ニッキーとヴィエラ/ピーター・シス・作 福本友美子・訳/BL出版/2022年
少し前「英国のシンドラー」という放送番組をみる機会がありました。ここにでてくるニッキーのことですが、タイミングが良すぎてびっくり。絵本の原著は2021年の出版で、番組の担当者にも影響を与えたのでしょうか。
1938年12月スキーに行こうと思ってたニッキーのもとに、友だちから電話がかかります。 「プラハへきてくれ」
この年の10月、ドイツ軍がチェコスロバキアのズデーテン地方にはいってきました。村の人はドイツ軍をおそれ、もてるだけの荷物をまとめて逃げ出しました。戦争がはじまりそうなので、ニッキーは、できるだけのことを何とかしなければと思ったのです。イギリスでは17歳以下の子どもたちを難民として受け入れていました。それには、引き取ってくれる家庭を見つけ、必要な手続きをすべてしなければなりません。ニッキーは子どもたちのリストを作り、顔写真を用意し、汽車の乗り継ぎを調べます
翌年、イギリスに戻ったニッキーは、新聞に子供を引きとってくれる家庭をさがす広告をだします。そして必要な書類を用意し、汽車の切符を用意します。
1939年3月、ドイツ軍がチェコスロバキア全土にせめこんできました。
春と夏には8本の列車がプラハをあとにし、669人の子どもたちが、ロンドンにつきました。9月1日、ドイツ軍がポーランドにせめこみ、その日、プラハをあとにするはずだった250人の汽車は出発できませんでした。
戦争が終わっても、ニッキーは、子どもたちのことは 50年間だれにも 一度も話しませんでした。ニッキーがすっかり年をとったころ、おくさんが古い書類をみつけました。そして、ニッキーはテレビ番組のゲストによばれました。そのとき、ニッキーと同席していたのは、助けられた子どもたちでした。
ニッキー、本名ニコラス・ウィントンの両親はドイツ系のユダヤ人。絵本にはおいたち、戦後のことにもふれられています。
もう一人の主人公、ヴィエラもイギリスへ脱出しますが、だれに助けられたのか知らなかったヴィエラが、テレビ番組でニッキーに対面するまでが、並行して進行します。
戦争で犠牲になるのは弱いもの、子どもたち。今戦火にあるウクライナやガザの子どもたちの姿が重なります。
ニッキーが沈黙していたのは、250人の子どもたちを間一髪救えなかったということでしょうか。
ニッキーは、「私は英雄ではありません。本当の英雄たちのように、危険に立ちむかったわけではなく、やるべきことがあったから、やっただけです。」といいますが、いざというとき、やるべきことをやれるでしょうか。
絵はあまり見られないタッチ。多数の戦車がならんでいたり、8本の列車が2ページに上下に描かれ、子どもたちが乗った列車が宇宙空間を走っているなど、心に残ります。