2020年4月17日 脇田滋の連続エッセイ
第40回 保健所機能の大きな後退を招いた政府の地域保健政策-新型コロナウィルスとの闘い(2)
</main>新型コロナウィルス感染症(以下、新型コロナ)をめぐって日本のPCR検査の異常な少なさが目立ち、内外の専門家やメディアから、検査を増やすべきだという批判が出されてきました。しかし、政府・厚生労働省は、何故か検査を増やさない理由を明確に示さないでいます。その理由については、多くの議論がありますが、1980年代以降、とくに1990年代になってから、保健所の設置主体変更、保健所数減少、保健所機能の後退が続いてきました。つまり、政府・厚生労働省自身が公衆衛生を増進させる国の責務を、先頭に立って後退させてきたことに大きな原因があると思います。
少ない人員のために保健所現場で働く職員の方は、業務に追われて大変な状況にあると思います。専門外ですが、急いで情報を集めて、保健所や公衆衛生をめぐる現状と問題を考えてみました。
公衆衛生の第一線機関としての保健所
戦後、1947年の日本国憲法25条が「健康権」を明文で保障しました。
第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
25条は、一般に「生存権」規定とされますが、狭い意味で生きていくだけの権利ではありません。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」と、わざわざ「健康で」という表現を使い、第2項で、国が「公衆衛生」を向上・増進させる努力義務を挙げています。
戦後、憲法25条に基づいて「保健所法」(1947年)が改正され、戦前、警察の下にあった衛生事務を移譲された第一線の公衆衛生専門技術機関として保健所は再出発しました。人口10万人に1カ所の設置基準が定められ、都道府県が主体となって保健所が設置され、また、地域の実情に応じた民主的運営のために「保健所運営協議会」が設けられました。
つまり、保健所は、住民参加を前提とした公衆衛生運動と結びついて、住民の健康権を守る重要な役割を果たすことになったのです。東京都の美濃部亮吉・革新知事の時代、都保健所の特別区移管に際して、都職労や保健所長会との話し合いを経て、「公衆衛生4原則」を確認して移管が実施されました。4原則とは、①総合性、②地域即応性、③科学性、④地域住民の自発性です。まさに、住民主体の公衆衛生運動の中核として、保健所が大きな役割を果たすことになっていたのです。
保健所は、1937年の保健所法で、戦争が深まる時代に国が住民の健康管理を把握する地域官署として、警察署と深いつながりをもって設置されました。1975年の「公衆衛生4原則」は、戦前の保健所とは大きく異なり、住民自身が健康権の主体となって、運営にも大きく変わる新たな保健所に発展する方向を示すことになったのです。※
※ 『社会福祉辞典』(大月書店、2002年)
「臨調行革」路線による保健所法改正(=地域保健法)と公衆衛生の後退
ところが、1980年代以降、「臨調行革」路線に基づく社会保障制度の全面的再編が行われました。官公労働運動への権力的弾圧の一方、公的な行政サービスの見直しが始まり、各地で福祉、公衆衛生、医療、教育などの住民サービスを担う職員の削減が強行されていきます。公衆衛生の第一線機関である保健所も例外ではありませんでした。地域で住民の健康権を守る役割を担ってきた保健所の再編が、政府・厚労省主導で進められました。
1994年に「保健所法」が全面改正され、新たに「地域保健法」と改称されました。同法によって、保健所の統廃合など、公衆衛生全般の見直しが始まったのです。1982年の第二臨調基本答申で、地方公務員への人件費補助見直しが指摘され、94年法改正で、保健所への国の財政支援が、定率補助方式から人口・面積等を基礎にする交付金方式に変えられました。
そして、都道府県保健所や政令指定都市・特別区の保健所は、従来の地域保健の第一線機関でなくなりました。市町村保健センターが第一線機関になり、都道府県保健所は、専門的・広域的見地から支援する機関となりました。要するに、1970年代に「公衆衛生4原則」が示す、地域住民の健康を守る第一線機関とされた保健所の役割からの大きな後退でした。※
※ 第23回 保健所と地域保健法(第65巻第7号「厚生の指標」2018年7月) https://www.hws-kyokai.or.jp/images/book/chiikiiryo-23.pdf
この保健所機能の後退が、現在、新型コロナに対する日本政府の不十分な対応につながっていると思います。住民の健康権を守るべき保健所が、公衆衛生4原則に基づく本来の機能を果たしていたら、PCR検査も数多くできていたかも知れません。憲法が定める公衆衛生の向上・増進という国の責務が、政府自身の「行革路線」の結果、大きく後退したのです。住民の健康権保障の拠点であった保健所機能が壊された歴史と、それによる惨憺たる結果を直視する必要があります。
実際、保健所法が地域保健法に変わりましたが、改正法が施行された1995年(平成7年)以降、保健所総数、とくに、都道府県を設置主体とする保健所数が大きく減少しています。(図)
「臨調行革」路線による保健所法改正(=地域保健法)と公衆衛生の後退
ところが、1980年代以降、「臨調行革」路線に基づく社会保障制度の全面的再編が行われました。官公労働運動への権力的弾圧の一方、公的な行政サービスの見直しが始まり、各地で福祉、公衆衛生、医療、教育などの住民サービスを担う職員の削減が強行されていきます。公衆衛生の第一線機関である保健所も例外ではありませんでした。地域で住民の健康権を守る役割を担ってきた保健所の再編が、政府・厚労省主導で進められました。
1994年に「保健所法」が全面改正され、新たに「地域保健法」と改称されました。同法によって、保健所の統廃合など、公衆衛生全般の見直しが始まったのです。1982年の第二臨調基本答申で、地方公務員への人件費補助見直しが指摘され、94年法改正で、保健所への国の財政支援が、定率補助方式から人口・面積等を基礎にする交付金方式に変えられました。
そして、都道府県保健所や政令指定都市・特別区の保健所は、従来の地域保健の第一線機関でなくなりました。市町村保健センターが第一線機関になり、都道府県保健所は、専門的・広域的見地から支援する機関となりました。要するに、1970年代に「公衆衛生4原則」が示す、地域住民の健康を守る第一線機関とされた保健所の役割からの大きな後退でした。※
※ 第23回 保健所と地域保健法(第65巻第7号「厚生の指標」2018年7月) https://www.hws-kyokai.or.jp/images/book/chiikiiryo-23.pdf
この保健所機能の後退が、現在、新型コロナに対する日本政府の不十分な対応につながっていると思います。住民の健康権を守るべき保健所が、公衆衛生4原則に基づく本来の機能を果たしていたら、PCR検査も数多くできていたかも知れません。憲法が定める公衆衛生の向上・増進という国の責務が、政府自身の「行革路線」の結果、大きく後退したのです。住民の健康権保障の拠点であった保健所機能が壊された歴史と、それによる惨憺たる結果を直視する必要があります。
実際、保健所法が地域保健法に変わりましたが、改正法が施行された1995年(平成7年)以降、保健所総数、とくに、都道府県を設置主体とする保健所数が大きく減少しています。
平成8年には、保健所総数が850余りあったのが、平成19年には500余、平成30年は469箇所に半減。
2010年の大月邦夫論文=保健所機能後退を危惧
保健所機能の後退に関連して、群馬県の藤岡保健所に勤務されていた大月邦夫さんが日本公衛誌(2010年7月)に書かれた興味深い論文を見つけました。※
※ 大月邦夫「保健所運営報告,地域保健・老人保健事業報告からみた保健所数およびその活動の動向」日本公衛誌第57巻第7号(2010年7月15日)561頁 https://www.jsph.jp/docs/magazine/2010/07/57-7-561.pdf
2010年当時、新型インフルエンザの流行で、保健所に注目が集まっていました。そこで、保健所設置数と、その主な活動動向を概観し、「公衆衛生行政の資料を得る」ことを目的にして書いた論文ということです。
以下、同論文の概要です。
地域保健法以後の保健所数減少を医療計画との関連から考察し、「保健所運営報告」と「地域保健・老人保健事業報告」等から、1997年地域保健法施行前後の保健所活動を、全国の保健所の主な活動(1963年~2006年度)、群馬県の全保健所が実施した健康相談、衛生教育、試験検査の内容別件数(1982~2006年度)、藤岡保健所が実施した項目別検査件数(1959~2006年度)を検討した。
そして、1)保健所数が1997年度に初めて減少し、以後減少し続けている。2)健康診断から試験検査まで、全国の保健所が毎年実施してきた保健サービス量は、地域保健法施行後、全般的に減少を示した。3)群馬県の全保健所が実施した①健康診断を受けた人、②衛生教育の開催回数、③試験検査件数も、地域保健法施行後減少を示した。④過去48年間遡及調査できた群馬県藤岡保健所の項目別検査件数は、地域保健法施行後明らかな減少を示した
表4 群馬県の全保健所が実施した 4–1 健康診断,4–2 衛生教育,4–3 試験検査の推移
(1982年~1996年及び1997年度~2007年度.群馬県:人口200万人)
(大月邦夫・前掲論文、568頁)
群馬県の保健所の試験検査の総数、1990年度(平成2年度)1,066,688件が
2007年度(平成19)52,922件に減少。
病原微生物検査は、97年度32万を超えていましたが、07年度は3万6千と10分の1にまで減っています。保健所の重要な機能であった検査数が激減している。
2020年4月で、この論文が書かれてから約10年が経ちました。現在、大月さんが危惧された通りの結果となってしまいました。日本の新型コロナPCR検査の異常なほどの少なさが、内外の専門家やメディアから指摘されています。しかし、政府=厚労省は、検査が少ない理由を示すことができません。政府自身が、長期的に保健所の機能を縮小してきたために、検査を数多くするための組織的・人的体制がなくなってきたからです。
大阪府関係職員労働組合(大阪府職労)の声明(3月25日)
2020年3月25日、大阪府関係職員労働組合は、「公衆衛生の危機!このままでは府民のいのちと健康は守れない!今こそ、公衆衛生の充実、保健所の機能強化と拡充、地方衛生研究所の府立直営化を!」という声明を発表しました。https://www.fusyokuro.gr.jp/2020/03/post_opinion_12921.html
「都道府県にそんなに保健師はいらない」「広域・調整業務だけすればいい」などのかけ声のもと、「保健所法」が廃止され「地域保健法」の施行によって保健所は全国的に減らされ、2004年には大阪府でも14の支所が廃止され、政令市、中核市含めて18ヶ所にまで減らされました。
大阪府も「組織のスリム化」を掲げ、「行財政改革」「組織戦略」「職員数管理目標」などによって職員数を減らし続け、2017年には全国で唯一、府立公衆衛生研究所を府直営から切り離し、地方独立行政法人化しました。その結果、大阪府の職員数と保健師数は全国でも最低水準となっています。
この大阪府職労の声明に続いて、4月3日、大阪府知事と大阪市長を務めた橋下徹氏が次のようなTweetをして大きな注目を集めました。
「僕が今更言うのもおかしいところですが、大阪府知事時代、大阪市長時代に徹底的な改革を断行し、有事の今、現場を疲弊させているところがあると思います。保健所、府立市立病院など。そこは、お手数をおかけしますが見直しをよろしくお願いします。」(https://twitter.com/hashimoto_lo/status/1245891130991898626)
これを受けて、ネットでは色々な反応がありました。とくに、井上伸さんは、橋下大阪府知事、大阪市長の下での病院・保健所の削減の状況を示すグラフを、以下のように、Tweetで示され、注目されました。
(出所:https://twitter.com/inoueshin0/status/1246774520163131394 )
既に、「臨調行革」路線に基づく、保健所削減が進んでいましたが、2008年、橋下徹氏が大阪府知事になって以降、維新政治が続く中で、公的医療や公衆衛生の見直しが進められ、病床や保健所、関連職員の削減が進められることになりました。この井上伸さんのグラフで、大阪府が全国ワースト2位にまで落ち込んだことがよく分かります。
現在、新型コロナ対策で、「維新」出身の吉村洋文知事がマスコミにもしばしば登場して、頑張っている様子が報道されています。ソファで愛犬と戯れる首相に比べて、作業服姿での連日の奮闘は評価します。しかし、大きな矛盾も感じます。なぜなら、住民のいのちや健康を支える保健所職員数で、大阪が全国ワースト2位になったのには、政府だけでなく、自民党以上に公務員削減を強く主張してきた「維新」の政策があったからだと思えるからです。そのことは橋下氏自らが指摘する通りです。
当面の新型コロナの問題では、住民のいのちが最優先です。その限りでは、吉村知事がメディアで「いのちを守ることが第一位」と訴えるのは、その通りだと思います。
しかし、住民のいのちを守るためには、公衆衛生や医療の最前線で闘う専門的知識・経験をもった職員が大切です。大阪府職労の声明は、そのことを端的に指摘しています(下記参照)。
この指摘に耳を傾けて、今後の大阪府政でも指摘通りに公衆衛生関連の職員を確保するとともに、政府に対しても住民のいのちを最優先に、長年の公衆衛生後退政策を抜本的に見直すように求めるべきだと思います。
しかし、今回のような感染症の蔓延や災害発生時などには、こうした職員の必死の努力もやがて限界を超え、公衆衛生機能が破綻することが危惧されています。
府民の安全・安心、いのち・健康を守る行政を進めるには、幅広い専門性を有する職員のマンパワーが絶対に必要です。
私たちは、新型コロナウイルス感染症の拡大を踏まえ、府民の安全・安心、いのちと健康を守るために、あらためて保健所の機能と職員体制の強化、公衆衛生研究所(現:(地独)大阪健康安全基盤研究所)を府立直営に戻すことを求め、全力で取り組みを進めます。