「患者1人1人に寄り添う医療を」 医師の長純一さん、死去2日前取材に語る
2022年6月30日 (木)配信河北新報
東日本大震災で被災した住民らの医療ケアに尽くした元石巻市包括ケアセンター所長で医師の長純一さんが28日、56歳で死去した。2日前の26日、石巻市内の自宅で療養中に河北新報社などの取材に応じた長さんは「患者1人1人に寄り添った医療を考える人が増えてほしい」などとメッセージを残した。(聞き手は気仙沼総局南三陸分室・高橋一樹)
■「日本一恵まれた」
石巻で地域包括ケアを推進する立場から、ケアを受ける患者の立場になった。近くの中核病院で治療を受けると同時に、自宅ではかつて務めた石巻市立病院の後輩たちが面倒を見てくれ、看護師もすぐ飛んできてくれる。周りに仲間がいて、日に日に病状が悪くなっても自宅の方が安心できると思えた。私は日本一恵まれた医療を受けている。
患者の視点で考えて在宅ケアの仕組みを準備し、そこに報酬が認められる形になればサービスの隙間を埋めることができ、在宅医療の可能性はもっと広がる。
新型コロナウイルス禍でも医療と介護の連携がうまく機能しなかった。行政が主導すべきで、特に県は医療に責任を持つ立場だが民間との協働が苦手だ。行政の目線を変える必要がある。石巻市長選や知事選に出て、問題がある程度明らかになった。
■「死ぬことは怖くない」
憧れであり原点だった若月俊一先生に教えられた佐久総合病院(長野県)は自分の成長の場、石巻は学んだ精神を復興に生かす挑戦の場だった。自分が最も必要とされる場所で、少しはお役に立てたかなと最近思えるようになった。
これからの医療は福祉的な見方がなければいけない。つらい人のそばで苦痛を和らげるのが本来の医療であって、病気を治すことだけが医療ではない。総合診療や在宅ケアを学び、患者中心の医療を幅広く考える医者が増えてほしい。
選挙活動中も療養中も、かつて診た多くの患者さんや後輩医師が応援のメッセージをくれた。今までやってきたことの回答だとすれば、すごくうれしい。私の心が誰かの中で息づいてくれれば大満足で、死ぬことは全然怖くない。
3歳の娘には申し訳ない。どんな子どもも大事にされる社会を目指して戦ってきた。子どもを第一に考え、母親が支援される社会になってほしい。
[ちょう・じゅんいち]東京都出身、信州大卒。長野県の佐久総合病院に19年間勤務。東日本大震災直後に長野県医療団長として石巻市に入り、2012年5月に市立病院開成仮診療所長。13年8月~21年2月に市包括ケアセンター所長。21年の石巻市長選と知事選に出馬し落選。市内の医療機関院長を務め、今月21日に末期の膵臓(すいぞう)がんであることを公表していた。
長さんの一般弔問は30日午後6時~7時半と7月1日午前10時~正午、石巻市大街道北3の3の8、石巻大街道斎場清月記で。葬儀は近親者のみで行い、後日しのぶ会が開かれる予定。