奈良のむかし話/奈良のむかし話研究会/日本標準/1977年
むかしむかし、地黄という村に惣五郎という名のじいさまがいた。ある年の田植え時期に三段御作(約0.3ヘクタールの広さの田)の田の植えつけをおえて、夕方家に帰ろうとすると、道ばたにある野井戸の中に子ギツネがはまっておぼれ死んでいた。えらいところで死んだものやと、子ギツネを拾いあげ、畑のすみっこに 小さい穴を掘って ていねいにほおむってやった。
その夜、トントン戸を叩く音がして目を覚ますと、「惣五郎どん、お田引いたん、見いたかえ、三段御作、みな引いた。」と誰かが叫んだ。じいさまが戸を開けてみたが、だあれもいなかった。朝になって、じいさまが田んぼにいってみると、きのうえらいめいして植えた苗が、なんと一本残らず引き抜かれておった。
すぐに近所の者にたずねたが、だあれも知っているものがいない。悔しくて、寒くもないのに がたがた ふるえとったが ふと思い出して、畑にいってみると、子ギツネの死がいもなかった。「ハハーン、こりゃ、きっと親ギツネがおもいちがいしているにちがいない。さかうらみするとは、なな なんちゅうやつや。」って、どえらくカンカンになって、「わしは、おまえの子どもがおぼれて死んでいたのを ほおむってやっただけやないか。おもいちがいも、ほんまもう、ええかげんにせんかい!」と、でっかい声を張りあげながら歩きまわった。
その夜、「ヨーイセエ、エーラセエ、ヨーイセエ、エーラセエ」と、伊勢音頭がきこえてきた。そして、トントンとをたたく音がして「惣五郎どん、お田引いてすまなんだ。三段御作、また植えた。」といった。
つぎの朝、戸を開けてみると、戸の前には一尺ほどもある、大きな鏡もち一重ね、どーんとおいてあった。田んぼにいってみると、三段御作の苗も、またもとどおりに植えられていた。
また、こんなさけび声がしたと。「お田引いたん見いたかえ。お田引いてすまなんだ。三段御作、また植えた。」
キツネの存在感が楽しい。さけび声のリズムがそのままタイトルになっていますが、どんなだったのか気になるところ。