『ソーシャルワーク学会誌』第22号 2011
学会企画シンポジウムの報告。3名のシンポジストがソーシャルワークのアイデンティティについて論じている。
「ソーシャルワーカー」という職名を持つ人以外の活動家がいわゆる社会的弱者を支援することは、ソーシャルワークをしていると言えるのか?などなど、学術的な要素が多く、読み応えのある報告であった。
引用
・専門職との協働が深まるほど、それぞれの職種のアイデンティティの確立が求められるため、ソーシャルワークのアイデンティテイを確認し、そしてそれを承認しあっていくことが重要になります。(和気純子)
・アイデンティティの構築は、多領域にまたがるシステム的なものでありますけれども、同時に歴史的でもあり、そして継続的なプロセスであるとするならば、生涯的なアイデンティティの構築支援というものが必要になります。その支援をするのは学会であったり、職能集団でありますので、関連団体、組織が連携を強化しなければ、継続的な支援は難しいのではないかと考えます。(和気純子)
・(ソーシャルワークの)日本独自のアイデンティティはあると考えています。ですが、理論としては基本的にアメリカ流ソーシャルワーク理論を研究しそれを大学の知として標榜しているように思います。そして実際の大学教育は、これとは異なる厚労省が立てる福祉士資格カリキュラムの中に拘泥しているのが現実です。一方で福祉現場はどうかというと、アメリカ流とも、福祉士教育カリキュラムとも異なる現場実践の経験知に基づき実践しているように思います。この3つが混在しており、まさにそこでもアイデンティティ・クライシスが起きているのです。(木原活信)
「社会福祉士資格保有者=ソーシャルワーカー」であると、長く疑いもなく思っていたが、最近になり、ではそれ以外の職種が担っている支援活動は何?と考えるようになった。
社会福祉士はソーシャルワークの担い手であるが、それは「一」担い手に過ぎない。地域を舞台に支援活動をしている保健師さんやケアマネさんも、ソーシャルワーク活動の担い手であろう。では社会福祉士は不要なのか?というとそうではない。そうではないと言い切れる材料を、私は今もずっと考えている。
この報告書は、その一助となりつつ、さらに深みに落とされるものでもあり…。まだまだ議論がしきれないものなんだな、ということだけは分かった。
学会企画シンポジウムの報告。3名のシンポジストがソーシャルワークのアイデンティティについて論じている。
「ソーシャルワーカー」という職名を持つ人以外の活動家がいわゆる社会的弱者を支援することは、ソーシャルワークをしていると言えるのか?などなど、学術的な要素が多く、読み応えのある報告であった。
引用
・専門職との協働が深まるほど、それぞれの職種のアイデンティティの確立が求められるため、ソーシャルワークのアイデンティテイを確認し、そしてそれを承認しあっていくことが重要になります。(和気純子)
・アイデンティティの構築は、多領域にまたがるシステム的なものでありますけれども、同時に歴史的でもあり、そして継続的なプロセスであるとするならば、生涯的なアイデンティティの構築支援というものが必要になります。その支援をするのは学会であったり、職能集団でありますので、関連団体、組織が連携を強化しなければ、継続的な支援は難しいのではないかと考えます。(和気純子)
・(ソーシャルワークの)日本独自のアイデンティティはあると考えています。ですが、理論としては基本的にアメリカ流ソーシャルワーク理論を研究しそれを大学の知として標榜しているように思います。そして実際の大学教育は、これとは異なる厚労省が立てる福祉士資格カリキュラムの中に拘泥しているのが現実です。一方で福祉現場はどうかというと、アメリカ流とも、福祉士教育カリキュラムとも異なる現場実践の経験知に基づき実践しているように思います。この3つが混在しており、まさにそこでもアイデンティティ・クライシスが起きているのです。(木原活信)
「社会福祉士資格保有者=ソーシャルワーカー」であると、長く疑いもなく思っていたが、最近になり、ではそれ以外の職種が担っている支援活動は何?と考えるようになった。
社会福祉士はソーシャルワークの担い手であるが、それは「一」担い手に過ぎない。地域を舞台に支援活動をしている保健師さんやケアマネさんも、ソーシャルワーク活動の担い手であろう。では社会福祉士は不要なのか?というとそうではない。そうではないと言い切れる材料を、私は今もずっと考えている。
この報告書は、その一助となりつつ、さらに深みに落とされるものでもあり…。まだまだ議論がしきれないものなんだな、ということだけは分かった。
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