海の館のひらめ/遠い野ばらの村/作・安房直子 絵・味戸ケイコ/偕成社文庫
島田しまおは、16歳でレストランアカシヤに働くようになってから6年。
料理人は島田を入れて6人でしたが、いつまでたっても下っ端で、毎朝山ほどの玉ねぎを刻む仕事から皿洗い、なべ洗い、流しみがきに、ごみのそうじをしていました。
馬鹿正直でゆうずうがきかなくて、人のきげんをとるのがとてもへたで、料理長は料理のコツは何一つ教えてくれませんでしたし、なべに残ったソースの味見させるのさえいやがっていました。そして「きみはもう、やめたらどうだい。海に館のひらめにでも見込まれないかぎり、一人前になるのは、とてもむりだよ」とまでいっていました。
すっかり気がめいいって、指にけがをしたり、ソースのなべをひっくりかえしたり、悪口をいわれたりして、この店はやめてほかのところで、やりなおそうと心に決めました。
ところが、そのとき「しんぼう、しんぼう」と、だれかがいいました。まわりをみまわしてもだれも、しまおに話かけてはいません。すると、また小さな声がきこえてきました。「わたしが力になってあげますから、もうすこし、ここでしんぼうしなさい」。
それは死んだお父さんの声ににています。そして、しまおは、流しの下の氷の上に寝ているいっぴきのひらめを見つけたのです。
ひらめは、「わたしは、もうすぐ料理されて、食べられてしまいますけどね、骨だけになっても、ちゃあんと生きています。だから、わたしの骨を、ごみバケツなんかに、捨てないでください。わたしの骨を、大事にしてくれたら、わたしはきっと、あなたの力になります。」といいます。
よごれた食器がどっど、もどってくると、しまおは、食器の中にあのひらめの骨を見つけ、すばやくふきんに包んで、ポケットに入れました。その夜、屋根裏の小さな部屋にかえると、ひらめにいわれたように大きめのガラスのコップに塩を一つまみ水の中にいれ、さらにひらめの骨をいれます。
すると、骨だけのひらめがいきかえり、「役目が終わったら、海にかえしてください」といいます。
ひらめの役目は、しまおを、一人前の料理人にして、店を一軒持たせてあげるというのですひらめは、まじめな人間が、損ばかりしているのが、わたしには、がまんできませんでねえ・・ともいいます。
ひらめの助言は、まず店一軒を手に入れること。アカシヤで働いた給料を無駄遣いせず、きちんとたくわえてきましたが、とても一軒の店を手に入れる金額にはたりません。けれども、ひらめは売りに出ているレストランにいくよういいます。夜9時過ぎ、売り店をたずね、6年分の給料を銀行からおろした金額で、売ってくれるよういいます。全然足りないという売主に「ぼくには、海の館のひらめがついていますから、けっして損はおかけしません」というと、男は「残りの金は来年中に、かえしてくれればいい」と、しまおに店を売ってくれることに。
それからは、ひらめが料理の作り方を伝授。アカシアでの仕事がおわると、夜中に購入したばかりの店で練習です。わき目もふらずに料理の練習をつづけ、ほんのすこしのあいだに腕利きの料理人になってしまいます。ただ働きづめに働いて眠る時間も休む時間も無くなって、すこしやせ、ときどき頭ががふらふらします。
ひらめは、そんなしまおに、体をやすめて、開店まで力をたくわえるよういいながら、さらに「あなたは、およめさんをもらう必要があります。明るくて気だてがよくて、働き者の娘さんを見つけて、結婚することですよ。」「レストランは、なんといったって、客商売ですからね、いくら料理の味がよくても、あいそのいい奥さんがいないと、うまくいきません。」と、あるちっちゃい喫茶店でピアノをひいている娘さんを紹介します。
ここでも、ひらめにおされて、勇気を出してぶつかっていったしまおでした。
娘の名まえは”あい”、「海の色の名まえ」でした。
まもなく しまおはアカシヤをやめ、あいと、ささやかな結婚式をあげて、新しい店へ移っていきました。新しい店の開店準備をすませると、二人は海に行き、ちいさな舟で沖に出ると、真っ白いナプキンにつつんだ骨を海の水にうかべ、心から「ありがとう」と、いいました。
「海の館のひらめ」は、レストランアカシヤの料理長も、店を売ってくれた男も聞いていましたし、娘の夢にもあらわれます。何百年に一度しか手に入らない、死んでも生きかえるすばらしい魚で、見込まれたものは、とびきりの果報者だといいます。
昔話では、よく不思議な助言者が登場しますが、「海の館のひらめ」も、そんな助言者で、ひっこみがちな しまおの背中をおしてくれる存在です。