どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

ライラック通りの帽子屋

2015年09月19日 | 安房直子

     ライラック通りの帽子屋/安房直子コレクション4 まよいこんだ異界の話/安房 直子/偕成社/2004年/1973年初出


 ライラック通りによく気をつけていないと見すごしてしまいそうな古い小さい帽子屋がありました。あまり売れるあてもなさそうな帽子が店にならんでいます。

 ところがある日、「こんばんは」と入ってきたのは、なんと羊。

 放し飼いの羊が、ジンギスカンにされそうになって牧場から逃げ出してきたのです。羊は自分の毛を刈り取って帽子をつくってほしいと頼みます。

 帽子屋の見立てでは小さいトルコ帽が30個ぐらいできそうでした。

 羊が帽子をかぶってもしょうがないだろうという帽子屋に、「ぼくの毛でつくった帽子には、もうすこしすると不思議な力がやどるんです。これからぼくは、いなくなった羊の国に行くつもりなんです。そしてぼくがその国にすっぽりはいって、姿がきえたら、帽子にふしぎな力がでてきくる。」といいます。そして帽子ができたら牧場の羊に、夜中にこっそりととどけてやってほしいとも。
 
 やがて帽子屋は、注文の30個と、こっそり自分のためにもうひとつこしらえます。

 帽子屋が自分のためにこしらえたトルコ帽をかぶったのは、おかみさんからお金や娘のことでガミガミいわれたのがきっかけでした。

 帽子屋は、帽子をかぶるだけでふしぎなことがおこるという羊のことばに半信半疑でした。

 しかし、トルコ帽をかぶると帽子屋がいつかの羊にあいます。そこですすめられたメニューの中から「にじのかけら」を選び、それを食べると帽子屋はちょっきり三十年若がえります。

 若者は、ライラックの花がみごとに咲いている木の下で、ライラックの帽子、世界一かるい雲の帽子、キラキラ輝いた虹の帽子新しい型の帽子をつくりはじめます。

 そして、やってきたのは、若くなったおくさん。

 紫色の帽子にひかれて、これまでかぶっていたトルコ帽をぬぐと、おくさんは、もとの年取ったすがたになって、自分の家にうずくまっていました。

 次に、きえた羊の国にやってきたのはトルコ帽をかぶった二人の娘。娘たちもアルバイトさせてもらい、ライラックの帽子をかぶろうと、トルコ帽をぬぐと。娘たちも自分たちの家のもどってしまいます。
帽子屋が羊の国にいってから、おくさんがトルコ帽をショウウインドウにかざると、さっそくスケッチブックをもった若者がトルコ帽をかっていきます。


 いろいろ想像してみると楽しそうな話である。

 帽子屋の店構。一階が店舗で、二階部分が住居。店舗は三坪ほどか。

 帽子屋は無口で、頑固な職人気質。(ある絵本では髭があるおじいさん風に描かれているのですが、自分としては、もう少し若いイメージ)

 帽子屋のおくさんは、いまどきそんな帽子ははやらない、もっと金になることを考えてくれと帽子屋のしりをたたきますが、帽子屋がいなくなってから、仕事場の掃除をし、ミシンに油をさし、帽子の型紙をそろえたり、ショーウインドウのガラスをみがいたりと、よくできたおくさんのようです。

 牧場の羊にとどけてほしいいわれたトルコ帽。最後のほうで帽子屋がいいます。「花の帽子がいかにもにあいそうな若い娘、白い雲の帽子をほしいという若者がおおぜいいたが、みんな消えてしまった。」と。
 かぶろうとトルコ帽をとると、みんなもとの世界にもどっていったのです。とすると羊のところではなく、人間にわたったようだ。

 帽子屋があった街は、絵本にするとどんな感じになるだろうか。多分大都市ではなく、しっとりとした古都がふさわしいようだ。両脇にはせいぜい二階建ての格子の家といった感じか。いや、帽子というから外国のレンガ造りの街並みがイメージされる。

 ライラック色と聞いてどんな色を想像するでしょうか。
 あまり見たことがないが、紫色。

 そして、ライラックの花言葉は「思い出」「友情」「謙虚」。

 この中では思い出がふさわしいようだ。時計屋の娘だったところに、帽子屋が何度もやってきて、自分のつくった帽子をかぶってみませんかといわれたときのあまずっぱい思い。

 ライラック通りといっても、木は大分昔に枯れて花を咲いたところはみたことがなかったのに、羊の国へいくときは、並木という並木にたおやかな花が咲きこぼれ、夜だというのに、通りいっぱいのうす紫のあかりをともしたように明るい風景。
 
 調べてみると、道路にライラック通りという愛称をつけているところが散見されます。

 ライラックということばから連想したのがハナミズキ。自分の住む街にはハナミズキ通りがある。この名称はライラックより多い。ハナミズキどおりの○○で、別の話もうかんできそうだ。

 「帽子屋は、自分のつくった帽子をかぶった人の顔を見てはじめて、ほんとうの帽子屋になれるんだ」という最後のセリフは、売れるあてのない品物をつくっていた帽子屋に、羊がやんわりとさとしたものだったのかもしれません。


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