昨日は星川駅から横浜まで歩きました。
途中聴いたのは、アーッレ・メリカントの「創世記」。
メリカントは1893年生まれのフィンランドの作曲家である。
彼が晩年の1956年に作曲した「創世記」は、
ソプラノ、合唱および管弦楽のための作品である。
肺癌におかされた彼の晩年は、
つらい毎日であったに違いない。
トイヴォ・リューという詩人の詩に曲をつけたこの曲は、
晩年の彼の胸中を表しているようにも思える。
宇宙のような浮遊した音楽は不思議な魅力を持ち、
ソプラノ独唱と合唱は美しい音楽をつくりだす。
歌詞には星が象徴的に扱われるが、
それは人生の中で出会った人であり、
小さな星は詩人が生んだ子どもを表しているようだ。
人ではないが、作曲家は多くの作品を生み出す。
それぞれの作品は、愛着を持ちつづけた、
自分の子どものようなものかもしれない。
それらとも別れを告げなければいけない。
そんな時期が彼の晩年かもしれない。
歌詞の最後に出てくる「彼らとともに私の心のかけらと、
私の星のかけらが去っていった」ということば。
そして、「それほど過去ではないけれど、
はるか彼方にいってしまった
あの無限の星、あの美しい星!」という歌詞は、
人生とは何だったのかと振り返った時の、
きっと彼にも深く共鳴するものがあったに違いない。
生成と消滅は原理であり、避けることはできない。
何かが生まれ、何かが失われていく。
この「創世記」という作品にあるような気がするのは、
そのような悲しさであるが、それを深く思わせないようにか
音楽は穏やかに、そして最後は消えるようにして終わる。
途中聴いたのは、アーッレ・メリカントの「創世記」。
メリカントは1893年生まれのフィンランドの作曲家である。
彼が晩年の1956年に作曲した「創世記」は、
ソプラノ、合唱および管弦楽のための作品である。
肺癌におかされた彼の晩年は、
つらい毎日であったに違いない。
トイヴォ・リューという詩人の詩に曲をつけたこの曲は、
晩年の彼の胸中を表しているようにも思える。
宇宙のような浮遊した音楽は不思議な魅力を持ち、
ソプラノ独唱と合唱は美しい音楽をつくりだす。
歌詞には星が象徴的に扱われるが、
それは人生の中で出会った人であり、
小さな星は詩人が生んだ子どもを表しているようだ。
人ではないが、作曲家は多くの作品を生み出す。
それぞれの作品は、愛着を持ちつづけた、
自分の子どものようなものかもしれない。
それらとも別れを告げなければいけない。
そんな時期が彼の晩年かもしれない。
歌詞の最後に出てくる「彼らとともに私の心のかけらと、
私の星のかけらが去っていった」ということば。
そして、「それほど過去ではないけれど、
はるか彼方にいってしまった
あの無限の星、あの美しい星!」という歌詞は、
人生とは何だったのかと振り返った時の、
きっと彼にも深く共鳴するものがあったに違いない。
生成と消滅は原理であり、避けることはできない。
何かが生まれ、何かが失われていく。
この「創世記」という作品にあるような気がするのは、
そのような悲しさであるが、それを深く思わせないようにか
音楽は穏やかに、そして最後は消えるようにして終わる。
この曲がきっかけでネットで知り合って以来、5~6年付き合いが続いている方なんかもいます。
アーッレ・メリカントはフィンランドの中でも指折りの実力者だと思っているのですが中々、そこまでの知名度が得られないようで非常に残念です。
それとソンニネンの記事は本日拙ブログにて取り上げさせて頂きました。事後承諾にて失礼します。
アーッレ・メリカントは久しぶりに聴いてみて、なかなかいいなと思いました。
音楽というのは不思議なもので、あの時聴いても、印象がなかったとしても、しばらくたってから聴くといい曲だなあと思えることがあります。
だから、どんどん買ったCDがたまってしまうんでしょうね。