わたしを 描く/曹文軒・作 スージー・リー・絵 申明浩:広松由希子・訳/あかね書房/2024年
八歳のウロが、自画像を描くキャンバスをさがして、お父さんと画材屋をみてまわりますが、なかなか気にいるキャンバスがありません。やっといきついた店で雨露にさらしてつくられた雨露麻のキャンバスを買うことにしました。このキャンバスは、高名な画家が発注していましたが、一昨日突然亡くなって店頭にならべられていたものでした。
はじめ、キャンバスがもったいないというウロは、父さんにはげまされ、二週間かけて、やっと自画像を描き上げました。その夜、父さんはウロの先生や自分の友だちに電話をかけ、ウロの自画像をみてほしいと、つたえました。
ところがつぎの朝、キャンバスの自画像は、絵の具が流れてドロドロの色になっていたのです。せっかく描きあげたのに、このままではほかに人に見せられません。
ウロは、なんども自画像を描いていきますが、夜が明けると、キャンバスは、またドロドロの色になっていました。新しいキャンバスを買おうというという父さんに、このキャンバスではなければだめと、ウロは、ひたすら描きつづけました。
ある日、学校から帰るとキャンバスが見当たりません。お母さんが、ゴミ置き場にすてたといいました。お母さんはウロが日に日にやつれていくのを見て、心配していたのです。
ウロは、キャンバスをさがしだし、二日後 八人目のウロを描きはじめました。描き終えると、きれいな花柄の布を選び、キャンバスにかけました。それから何日も、絵を見ようとしませんでした。
数日後、キャンバスを見ると・・・。
画家にとっては、どんなキャンパスでもいいということにならないようです。また、画家の自画像はたんに似せるということでなく、内面まで映す出すものなのでしょう。
冒頭、父が果たせなかった絵描きになる夢をウロにたくし、ちいさいころから絵を教え、有名な絵描きをたちを家に招いて絵を習わせるところからはじまります。自画像をすすめたのも父親。ウロにとって絵を描く意味がでてこないので、なにかチグハグな感じがしました。