられる数は限られる。となるとストラップは、今やキーホルダーのように収集するお土産となっているんだろうか。
 さて、私はこのバルタン星人を、封を切らずに飾り棚に入れておくか、それとも自分の携帯に付けるか・・・なかなか悩みどころである。ちなみに今、私の携帯には九州国立博物館で買った渋いストラップが一つだけ付けられているのだが。


首里王朝の遺構に学ぶ

2008年05月15日 | 那覇、沖縄
 5月15日は沖縄が本土に復帰した日であるが、私の勤める大学の創立記念日でもある。二年前までは授業が休講で、学生たちの球技大会で盛り上がっていたが、このところ、教員用のプログラムが実施されるようになった。今年は大学周辺の首里のさまざまな遺跡を、専門の先生の案内でまわる企画が実施された。首里城は身近な環境でありながら、正直なところ、詳細な歴史についてはよくわからなかったこともあって、私としてはありがたい企画であった。
 円覚寺が、鎌倉と同じ「えんがくじ」でなく「えんかくじ」ということ、首里王府の伝統的な建物が風水などの影響から直線や左右対称を嫌うこと、また首里城だけでも十の御嶽の存在など、たった2時間の間に学んだことは片手では足りないほどだった。何よりも琉球王朝の国家運営が祭祀とひじょうに密着な関係を保っていたことを、さまざまな遺構や今も残る御嶽などから実感できたことは大収穫だった。
 首里城の歓会門を抜けた無料エリアには、龍樋(りゅうひ)とよばれる湧き水がある。御願の場でもある神聖な場所であり、今なお龍の口から水が湧き出ている。なんだか大学の構内から歩いて3,4分の場所にそんな神聖な水が湧き出ていたなんて感動である。これはガムランにうってつけだ。次回から大学でガムランの舞台があるときは、この水をお供えや、清めで使うことができる。なんでも自分の都合のいいように利用するのもどうかと思うが、正直なところこの「龍樋」が本日の大収穫である。

なぜ兜が・・・

2008年05月14日 | 玄関飾り
 端午の節句が終って、五月人形の玄関飾りが変わると思いきや、なんとこんな時期になってわが家の玄関に兜がお目見えしたのである!正直、季節はずれの飾りものである。ずっと昔、かみさんがトールペインティングでこの兜を作っていたと記憶しているのだが、この作品はこれまで家には一度も飾られたことがなかったはずである。
 かみさんに聞いてみると6年前に作った作品で、パーツは作ってあったのだが組み立てていなかったために、バラバラの状態でずっと眠っていたそうだ。それをなぜかこどもの日が過ぎてから組み立てて、飾ったというわけなのだ。
 真夏のバレンタインとか、冬の花火とか、真逆で極端な季節はずれならともかく、時期を過ぎたばかりの飾り物だとなんだか「片付けわすれ」のようにも見えるが、この兜は「季節もの」ではなく、かみさんの作品展示だと思えば理屈としてはおかしくない。なぜ、今になって思い出したのが不可思議であるが・・・。

創作作品をつくる

2008年05月13日 | 大学
 1ヶほど前から琉球舞踊家とともにガムランを使った創作舞踊曲を数人のメンバーとともにつくり始めた。今回、私が大切にしたいと思っているのは、作曲当初から舞踊家とともに作品を創り上げていくプロセスである。どちらかが主導権をとるのではなく、音楽側と舞踊側が同時に意見を出し合って一つの作品を作るとどうなるのかに興味を持ったのだ。
 踊り手は基本的には踊りのことを考え、演奏者(作曲者)は音を考えるのは当たり前のことだが、曲を作る側は踊り手のさまざまな振りや所作を見ながら踊り手と議論が出来るし、踊り手も、演奏される旋律などに初めから意見を言うことができる。こうしていくと誰の作品かわからなくなると言えるかもしれないが、そもそもアジアのパフォーミングアーツにおける作品が個人によって作られるという考え方が近現代の所産なのではなかろうか?
 この踊りは、ブーゲンビリアの花をイメージした舞踊で、すでに花びらはできあがっている。バリの花撒き舞踊だとさまざまな色の花びらを用い、その花びらを入れる器もボコールとよばれる伝統的なものだが、こちらは籠。しかし新たな創作舞踊には、バリのパニャンブラマやガボールのような花を撒く舞踊のイメージも見え隠れする。
 バリのガムランや舞踊を沖縄で始めて9年。やっとこうして沖縄の芸能との距離を縮めることができるようになったのが嬉しい。しかし相互に相手の芸能をしっかり理解するには、このくらいの月日がかかるのかもしれない。「沖縄音階とインドネシアのペロッグ音階は似ているからすぐにコラボができる」などという発言は、単に表面をなぞった薄っぺらな音楽に満足する者の語りに過ぎない。異なる文化の音楽や芸能から一つの作品を作ろうとすることはそんなに生易しいことではない。


母の日に

2008年05月12日 | 家・わたくしごと
 昨日は母の日だった。夕方、東京の実家の母に電話をする。
「ぼくだけど。お母さん。今日は母の日だったけど、毎年、何にもしなくてごめんなさい。でも母の日はちゃんと覚えてるからさ。」
なんと都合のいい電話だろう。昨日、息子からカーネーションの花とペンケースをプレゼントされて喜ぶかみさんを見ているうちに、なんだか母親に電話をしたくなったのだ。
「私には、まだ母がいますからね。」と母は電話先で笑っている。実家の隣には、私の祖母にあたる母の親が90歳もとうに過ぎてもまだ元気で生活しているのである。でも、そんなことは私が母の日に何もしない理由にはならないにもかかわらず、そんな話を聞いているうちに少し安心する。
 もう10年近く前に亡くなった私のバリ島の師匠は、「寺院に行って祈れば、それでいいというものではない。行為が重要なのではなく、重要なのは信仰する心だ」といって、年に一度の寺院の儀礼に絶対に足を運ばなかった。村の寺院が家の隣であるにもかかわらず・・・。たぶん彼以外の村人は全員、儀礼に参加していたであろうに、彼はそうした行為を最後まで拒絶し続けた。
 そんな師の言葉を引き合いに出すのは禁じ手かもしれないが、私は今なお両親には心から感謝している。だから気持ちだけ受け取ってもらうことにしよう。花も物も、目にみえるものは何もないのだけれど。



「くいだおれ」看板

2008年05月11日 | 
 連休後半に大阪に遊びに行ったゼミの学生の話によれば、道頓堀の「くいだおれ」の前はものすごい人だかりで、もう「くいだおれ人形」の写真を撮影するのもやっとで、そこで人形と一緒に記念撮影をするなんて考えられる状況にはなかったそうである。それを聞くと連休初日に「くいだおれ人形」と並んで息子の写真が撮れた私は幸運だったのかもしれない。
 ほとんどの観光客は、当然のことながら「くいだおれ人形」の写真を撮影するのだが、私は大阪での大学院時代から、人形よりもむしろ「くいだおれ」の看板の方が好きだった。「くいだおれ」が道頓堀から消えても人形はきっとどこかに移されて、写真におさめることはできるが、看板は店が閉まったらこれっきりである。上野の「聚楽」も4月で店じまいしたが、やはり5月2日に私が見たときは看板のネオンにはもう明かりは灯っていなかった。
 いつも思うのだが道頓堀のネオンを眺めていると、動かないディズニーランドのエレクトリック・パレードのような気がしてならない。グリコの看板は最も有名だろうが、私はこの「くいだおれ」の看板の一番上で光る「くいだおれ人形」の大ファンである。人形がなくなるよりも、私はこの看板がなくなる方がずっと切ない。パレードの一部が永遠に停電してしまうなんて・・・。


早起きは三文の得

2008年05月10日 | 家・わたくしごと
 子どもが朝9時から普段とは違う塾の校舎で試験あるというので、バス路線がないその場所まで車で送ることにした。雨が降っていなければバイク(カブ)で私が送るのだが、雨が降ったり止んだりの天気なので、車の運転担当のかみさんを起こして車で行くことになった。なぜ私も一緒に行くのか、というと帰りにマックでコーヒーでも飲もうということになったからである。
 無事に子どもを送り、かみさんとコーヒーを飲んからさて帰宅すると思いきや、これから百均に行きたいという。まあ運転しているのはかみさんだし、「9時過ぎに開いてる店なんてないって」などと私はぼやきつつ付き合うことにする。しかし、なんということだろう。沖縄の大型スーパーは9時から開店して、併設されている百均も開店しているのである。
 開店したばかりの閑散としたスーパーを歩いてみる。「朝市」と書かれた看板がやたらと立っている。こんな時間にスーパーに行くことのない私には不思議な光景だ。しかし、それよりもやたらと「半額」シールの張られた品物が多いことに驚く。私の好きな魚の切り身の西京漬けも半額。かみさんをその場に無理やり引っ張っていきおねだりする。そしてGET!今晩のおかずになりそうである。
 さて店屋を出ると、今度は10時の大型薬屋がオープンの時間。人が多いので見てみると、洗剤は一つ、ティッシュが5箱で198円で売られていて、買い物客の大半がそれを一つずつ抱えている。たぶん安いんだろう。私も持って並ぶ。薬屋の中にレジ待ちの長蛇の列。薬屋で品物を買うのに10分近く並ぶなんて人生ではじめての体験である。
 主婦ってたいへんなんだな。でも、これって早起きは三文の得なのかな。ちなみにかみさんは帰って「今日はよかったわ。」と微笑んでいた。ぼくと出かけたからでなく、もちろん偶然にも安いものと遭遇したからである。


目の錯覚

2008年05月09日 | 
 バリのことを始めてから、「パリ」を見ても「バリ」に見えるようになった。「パリの街角で」なんて表現は、冷静に考えれば、「バリ」ではなく「パリ」に決まっているのである。「パリ」は街かもしれないが、「バリ」は町と書きたくなる。しかし錯覚とは怖いもので、本屋でそんなタイトルの本があれば、「おおー」っと急いで手に取り、表紙のエッフェル塔やモンマルトルの風景を見て、愚かなる目の錯覚に気づくのである。最近は、本棚でこの文字を見た瞬間、冷静に対処できるようになり錯覚を起こすことはなったのであった。
 そんな目の錯覚を、久しぶりに京都で味わった。なんと写真に写した文字を見て、私の大好きなスポーツブランドと勘違いしたのである。この店名はUMBOであるが、私はバスからこの店の看板を見た瞬時、やはり「おおー」っと感動し、おもわず窓ごしに写真を撮影してしまったのである。よくみるとUMBROではない。
 エッシャーの絵に騙されるのならともかくも、パリやUMBOに騙されるなんて全く情けない。だいたいUMBROの店なんて日本中探したってあるわけがないのに、ある一瞬の錯覚で騙されてしまうのだ。そういう意味で目の錯覚というのは、恐ろしい現象である。