どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

ふしぎな はな

2024年02月14日 | 紙芝居(昔話)

    ふしぎな はな/脚本・絵 藤田勝治/童心社/2009年

 

 ジャワの月下美人にまつわる花の話。


 むかしジャワ島の王さまは、優しい王さまでしたが、国が栄えるにしたがって 横暴になりました。

 大臣たちが、キアイというえらい坊さまに相談すると、キアイはさっそく お城にやってきて王さまを戒めます。
王さまは、生意気な坊さまを懲らしめようと、おおぜいの兵隊とキアイを取り囲みますが、海からあらわれた龍が暴れまわり、「じぶんは、すべてが 思い通りになるとおもっていたが、それは まちがっていた」ことを 思い知らされます。

 風がおさまり、龍は消え、何事もなかったような、キアイの 姿が ありました。王さまはキアイに、「わたしは いままで、ひどく 威張っていました。でも、本当は なんて ちっぽけで 弱いのでしょう。いったい どうすれば よいのでしょうか」と相談すると、「向こうに見える島に、真夜中 ほんのいっときしか 咲かない花がります。その花を持ち帰ることができるなら 王さまのこたえは 見つかるでしょう」といわれ、小舟で、その島をめざします。

 ふしぎなことに、いくらこいでも なかなかちかずくことができず、幾日も幾日も舟をこぎすすめ、やっと島にたどりつきました。そこには、魔物がいて 王さまを 口々に ののしりました。それでも くじけずにすすんでいきますが、花は見つかりません。暑い陽に照らされ、大雨にあい、風に たたきつけられながら歩きますが、やはり花はみつかりません。ついに、王さまは動けなくなりますが、そのとき、かぐわしい香りが ただよいはじめ、光の中に、女神があらわれ、花を 手にすることができました。

 「わたしは 民のための王に なろう」と誓った王さまは、その後、だれからも慕われるようになり、国も栄えたという。

 

 表紙は壁画風、龍や女神も独特の絵で、すんなりはいっていけるか心配なところもありました。立派な王さまになるためには たいへんな 試練がまっているというのが、後半にでてきます。


小鳥に仕返しされた野ウサギ・・コンゴ

2024年02月13日 | 昔話(アフリカ)

     お話しは土の城のテラスで/西アフリカ・トーゴの昔話集/和田正平/メディアイランド/2016年

 

 本のタイトルが気になって手に取りました。トーゴのタンベルマと呼ばれる人びとのお話。砦型住居から、このタイトルになったようです。収録は24話と多くはありませんが、野ウサギが悪役としてでてくるのが目立ちました。

 小鳥がまいたアワの種。実ったころ、野ウサギがやってきてすっかり刈り取ってしまい、そのあとに、壊れた土器のかけら、欠けたヒョウタン、イヌの骨を畑において帰りました。

 小鳥と野ウサギが激しい口論になり、村長のところへ訴えにいきます。野ウサギは、みんなに手伝ってもらったお礼に、三頭のヤギ、一頭の牛、一頭のイヌを殺してごちそうし、地酒も振る舞ったと主張します。村長は、小鳥がひとりで畑が耕せないと野ウサギに軍配を上げます。

 おさまらない小鳥は、木の笛を探してきて、セミをその中につめました。小鳥が笛を吹くと、なかのセミがミーン、ミーンと鳴きました。笛の音を聞いた野ウサギは、笛が欲しくなり、アワを小鳥にわたしました。小鳥は二籠のアワを要求します。野ウサギは、何回か往復しますが、アワは、なかなか籠いっぱいになりません。それもそのはず、小鳥が籠の底に穴をあけておいたので、小鳥の穀倉にすべて落ちていたのです。野ウサギの穀倉が空になると、小鳥は笛を、野ウサギにわたします。

 小鳥は、笛は熱湯にいれてよく洗い、笛の中にバターを詰めておき、気ままにふかないで、ダンスのときに吹くように言いました。野ウサギが小鳥のいうとおりにしたので、中のセミは死んでしまい、ダンスをする日、笛を吹いてもまったく鳴りませんでした。

 やがて飢饉がやってきて、食べるものがない野ウサギが小鳥の家にいきますが、一粒のアワも、もらうことはできませんでした。


おまえ うまそうだな さよならウマソウ

2024年02月12日 | 絵本(日本)

    おまえ うまそうだな さよならウマソウ/宮西達也/ポプラ社/2023年

 
 むかし、ティラノサウルスが、うまれたばかりのアンキロアウルスの あかちゃんを 「おまえうまそうだな」といって 食べようとしました。ところがあかちゃんは じぶんの名前を 「ウマソウ」と思い、テラノサウルスのことを お父さんだったと思って、だきつきました。はじめはおどろいたテラノサウルスでしたが、一緒に過ごすあいだに、ふたりは親子のようになっていきました。テラノサウルスはなやんだすえ、ほんとうの親に ウマソウをかえしてやろうと きめました。
 
 それから、20年。
 
 年老いたテラノサウルスが、野原の真ん中で たおれました。もうだめだと つぶやいて目を閉じると、ケツァルコアトルスがそらから まいおりてきて、テラノサウルスのしっぽに かじりつきました。そのとき、テラノサウルスを助けたのはアンキロアウルスでした。その後ろには ちっちゃな こどもが 二ひき。「なぜ助けた。おまえのこどもも くっちまうかも しれないんだぜ」というテラノサウルス。その日から、アンキロアウルスの親子が、赤い実をテラノサウルスに もってきて 傷ぐちには、縫って くれました。「こまっている人が いたら、助けるのは あたりまえでしょ」といわれ、テラノサウルスのこころは ぽっと あたたかく なりました。
 
 元気になって、子どもたちに いろいろなことを 教えるようになったテラノサウルスのところに、キランタイサウルスがやってきて、チビたちを食べようとします。テラノサウルスは、ふたりを抱きしめましたが、キランタイサウルスは、容赦しません。そこに 子どものお父さんが たいあたりしますが、力の強いキランタイサウルスには かないません。
そのとき、テラノサウルスが、赤い実をひとつ ぽーんと 口にれると よたよたしながらキランタイサウルスに しがみつきました。勝てないと思いながら、キランタイサウルスに だきつくと、二ひきは 崖から落ちてしまいます。
 
 
 子どもたちから、「うわー、すごいすごい!」「おじいちゃん、つよいんだね」「かっこいい!」といわれていたティラノサウルスが、ぼろぼろになりながらも 残った力をふりしぼり、子どもたちを救うあたりは、わかっていても感動的です。
 20年前にいっしょに暮したアンキロアウルスのあかちゃんが、大人になって、年老いて、力尽きようとしていたティラノサウルスをすくうという伏線も 生きています。 

ゆきのげきじょう

2024年02月11日 | 絵本(日本)

    ゆきのげきじょう/荒井良二/小学館/2022年

 

 雪のふる小さな町。

 男の子は、チョウの図鑑をみていました。黄色・赤・水色・白のうつくしいチョウ。遊びにきた友だちは、図鑑を貸してほしかったようです。お父さんが大事にしていた図鑑が、やぶれていました。

 お父さん怒るかなと思いながら、スキーを滑っていると、くぼみがあることを忘れて おちてしまいました。そこに灯りのついた 小さな劇場をみつけました。

 男の子が、舞台から落ちた人を、もとにもどしてあげると、雪の人たちは お礼に、今日の舞台に招待してくれました。くるくるまわるバレリーナがやってきて、クルクルささやくと、そこには、大きな雪の劇場がありました。雪の劇場がはじまりました。ふわりふわり、ゆっくりしずかな舞台。歌声が小さく小さく聞こえ、こまの歌をうたっていると、その歌がだんだん大きくなりました。”こまよ こまよ ゆきのこまよ おおきくまわれ ゆきのこまよ”。男の子も舞台にあがって、みんなと 歌をうたいます。雪の女王もきいています。女王が ゆっくり手をあげると、雪が ふわりふわり まいおりてきて、どんどん どんどん ふってきて、まわりが見えなくなってきました。友だちが見えた気がして、オーイオーイと手をふっても、雪で 見えなくなりました。

 ”おーい””おーい” とよんでいると、「さあかえろう」と 父さんの大きな手。父さんの本をやぶったことをあやまった男の子。でも父さんは、友だちへ図鑑を貸すようにいいました。あったかい部屋で ココアを飲みながら歌っていると、雪のふる小さな町に 夜がきました。

 雪がふる中、黄色・赤・水色・白・オレンジ・緑・紫・ピンクのチョウがとぶさまは、幻想的。荒井さんは山形うまれ。シーンとした雪の白と、透き通るような暖色の絵が温かい。


ガンのこ石・・石川

2024年02月10日 | 昔話(北信越)

        石川のむかし話/石川県児童文化協会編/日本標準/1977年

 

 石川県珠洲市のお話。ガンはカニのこと。

 夕方になると、深い谷の上の村にたびたび不思議なことがおこった。人がとおると、7つか八ぐらいの男の子が出てきて、十歩ほど先を、右へ左へちょこちょこ歩いていく。走って追いつこうとすると、小走りで先へ行き、こっちがゆっくりと歩くと、向こうもゆっくり歩く。おかしなことと思うとると急に気味が悪くなって、からだがぞくぞく寒くなってくる。男の子がひょいと振り向くと、口のまわりをあわだらけにして目玉のとび出た化け物のよう。村のもんは、この話を本気にしなかったが、そのうち小さい子どもがさらわれたという話がつたわると、もう谷の上の村の者は、だれも通らないようになった。

 さわぎがおこっているとき、えらい坊さまがやってきて、この話を聞き念仏をとなえていのっているうちに、この化け物は、昔から能登のあちこちでいたずらをして追い出された甲羅にコケのはえている大きなガン(カニ)であることがわかってきた。このえらい坊さまは、村のもんをあつめて、このガンの話をした。

 このガンはもとは珠洲のでっかい寺にすみついて、旅の坊さまがたずねてくると、問答をしかけ、答えにつまると、大きな指で、ほっぺたをチョキンとつまみあげ、口中あわだらけにしてにたにた笑うので、どの坊さまもひと晩でにげたという。ある年、月庵というえらいぼさまがきて、「おまえはガンであろう。正体をあらわせい。」と大声で叫ぶと、さすがのガンも、すたこらと寺をにげだし、すがたをけしたという。

 話が終わると、この坊さまは、ガンのすんでいるふかい谷へひとりででかけ、このごろ悪さがすぎる、もうやめろと 言い聞かせた。そして「この谷から一歩もでないと、約束するならおまえに、村が日照りで困ったときに、雨をふらせるふしぎな力をさずけてやろう。」といいます。
 坊さまとかたい約束をしたガンは、谷の深い水の中にもぐったかと思うと二度とそのすがたをみせることもなくなり、いつのまにかでっかい石にかわってしまった。そして村の者は、この話を聞いて、日照りのときにこのガンのこ石におねがいしようと、この石を谷の中にうごかさずにおいておいた。

 さて、ある年のこと、かんかんの日照りで、谷の上の者は、あのガンにおねがいしようとします。一方、谷の下の村は川の下にあり、池もあるのでちょっとの日照りには、びくともしない。ガンのこ石をほったら、百日の雨つづきになる、下の村の者は、水浸しやと、ガンのこ石をほることに反対します。上の村は、どうしても水が欲しい。いいぶんがかちあって、両方の村は、血の雨をふらさんばかりの大騒ぎになった。

 そのあと、どうなったかはわからんが、きっと百日の雨つづきではなしに、あのガンが 坊さまからあたえられたふしぎな力で、ちょうどいい雨をふらして、両方の村のあらそいごとをおさめたのではないかということや。

 

 調べてみると、珠洲市には多くのお寺がありました。今回の地震の影響は どんな状態でしょうか。


ぼくのにいちゃん すごいやろ!

2024年02月09日 | 絵本(日本)

   ぼくのにいちゃん すごいやろ!/くすのき しげのり・作 福田岩緒・絵/ほんの杜/2016年

 

 ダイスケ、マナブ、ヒデトシの仲良し3人組がでてくるシリーズの一冊。

 ヒデトシは、新しい釣竿をもって、三人で 魚釣りに でかけた。

 ヒデトシのお兄ちゃんは、「ヘ~イ ベィベー~! ちびっこたち、まあ、しっかりがんばって メダカでも つってくれたまえ」といつものように えらそうに いうと、急いでサッカーの試合に。

 三人組がつろうとしていると、お兄ちゃんが、「オレの、ウルトラ・スーパー・スペシャル・ミラクルシュートまでは、必要なさそうだから、おまえらに つりを おしえにきてやったんや!」と、声をかけてきた。

 三人組は、サーッカーのメンバーにはいれなかったことが すぐに わかりましたが そのまま つりをはじめました。お兄ちゃんが えらそうにいいますが、つれるのは 三人だけ。

 「オレは わざと ちいさい さかなを つらんのや」というお兄ちゃんの釣竿に 大物がかかった模様。おもいきり力をいれたとたん、プツンと 釣り糸が きれてしまった。

 お兄ちゃんが、「おおものすぎた。もっと 本格的な 竿をもってくるべきやった。名人のオレとしたことが、・・ざんねんや!」と負け惜しみをいうと、「いま つったのは”ちきゅう”ですか?」とマナブのツッコミ。

 そのお兄ちゃんが、作戦会議といって、自転車にのって、両手を離したポーズをとったとたん、自転車が倒れ、用水路に ドボーン。かっこわるいと思ったヒデトシ。

 そこに六年生のふたりぐみが 「釣竿 かりるで」やってきた。そろそろ帰るからと断ると、つかったあとで、ここにおいてくるから とふたり組。その時、お兄ちゃんが はいあがってくると ふたり組は お兄ちゃんのおでこを おしたので、お兄ちゃんは、また どろのなかに おちてしまいます。

 釣竿を貸せ貸さないでであらそっていると、もういちど はいあがってきた お兄ちゃんが、泣きながら 「お前ら、絶対ゆるさんぞ~。よわいもの いじめを するな ウーッ その手を離せ」と、大声を出すと・・・。

 

 かっこうつけている どことなく頼りがいがない お兄ちゃんですが、最後は貫録をしめせました。泣きながらというのも 格好悪いかな! でも、 「ヘ~イ ベイベ~! さいこうだぜ」のポーズは きまっています。


ウーフは おしっこで できてるか??

2024年02月08日 | 紙芝居

  ウーフは おしっこで できてるか??/作・神沢利子 絵・井上洋介/ポプラ社/2004年(12画面)

 

 「くまの子ウーフ3」とありますので、シリーズでしょう。

 ウーフは、目玉焼きと、はちみつをつけたパンをたべながら、卵をぽんとわったら いつもきみと白みがでてくるので、ちょっと不思議。お父さんから、おさじは、ステンレス、パンは小麦粉、いすは木、座布団は、綿ときいてすっかり感心してしまいました。

 なにがなんでできているか きつねのツネタくんにも 教えてやろうと 外へ遊びに行きました。

 野原で散歩しているめんどりさんに、「あした、ぼくがいったら。」ときくと、めんどりは、「たまごを、またひとつ うんであげるわ。」「その、あしたも。」「ええ、そのあしたも、あんたがもらいにきたら、そのたびにうんであげるわ」といいます。めんどりのからだに、たまごがいくつはいっているかたずねると、めんどりさんは くびをかしげました。

 めんどりは、たまごでできているとわかったウーフは、めんどりがうんでくれた うみたてのたまごを手にのせ、めんどりとわかれました。

 ウーフが、きつねのツネタに、「めんどりが なんでできているか、あてたらえらいよ。」ときくと、「ガラと肉とはねでできているのさ。しらなかったのかい。」といわれてしまいます。「たまごをうむなら、たまごでできているっていうのかい、そんなら、きみはいったいなんでできているんだい。」といわれこまってしまったウーフ。「おしっこでできているのさ。」といわれてツネタに とびかかりますが、ツネタはにげ、ウーフは つまづいてころび、とがった小石が、足にささって、なきだしました。

 足には血もにじんでいます。ウーフは、「ぼくのからだからでるのは、おしっこだけじゃないや。血も出でるし、涙もでるよ。」 泣きやんで歩き出したウーフは、野原の草の上でねころがりながら、「やっぱりさ、ぼくがおしっこでできているのはへんだよ。ぼくはおしっこなら、おしっこが、足がいたいなんて思うかなあ。」・・・。

 このあとも考察?をつづけるウーフが かわいらしい。

 

 タイトルが楽しい紙芝居。なぜ おしっこでできていると思ったのか、興味深い展開。なぜめんどりが、毎日たまごをうむか 考えたこともなかったので新鮮でした。めんどりのからだが たまごで いっぱいになっている画面で、おもわず オーとなりました。

 12画面の紙芝居ですが、文章が多いので、時間は かかりそうです。


ぼくには ひみつがあります

2024年02月07日 | 絵本(日本)

    ぼくには ひみつがあります/羽仁進・作 堀内誠一・絵/主婦の友社/2023年

 

 「ぼくには ひみつがあります」といわれると、それだけで 何?と 思わず引き込まれるタイトル。

 アパートの階段のうしろに、とてもへんなかたちの、かわいい ちっちゃな動物を見つけた五歳の男の子。まえに、野原で真っ白な犬を ひろってきて よその人に つれていかれたことがあった男の子は、だれにもだまって 餌を運んでやることに。

 リスの仲間かなと思ったが、どんなことをしたら よろこぶかもわからない。絵をかいて、幼稚園の先生に聞いてみると、すぐに、「ムササビだろう」という。ちょっとふとっていて、飛ぶのは無理かと思っていたら、ある日、四ひきの子が増えていた。

 ある日、とうとう ムササビがとぶのをみて男の子は、万歳。ところが子どもたちは 飛び方がへたで、壁にぶつかったりします。誰かに見つからないようにしていると、幼稚園のもじゃもじゃ先生がやってきて、ムササビを やまに連れていくことに。

 もじゃもじゃ先生が幼稚園の子どもと、ムササビをやまにつれていき、夜、テントでムササビをみつめるシーン。目を輝かす子もいれば、眠そうな子も。

 

 羽仁進作と、ずいぶん懐かしい名前。それもそのはず、初版は1973年と50年前の増補改訂版。しかし、アクリル絵具で描かれたという絵は、50年前とは思えない鮮やかさ。

 アパートにムササビと、今では、ちょっと考えられないし、先生がパイプをくわえたり、野外キャンプなど、ひと昔の光景。

 ただ、子どもにとっては忘れられない経験を残してあげるのは、親の責任なのかも。


月ようびは なに たべる?

2024年02月06日 | 絵本(外国)

   月ようびは なに たべる?/エリック・カール・絵 もり ひさし・訳/偕成社/1994年

 

 アメリカのわらべ歌。

 「今日は、月曜日! 月曜日は何食べる? 月曜日はさやいんげん、おなかのすいた子、みんなおいで――」とはじまり、日曜日までの一週間の食べ物を、はりねずみ、へび、ぞう、ねこ、ペリカンなどの動物たちが 歌っていきます。金曜日は ペリカンで、おさかな。そのあと、月曜日から木曜日までの食べ物を繰り返します。

 エリック・カール独特の色鮮やかな世界。

 最後、車いすの子や、さまざまな人種の子が、なかよくテーブルを かこんで、おいしそうに食べています。

 水曜日は、ぞうがでてきて、”ゾーープ”を食べているのですが、これは ぞうにひっかけたカールさんの遊び心のようです。

 

 巻末に楽譜も。ピアノを弾けなかったら、YouTubeでどうぞ。


長西ギツネ・・石川

2024年02月05日 | 昔話(北信越)

       石川のむかし話/石川県児童文化協会編/日本標準/1977年

 

 能登半島地震では、電気が復旧したようですが、水道はまだ先のようです。あまり報道されていませんが気になるのは子どもたちのこと。幼稚園・保育園、小中学校は、どんな形で再開されているのでしょうか。親がなくなった子どもはいないのでしょうか。
 これまでの日常生活にもどるのは、まだまだ時間が必要なのでしょう。

 ところで、石川県は、南加賀、北加賀、口能登、奥能登にわかれ、この話は、口能登 七尾市の昔話。

 二匹のキツネの話声を聞いたのは、馬売りの五平という大酒のみのじいさまが、家に戻れんほどになって、地蔵さまのところでねていたとき。いっぴきは長齢寺の縁の下にいる長さんギツネ、もういっぴきは、西光寺の縁の下に住む西さんギツネでした。

 どんな相談かというと、長さんギツネが馬に化け、西さんギツネが馬方の五平に化けて、馬市でひともうけをしようという相談。

 五平じいさんは、キツネどもをだましてやろうと、つぎの日の朝、キツネたちを待っていると、先にきたのは長さんギツネ。「おい、長さん、おそかったぞ。わしはもう五平にばけたぞ。おまん、はよ馬に化けや」というと、長さんギツネは、あわてて馬に化けてしもうた。五平が、落ちとった縄で、首のところへたづなをきちきちにしばりつけたので、長さんギツネは、苦しくてたまらない。長さんギツネは、緩めてくれというが、五平は、しばらくのしんぼうといい、馬市で長さんギツネを売って、その銭で、酒を買って楽しんだ。

 いっときは、楽しめたが、いつなんどき悪さをされるかわからんので、きっと、キツネはいつぞやの地蔵さまのところへくるだろうと見当をつけ、地蔵さまのところへいってみると、あんのじょう二匹のキツネが目光らせて まっていた。

 五平じいさま、よっしゃと、でっかい声出していった。「地蔵さまの話では、二匹のきつねが、きっとこの五平に、あだくそするちゅうこっちゃが、うっかりそんなことをしようなら、地蔵さんの罰があたって、足が折れて歩けんようになるちゅうことを知らんと、いまじぶん、どこかでこの五平をさがしておるこっちゃやら、気の毒なことですわいのう」

 キツネは、五平じいさまのまじめくさった話を聞いて、顔見合わせ、しっぽをまいて てんでに にげてってしもうたい。

 

 人をだますキツネがいれば、そのキツネをだます人間もいて、どっちが 悪い?。


人形劇団プーク公演

2024年02月04日 | いろいろ

 昨日、店に貼ってあったポスターを見て、人形劇団プークの公演を見ることができました。

 主催は保育園とその父母会の主催で、関係者以外も見ることができそうだったので、申し込んでみたもの。

 普段街中に子どもの姿を見ることはほとんどないので、これだけたくさんの子どもをみて、びっくり。舞台からの呼びかけに、元気にこたえる子どもたちに思わずほっこり。

 人形だけなら見る機会もありますが、舞台装置、音楽があるところがミソ。300議席ほどのホール。

 第一部は、五味太郎のミニミニ劇場。人形が後ろで演技するのではなく、舞台全体をつかったもので新鮮でした。

 第二部は「きつねのコンとこだぬきポン」と、骨格のしっかりした人形劇でした。

 

 こんな企画をした保育園と関係者に感謝です。


まほうの くびかざり・・グリムの紙芝居

2024年02月04日 | 紙芝居(昔話)

   まほうの くびかざり/原作・グリム 脚本・堀尾青史 画・かみやしん/童心社/1991年(16画面)

 

 きのみやきのこをとりに森にやってきた娘をよめにしようと 森の中に住む三人の泥棒が、たがいに争った挙句、泥棒たちは、三人とも 共倒れ。

 娘は森の中で迷子になりますが、うんよくハトに助けられ、木の穴で やすみます。そこに食べ物もありました。このハトは、魔法使いによって魔法をかけられていました。魔法をとくには、魔法使いの鳥がしている首飾りがないと、人間にはもどれません。

 魔法使いは目がみえませんが、においや 足音には敏感です。ハトは、娘を奥の部屋に案内し、鳥がしている首飾りを手にいれますが、気がついた魔法使いが夢中でおいかけてきます。

 娘が首飾りを ふりかざすと 魔法使いは、くるったようにふるえて、あっというまに とけて 池のようになり まったくきえてしまいました。そして、ハトは りっぱな 若者になり・・・。

 

 脚色とほかの翻訳にあたっていないのでなんともいえませんが、三人の泥棒が争う場面がややながめなのに、魔法使いがおいかける場面が、あっというまに決着がつくので、ややものたりないかもしれません。


だれのうんちが せかいいち?

2024年02月03日 | 絵本(外国)

   だれのうんちが せかいいち?/マリー・パブレンコ・文 カミーユ・ガロッシュ・絵 おがわ ひとみ・訳/評論社/2023年

 

 ある晴れた日の森の広場で ネズミがリスに、「せかいで いちばん すてきな うんちしちゃった」と、豆粒のようなうんちを自慢。

 それを聞いたリスが、「そりゃ、ちがう ぼくの うんちが せかいで いちばん!」と、小石みたいなうんち。そこへイタチ、ケナガイタチ、アナグマ、キツネ、オジカが、「せかいいち!」と、うんちの競い合い。

 そこへ猟師がやってきて 狙いをつけて・・・。

 決着は? 

 せかいいちのうんち?は、大きさかな、形かなと思ってると 意外な オチ。

 動物の危機を 助けてくれたのが うんち。なんとも、ウンのわるい猟師に同情。まあ、しっぺがえしですね。

 

 動物たちだんだんおおきくなり、どんどんふえていく様子が、楽しい。動物たちも落ち着いたタッチです。


鹿よ おれの兄弟よ

2024年02月02日 | 絵本(日本)

   鹿よ おれの兄弟よ/神沢利子・作 G・D・パヴリーシン・絵/福音館書店/2004年

 

 祖先から続く猟師が、シベリア シホテ・アリニ山脈(樺太横の大陸日本海沿岸の山脈)の あいだから ながれくる 川を 小舟をこぎ、鹿を求めてそのときをまつ。

 鹿を殺し、小刀で毛皮を はぎ いっぽんの骨もおらずに、解体。服は鹿皮、くつも鹿皮。どちらも鹿の足の腱を糸にして 縫ったもの。

 妻や子、自分の命をつなぐために、鹿の命をいただく。しかし、猟師は鹿に対する感謝と敬意を決して忘れることはありません。それが共存の前提です。

 

 幼少期樺太で過ごされたという神沢さんの叙情詩と ハバロフスク在住のG・D・パヴリーシンさんのコラボ。どんな経緯で実現したのかにも興味がわきました。

 ひとまわり大きいページに、人の服装や、 鹿の毛、木の樹皮や曲がりくねった枝、草花が緻密に描かれ、静寂な大自然の風景に おもわず引き込まれます。

 「鹿よ、おれの兄弟よ」「鹿よ おれは おまえを よぶ」「ありがとう おれの 友 おれの兄弟よ」繰り返しのフレーズが 鹿への 敬意を あらわしているよう。

 擬音も独特。

 「プサル プサル プサル」は、小さな魚が 水面を 跳ねる音。

 「トーン デュヒ」は、鹿が鼻をひろげ 警戒して あたりを かぐおと。

 「ビテ ビテ ビチュ チュ」は、小鹿が 猟師がちいさいころ 耳をなめた 音。


かさボコホイ、みのボコホイ・・栃木

2024年02月01日 | 昔話(関東)

        栃木のむかし話/下野民俗研究会・編/日本標準/1977年

 

 あるところのおおきな寺に、みのやかさの壊れたものがだいぶたまって、和尚さんは小僧さんに寺の床下にすてるよういいつけました。

 日が暮れておつとめを終えた小僧さんが、布団に入ってうとうとしていると、どこかで、「かさボコホイ、みのボコホイ かさボコホイ、みのボコホイ」という声が聞こえてきた。ねむりかけた小僧さんが目をこすりながらおきてみると、だれもいない。つぎの夜も同じように声が聞こえてくる。気味が悪くなった小僧さんは、とうとう和尚さんに いっしょに 寝てくれるようお願いした。「そんなにひとりで寝るのがこわいのなら、ひとつ、わしがいっしょにねてやろうか」と、和尚さんもその夜、小僧さんのそばに寝たんだって。

 その夜、和尚さんの耳にも、「かさボコホイ、みのボコホイ かさボコホイ、みのボコホイ」の声が聞こえてきた。和尚さんは、二、三日前に、かさとみのを、縁の下に捨てたことを思い出し、「かさやみのが、縁の下なんぞに、捨てられたもんだから、おこってんだべ。」と、つぎの日、縁の下だけではなく、近所のうちから、いらなくなったものを、うんと集めてきて、丁寧に拝んでから、火をつけてもしてしまった。

 それからは、へんな声が聞こえなくなったという話じゃ。