あかいくつ/アンデルセン・作 神沢利子・文 いわさきちひろ・絵/偕成社/1968年
絵本用にやや短くなっていますが原作にほぼ忠実です。
あるところに母親と2人きりで暮らしていたカーレンという少女がいました。家は貧しく、カーレンは夏は裸足、冬は かたい きぐちを はいていました。そのため、ちいさな足は、まっかになって、とてもいたそうでした。しんせつな靴屋のおかみさんが、カーレンのために、古いきれで あかいくつを ぬってくれました。
ところが、カーレンが くつをもらったのは、お母さんのお葬式の日だったのです。あかいくつをはいたカーレンが、お棺の後から、しょんぼりついていったのをみて、よそのおくさまが、ひきとって育ててくれることになりました。
やがておおきくなってカーレンは 堅信礼の儀式の日をむかえます。
カーレンは、新しい服を買ってもらい、おくさまにつれられていった靴屋でガラス棚のあかいくつをみて、心を奪われます。
堅信礼の日 教会の入り口には、松葉杖を ついた、としよりの兵隊がたっていました。兵隊は、カーレンの あかいくつを みて「ほう、きれいな ダンスぐつじゃ。しっかり くっついて、おどるんですぞ」と、謎めいたことばをかけます。
おくさまは、としをとって めがわるかったので カーレンの靴があかいとは きがつきませんでした。教会にあかいくつを はいてくるなんて!と、みんなは あきれていましたが、カーレンは あかいくつ が うれしくて、おいのりすることさえ 忘れていました。
教会をでたとき、さっきの兵隊が 「なんと きれいな ダンスぐつじゃ」と、声をかけると、カーレンの足が、ひとりでに おどりだして とまらなくなりました。
靴をぬがせると やっとしずかに なりました。
「教会にくるときは、ふるくても くろい くつを はくものですよ」と、おくさまは注意します。
そのうち、おくさまが 重い病気に かかりますが ダンスパーテイに行くはずだったカーレンは「みるだけなら かまわないでしょ。」と、あかいくつを とりだして みました。「はくだけなら かまわないでしょ。」と、カーレンが 靴に 足を入れると がまんできなくなって ダンスパーテイにでかけてしまいます。
靴がカーレンのいこうとする反対の方向へ、どんどん踊りだし おどりながら町の外にでて、やめようとしても とまりません。森を抜け、畑をこえ、夜も昼も、やすまずに 踊りつづけるカーレン。ついには亡くなってしまったおくさまのお棺がしずかにでていくときにも、とまることもできず踊り続けます。
踊りをやめられないカーレンが、首切り役人に足を切り落としてもらうと、あかいくつは そのまま踊りながら丘をこえていきました。
首切り役人がつくってくれた義足で、教会にでかけると、あの、あかいくつが いきているもののようにおどりくるって いくではありませんか。
かわいがってくれた おくさまをみすててダンスにでかけたことを反省したカーレンは、神父さまの、お手伝いをしてくらし、聖書の話を熱心に ききました。
教会というと、あかいくつが 踊っていたのを思い出すカーレンが、神さまにすくいをもとめると、バラの枝を持った天使が あらわれ、天上がどんどん高くなって、金の星がかがやき 壁もひろがって、いつのまにかカーレンは教会の椅子にこしかけていました。
そしてカーレンの たましいは、そのまま 神さまのところへ、しずかにのぼって いきました。
カーレンが犯したのは、育ててくれたおくさんの葬式にもでられなかったこと、教会に赤いくつででかけたことですが、疑問が残るのは、宗教観の違いでしょうか。
葬式にでれなかったのは、赤いくつが、自分の意思とは別におどり続けたことで、責められることではないといえるかも。
兵隊が謎めいた言葉をかけたのも気になりました。
いわさきちひろさんが描く少女からは、おごりとか傲慢といったのは感じられませんでした。
「みるだけなら かまわないでしょ。」「はくだけなら かまわないでしょ」と、自分を納得させるのは人間の弱さをあらわしているのでしょうか。