この時期、テレビなどでは終戦記念日が近づき、にわかに戦争に関するものが多くなります。秋田県では昭和20年8月14日に秋田市土崎に空襲を受け、翌日に終戦(天皇の玉音放送)の前日だったことから、日本最後の空襲とも云われているようです。秋田では土崎空襲をクローズアップして扱いますが、この日、日本では熊谷、高崎、大阪、岩国など全国10カ所以上で空襲が行われたとのこと。多くは軍需施設が標的とされたようで、秋田市でも当時土崎にあった日石の製油所が標的になったようです。
テレビでは空襲があった事実が多く扱われていますが、毎年同じような報道になってしまい、どうして土崎に空襲があったのか、などという切り口で番組を作ってくれたら、当時秋田で行われていた石油採掘のことなどももっと知ってもらえるかと思います。
当時多くの油田は帝国石油㈱の管理となっており、熟練作業員は、開戦直後に南方油田に派遣され、一方で樺太から一時帰国した北樺太油田㈱の社員が八森油田の採掘を委託されたりと、油田も戦争で大きな影響を受けていたようです。