王さまと九人のきょうだい/君島久子・訳 赤羽末吉・絵/岩波書店/1969年初版
初版が1969年の中国イ族の昔話で、まもなく半世紀。
読み聞かせにも好評の絵本です。(おなじ岩波から-白いりゅう 黒いりゅう/君島久子・訳/1964年出版には、「九人のきょうだい」としてのっています)。
さまざまな特技をもつ九人の兄弟と王さまとの駆け引きがテンポよく展開していきます。
兄弟の名前が「ちからもち」「くいしんぼう」「はらいっぱい」「ぶってくれ」「ながすね」「さむがりや」「あつがりや」「切ってくれ」「みずくぐり」と読み始めると先の展開が予想できます。
類似する昔話では、主人公が旅しているときに特技をもつ者とであって、その力を借りて難題を解決するパターンが多いのですが、子どもに恵まれない老夫婦にいっぺんに九つ子がうまれるというはじまりです。
おばあさんが池のほとりで鳴いていると白髪の老人があらわれ、一粒飲むと子どもがうまれるという丸薬を九粒わたしてくれます。
おばあさんはその丸薬を一粒飲んで1年待つますが子どもは生まれません。そこで、おばあさんは我慢できずあるだけの丸薬をいっぺんに飲んでしまいます。
すると、ある日突然9人の赤ん坊が生まれます。ひどく貧乏な老夫婦は困りはてますが、丸薬をくれた白髪の老人が現れ、何もせずとも子どもたちは育つといい、9人の子どもの名前をつけてくれます。
子どもたちが大きくなった頃、都では王さまの宮殿の竜のかたちをした柱が倒れてしまい大騒ぎになっていました。王さまのけらいや都の人びとの誰一人、この柱をなおすことができません。そこで王さまは国中に、柱を元通りに戻した者にのぞみのほうびをとらせるとおふれを出します。
それを耳にした九人の兄弟のうち「ちからもち」が出かけていき、あっというまに宮殿の柱を元通りにしてしまいます。
のぞみの褒美をもらえるはずだったのですが、とくにのぞみはせず「ちからもち」は家にかえります。
なにも望まなかったので、「いまにきっとわしをたおして、この国の王になるにちがいない」と王さまは疑心暗鬼にかられたのでしょうか次々と難題をだしていきます。
顔つきも体型もみんな同じで見分けがつかない兄弟がかわるがわるでかけていき難題を切り抜けます。
読み聞かせで評判がいいのが「ながすね」。高い山から谷底へ突き落してしまえという王さまの命令で、「ながすね」が、山から突き落とされると、片方のすねが谷底にとどき、片方は向かいに山までとどきます。
最後は、「みずくぐり」の吹きかけた水が王さまも宮殿もすべて飲み込み、悪い王さまがいなくなります。
チームワークの良さを感じさせてくれる昔話です。
グリムの「六人男、世界をのし歩く」(子どもに語るグリムの昔話2/佐々梨代子・野村宏訳/こぐま社/2000年第18刷)にでてくるのは、(力持ち)・・木を引き抜くほどの力持ち、(狩人)・・・遠くのものを射抜く名人、(鼻ふき男)・遠くから鼻息で風車を回す男、(走りや)・・飛んでる鳥でも追いつけないほど早く走る男、(ぼうし男)・ぼうしをかぶるとあたりがおそろしく寒くなる男)と五人です。
モンゴルの「北斗七星の話」(子どもに語るモンゴルの昔話/蓮見治雄訳・再話 平田美恵子再話/こぐま社)では、(山かかえ)・・山をかかえるほどの力持ち、(長うで)・・天まで伸びる腕をもつ男、(聞き耳)・・どんな遠くの話でも聞こえる耳を持つ男、(はやあし)・・とてつもなく早く走る、(のみつくし)・・海の水まで飲み干す男と五人です。
類話が多いパターンだとは思っていましたが、語るとすると「王さまと九人のきょうだい」でしょうか。
また、大分前に出版されていますが、少しも古さを感じさせない赤羽さんの絵です。
ついでですが、イ族は中国の少数民族の一つで、2010年の全国人口統計で870万人で中国政府が公認!する56の民族の中で7番目に多いといいます。
シナの五にんきょうだい/クレール・H・ビショップ・文 クルト・ビーゼ・絵/石井桃子・訳/福音館書店/1961年
この絵本は中国が舞台ですが、外国の方がかかれています。原著は1938年とおおよそ80年以上前。モノクロで少しだけオレンジがつかわれています。1995年瑞雲社から川本三郎訳で発行されていますが、30年以上も前の石井桃子訳が手元にありました。
「王さまと九人のきょうだい」と同じように、特別な力を持つ五人の兄弟が協力し合って、一番目の兄さんの危機を救い出すというシンプルな構成です。
一番目のお兄さんが、子どもを殺した罪を問われ、首を切られそうになります。
このお兄さんは、海の水を飲みほして漁をしていたのですが、あるとき男の子に頼まれ一緒に海に出かけます。そのとき一番上のお兄さんの言うことを守るという約束でした。お兄さんが海の水を飲み干すと魚や貝、海藻などは取り放題。男の子はポケットいっぱいに詰め込みます。
ところが、一番目の兄さんがつかれて、口の中に入れていた海中の水をはきだしそうになります。じっと我慢して、男の子にもどるよう合図しますが、男の子は、あかんべいをして どんどん 逃げて行ってしまいます。これ以上我慢できなくなった一番上のお兄さんが、海の水を吐き出すと、男の子は、みえなくなりました。
お兄さんが、男の子を殺しただろうと、首を切られそうになりますが、母に別れを告げたいと二番目の兄さんが首を切られることに。
ところが二番目のお兄さんの首は鉄でできていて、かたなではきることができません。
こんどは海の中に放りこまれて殺されそうになりますが、母に別れを告げたいと、三番目のお兄さんが海の放り込まれますが、このお兄さんはどんどん足をのばし、波の上でにこにこしながら ういていました。
四番目のお兄さんは体が焼けない、五番目のお兄さんは、いつまでも息をしないでいることができるので、「これは きっと おまえが、わるいことを しなかったからに ちがいない」と、許されます。
一番目のお兄さんが海の水をはきだしそうになり、ほっぺをふくらまし、必死に耐えるようすや、三番目のお兄さんの足が海底につくまでのようすが見所です。
原因となった男の子が絵に描かれていないのは、亡くなったことを象徴しているのでしょうか?
・七人のきょうだい(銀のかんざし/世界むかし話 中国/なたぎりすすむ・訳/ほるぷ出版/1979年)
九人、五人があったら七人がでてきてもおかしくありませんが、絵本と同じように、とんでもない能力をもった七人兄弟の話です。
力太郎、風次郎、鉄三郎、寒四郎、足長五郎、大足六郎、大口七郎と、こちらも表意文字のおかげで、説明抜きで、きわめてわかりやすい兄弟。
おじいさんから、高い山と広い海があって、不便でしょうがないといわれ、山は平らに、海は埋めてしまった兄弟。
この土地で麦や雑穀をうえると、みごとな穀物が栃一面に、びっしり育ちます。
これに目をつけた皇帝が年貢を出せと命じます。年貢を出せば、どんなに水をいれても、一滴のこらず吸い込んでしまう枯れ井戸とおなじで、もう一生、牛や馬みたいにこきつかわれる、とおじいさんはなげきます。
七人兄弟は皇帝に掛け合うため、城にでかけます。
力太郎は、鉄のかんぬきを通した城門をおして、見張り台もろとも崩してしまいます。
アリも通らないほどの午朝門は風次郎が、ふき倒してしまいます。
将軍が鉄三郎の腕を刀で、切ろうとしますが、逆に刀が粉々に壊れてしまいます。
皇帝が、兄弟を焼き殺そうとしますが、寒四郎は、火を消してしまいます。
海でおぼれ死にさせようとすると、大口七郎が一口で海の水をすいこんで、城にはきだすと、皇帝から大尽から役人まで全部海の水が飲み込んでしまいます。
昔話に、とんでもない能力をもつ人間が出てくるのは、そんな力があったらという願いが込められていたのでしょう。
同じような話では、とんでもない能力をもつ人間が、主人公のおともをするのが普通ですが、この話ではあくまで兄弟が主人公です。