昨日は二俣川から鶴ヶ峰まで歩きました。
途中聴いたのは1930年生まれの広瀬量平の作品。
1976年に作曲された管弦楽のための「クリマ」である。
彼は函館市に生まれ、東京藝術大学作曲科に入学し、
池内友二郎や矢代秋雄などに師事した。
1977年から1996年にかけて京都市立芸術大学音楽学部教授を務め、
その後も国立音楽大学や東京芸術大学などの講師を務めた。
私の出身高校の校歌の作曲も廣瀬量平である。
(ちなみに作詞は谷川俊太郎です。)
今回聴いたCDは渡邉曉雄指揮、
日本フィルハーモニー交響楽団の演奏による。
弦楽器の変化する音で始まるこの感じは日本的で、
黛敏郎の弦楽のためのエッセイに似たところもある。
フルートの音も日本的で神秘的に始まるが、
やがて管弦楽全体で盛り上って音がぶつかりあう。
音楽は静かで神秘的で荒涼とした感じの部分と、
激しく大音量で音がぶつかりあう部分が繰り返されていく。
西洋と東洋の音楽のぶつかりありといってもいいのだろうか、
さまざま音楽の要素が混沌としつつ交じり合いながら、
大きな音のうねりを作り出しているような感じがする。
最後は管弦楽全体で盛り上って大音響となったあと、
伸ばし続ける金管楽器の一音が残って終わる。
途中聴いたのは1930年生まれの広瀬量平の作品。
1976年に作曲された管弦楽のための「クリマ」である。
彼は函館市に生まれ、東京藝術大学作曲科に入学し、
池内友二郎や矢代秋雄などに師事した。
1977年から1996年にかけて京都市立芸術大学音楽学部教授を務め、
その後も国立音楽大学や東京芸術大学などの講師を務めた。
私の出身高校の校歌の作曲も廣瀬量平である。
(ちなみに作詞は谷川俊太郎です。)
今回聴いたCDは渡邉曉雄指揮、
日本フィルハーモニー交響楽団の演奏による。
弦楽器の変化する音で始まるこの感じは日本的で、
黛敏郎の弦楽のためのエッセイに似たところもある。
フルートの音も日本的で神秘的に始まるが、
やがて管弦楽全体で盛り上って音がぶつかりあう。
音楽は静かで神秘的で荒涼とした感じの部分と、
激しく大音量で音がぶつかりあう部分が繰り返されていく。
西洋と東洋の音楽のぶつかりありといってもいいのだろうか、
さまざま音楽の要素が混沌としつつ交じり合いながら、
大きな音のうねりを作り出しているような感じがする。
最後は管弦楽全体で盛り上って大音響となったあと、
伸ばし続ける金管楽器の一音が残って終わる。