のうさぎとさいちょう/オコト・ビデック 北村美都穂・訳/新評論/1998年
あるとき、ひどいひでりになり、動物たちが いまにも死にそうになっていた。ひとりの女がいいました。「のどがかわいて死にそうだ。誰か、ほんの少しでもいい。水をくれる人がいたら、娘を およめにあげるのに。」
これを聞いて、ありとあらゆる動物が集まってきて水を掘りだそうとします。ししが、井戸を掘るには歯を使うといいというと、おひつじが、井戸は角を使うべきだといい、長い長い議論の結果、後足をつかおうとなって、ぞうが、大地をふみならしましたが、土埃が舞い上がだけで水はでません。
かばが、すいぎゅうが、さいが、ウォーターバックが、そのほか荒れ野にすむ大きな動物がみなやってみますが、水は出ません。あきらめて さるが去ると、アンテローブが、踊り場で歌いますが、水はやはりでません。カメレオンがみんなから笑われながら、踊りはじめると、カメレオンの足元に、ちょっぴりどろがありました。とかげは、カメレオンがおしっこを漏らしたと思い、笑いますが、どろはどんどんふえていき、やがてどろ水になりました。帰りかけていた動物たちは、カケレオンがどろ水を掘り当てたと聞いて、かけもどってきました。
ぞうは、話を聞いてカメレオンを、鼻でカメレオンをつかまえ、木の幹にたたきつけたので、杯のなかに埋まってしまいます。美しい娘とならんですわってみていた女がぞうに声をかけました。「ぞうさん、重いおかた。水を出すのは、カメレオンにまかせなさい。みんなのためですから」。ぞうはおおいに恥をかき、腹を立てて引きあげていきました。
動物たちが、灰の中に埋まっていたカメレオンをさがしだすと、カメレオンは、また歌います。やがて、どろができ、どろ水にかわり、どろ水がしだいに澄んできて、とうとうあたり一面水になりました。
ある日、カメレオンとおよめさんが、畑をたがやしていると、恥をかかされたぞうがやってきて、「だんなはどこかね?」と、たずねました。およめさんは、ぞうがくるまえに、カメレオンを ひょうたんのなかにかくしておきました。ところが、ひょうたんのなかに水がはいっていないというのを聞くと、ぞうはひょうたんを石にたたきつけました。ぞうは、中から出てきたカメレオンを足でふみつけ、およめさんを、じぶんのおかみさんにしてしまいました。このとき、カメレオンのおよめさんの子どもがやどっていました。
やがて、この子がおおきくなると、一計をあんじたので、ぞうは、火で焼け死んでしまいます。しかし、そのぞうの指の間には、カメレオンがはさまっていて、まだ生きていました。
動物たちは、歌いながら水を掘りだそうとしました。
ぞうは
”重たいぞう 重たいぞう さあて 水のあるあたりは ここらかな 重たいぞう 力持ちだぞう さあて 水のあるのはここらかな”
カメレオンの歌は、動物たちの中で どんな存在であったかが わかります。
”笑うならお笑い わたしはみんなの笑いもの 赤あたまのとかげがわたしのことを笑っている どもこれが私のうまれつき 笑うならお笑い わたしはみんなの笑いもの”