日々

穏やかな日々を

生きづらくなったなと思ってしまう

2017年01月22日 11時33分34秒 | 医療情報
最近感じること
報道の日本語と漢字
「諜報活動」
「掴む」
等々読めない
意味分からない

生きてれば105歳の父が言っていた
新聞をよく読んで勉強家だった父が
今頃の新聞は「分からん、英語の省略文字が多い」と

もともと、新聞嫌いの私
読みだすと隅々まで読みたくなって
半日時間を使ってしまうので
「もともと見ない自分」をきめていたから
新聞を見て、見出しからアルファベットの活字に、不快感はあったけど
父の言う「怒り」はよくわかった。

そして今
婆は思う

読めない、意味わからない・・・・・
漢字は読めなくても「感じとして意味分かる」ことが多かったけど、
今は、「わからん」が多いこと・・・・・
まあ、あまり怒らず、ネットで調べて分かってるから、
ネットの文章を読んで分からんのですぐ検索する、
そして、
「へ~そうなの」と使った記事に驚きながら、
生きづらくなったなと思ってしまう。
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ついに!稀勢の里涙の初V、白鵬戦を前に“綱”当確

2017年01月22日 11時08分44秒 | 運動スポーツ
ついに!稀勢の里涙の初V、白鵬戦を前に“綱”当確
2017年1月22日6時0分 スポーツ報知

初優勝が決まった稀勢の里は支度部屋で目に涙をため、唇をグッとかみ締めた(カメラ・堺 恒志)

 東大関・稀勢の里(30)=田子ノ浦=が悲願の初優勝を達成した。西前頭13枚目・逸ノ城(23)=湊=を寄り切って13勝目。1差の2敗で追う東横綱・白鵬(31)=宮城野=が結びの一番で敗れ優勝が決まった。2011年九州場所後の大関昇進から31場所目の初Vは歴代1位のスロー記録。二所ノ関審判部長(元大関・若嶋津)は横綱昇進を諮る臨時理事会招集の要請を示唆。1998年夏場所後の3代目若乃花以来、19年ぶりの日本出身横綱誕生が現実味を帯びてきた。

 稀勢の里は、あふれ出る涙をこらえきれなかった。囲み取材を終え、支度部屋のテレビに背を向け帰り支度を始めた時だった。「横綱が負けました」。付け人の報告で初優勝を知った。こみ上げる感情を抑えこむように、深く、ゆっくり息を吐いた。「ありがとうございました。支えてくれた人には本当に感謝しかない」。多くを語らず席を立った時、右目からひとしずくの涙がこぼれた。

 巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄氏(80)=報知新聞社客員=も観戦に訪れた大一番。逸ノ城を得意の左差しから、もろ差しで寄り切った。勝ち名乗りはいつも通り淡々と受けた。根底には11年九州場所前に亡くなった先代師匠の故・鳴戸親方(元横綱・隆の里)の教えがある。「勝っても負けても表情を変えるな。相撲の美しさは勝っても負けても正々堂々の潔さにある」。帰路に就く直前に知った初優勝の一報。人前で泣いたのは、先代師匠が亡くなったとき以来だった。

 たたき上げで頂点を極めた。中卒での入門を選んだのは早くお金を稼ぎたかったから。当時、父・貞彦さん(71)は脱サラして独立したが事業に苦戦していた。中学の野球部ではエースで4番。茨城の名門・常総学院高から特待生の打診も来たが、断った。

 両親は、本当はヘビー級のボクサーにしたかった。「今の10倍は稼げたんじゃないかな。でも育てるのにお金がかかるから無理だった」と貞彦さん。稀勢の里も「力士になるなら早い方がいい」と応じた。02年春場所の初土俵以来、休場は右足親指負傷による14年初場所千秋楽の1日だけ。強い心と強い体で戦い続けた。

 明確な綱取り場所ではなかったが、二所ノ関審判部長はこの日、稀勢の里の昇進手続きを進めることを示唆。横綱が現実味を帯びてきたことで、先代師匠が「横綱は見える景色が違うんだ」と話していた言葉の意味が分かる。その景色とは、支度部屋の一番奥に座って見る光景。全力士を見下ろす反面、全力士から見られ、狙われる緊張感の中で強さを示し続けなければいけない。頂点を極めた者だけが見られる光景は、もうすぐそこにある。

 優勝した際に行う部屋での鯛持ちは千秋楽終了後に持ち越した。「明日、最後をしっかり締めて。集中してやるだけです」。宿敵・白鵬を倒して説得力のある優勝で締めくくりたい。優勝と横綱昇進の味をかみ締めるのは、その後でいい。(秦 雄太郎)
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天下りあっせん「人助けだった」 文科省OBが証言

2017年01月22日 11時00分32秒 | 医療情報
天下りあっせん「人助けだった」 文科省OBが証言
菅野雄介
2017年1月22日03時

 文部科学省をめぐる組織的な「天下り」あっせん問題で、内閣府の再就職等監視委員会が、あっせんの中心的人物と位置づけた同省人事課OBの男性(67)が21日、朝日新聞の取材に応じた。男性は「国家公務員法改正で役所があっせんできなくなったので、相談を受けるようになった。人助けのつもりだった」と述べる一方、同法に違反する行為はしていないと説明した。
隠蔽工作に口裏合わせ… 天下りあっせん、文科省ぐるみ
 監視委は、文科省が同法違反を免れるために再就職あっせんシステムをつくったと認定したが、男性は「国から言われてやったわけではない」と、自身が退職後に関わったあっせんへの同省の組織的な関与を否定した。
 男性は文科省人事課長補佐などを務め、2009年に退職。男性によると、08年の同法改正で省庁が再就職をあっせんすることが禁じられたため、退職後間もなく、再就職先にいる同省OBらから人材について相談を受けるようになった。「狭い縁の中で、適当な人がいれば紹介していた」という。金銭のやり取りは否定した。
 文科省関係者によると、男性は同省に出入りしていた。
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パチンコオヤジも手を止めた 編曲の魔法、世界観生む

2017年01月22日 10時49分51秒 | 
パチンコオヤジも手を止めた 編曲の魔法、世界観生む
藤崎昭子
2017年1月22日03時09分
編曲家 歌に魔法

 好きだったヒット曲を思い浮かべてほしい。歌のメロディーや詞を作った人の名は知っているかも。キラキラした伴奏や劇的なイントロで心をときめかせた編曲家(アレンジャー)まで挙げられたら、あなたはかなりの音楽通。
 歌謡曲黄金時代と呼ばれる1970、80年代。ヒットの陰には名編曲家がいた。編曲家の役割を大まかにいうと、楽曲から歌声を抜いたカラオケとして鳴る全ての音の譜面を作ること。ミュージシャンを交えたレコーディングの現場監督でもあり、その力量・センスに曲の印象や完成度は左右される。
 例えば1979年にヒットした「異邦人」。作詞・作曲の久保田早紀がイメージしていたのは東京・国立駅前の景色だった。それを刺激的なイントロでシルクロード風に染め変えたのは、編曲家の萩田光雄だ。当時、ジュディ・オングの「魅せられて」が売れていて、ディレクターが「エーゲ海の次は中東の砂漠だ」と発注した。
 「パチンコをしているオヤジが『お、何だこれ』と手を止める。そんなインパクトをつねに意識していた」と萩田は言う。
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