がんに罹患した患者の家族に対する支援の現状と課題を提起。家族の視点からみた「がん」と共に生きることについて、分かりやすく述べられている。
引用
・家族は当然のように患者ケアの「一提供者」や「一協力者」としてみなされることもまれではなく、医療の現場では、家族の経験しているこころの問題まで扱われることは少ないのが現状である。家族はケアギバーの役割を担いながら、実に大きな役割変化に対処しているのである。
・家族は医療スタッフから、患者さんの心身の両面をケアするにあたっての協力者と当然のように認識されることが多い。多くの家族は、医療者からの無言の要請に全力で答えようとして、自分のつらい気持ちをこころの奥底にしまいこんで、できるだけの笑顔で、可能な限り元気な姿で患者さん自身を見舞い、身の回りの世話をしているのである。
・わが国におけるがんの患者さんの家族への援助については、その医療における実践もきわめて乏しいのが現状である。これは、わが国のがん医療における大きな課題の一つである。
・家族が経験するストレスやその援助法については、残念ながらほとんど目が向けられていないのが現状である。
上記の指摘はもっともであり、今後の大きな課題と言えるであろう。
現状では、認定資格を有する看護師やソーシャルワーカーが、家族の存在を気に掛けながら「可能な範囲で援助をする」ことで精一杯であろう。まして、初期のがん患者や家族関係(家族の理解に能力など)に問題がないとみなされた患者・家族への援助は、どうしてもニの次になってしまうのが現状であろう。
私の父も初期の腎臓がんがみつかりオペを受けたが、病棟看護師、主治医との関わりのみで、本人が「言いにくい」と感じた訴えについては、家族が医療者との仲介者となって、伝えていた記憶がある。それを「当たり前」だと感じていたし、それ以上を期待することは「考えもしない」ことであった。
しかしがん患者は減少することはなく、低年齢化しているのが現状である。多くの家族に、「当たり前」に援助を提供できることが期待される。ここにソーシャルワーカーの存在があると痛感している。
引用
・家族は当然のように患者ケアの「一提供者」や「一協力者」としてみなされることもまれではなく、医療の現場では、家族の経験しているこころの問題まで扱われることは少ないのが現状である。家族はケアギバーの役割を担いながら、実に大きな役割変化に対処しているのである。
・家族は医療スタッフから、患者さんの心身の両面をケアするにあたっての協力者と当然のように認識されることが多い。多くの家族は、医療者からの無言の要請に全力で答えようとして、自分のつらい気持ちをこころの奥底にしまいこんで、できるだけの笑顔で、可能な限り元気な姿で患者さん自身を見舞い、身の回りの世話をしているのである。
・わが国におけるがんの患者さんの家族への援助については、その医療における実践もきわめて乏しいのが現状である。これは、わが国のがん医療における大きな課題の一つである。
・家族が経験するストレスやその援助法については、残念ながらほとんど目が向けられていないのが現状である。
上記の指摘はもっともであり、今後の大きな課題と言えるであろう。
現状では、認定資格を有する看護師やソーシャルワーカーが、家族の存在を気に掛けながら「可能な範囲で援助をする」ことで精一杯であろう。まして、初期のがん患者や家族関係(家族の理解に能力など)に問題がないとみなされた患者・家族への援助は、どうしてもニの次になってしまうのが現状であろう。
私の父も初期の腎臓がんがみつかりオペを受けたが、病棟看護師、主治医との関わりのみで、本人が「言いにくい」と感じた訴えについては、家族が医療者との仲介者となって、伝えていた記憶がある。それを「当たり前」だと感じていたし、それ以上を期待することは「考えもしない」ことであった。
しかしがん患者は減少することはなく、低年齢化しているのが現状である。多くの家族に、「当たり前」に援助を提供できることが期待される。ここにソーシャルワーカーの存在があると痛感している。
こころの科学155号 特別企画=家族を支援する | |
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