<奈良・桜井、長谷寺(2)>
平安時代から長谷寺(西国8番)は、京都の清水寺(西国 16 番)、滋賀の石山寺(西国 13番)と並んで「三観音」の一角とされ、人々から絶大な信仰を受けていた。
枕草子や蜻蛉日記、更科日記などにも、長谷寺への参拝について載っていて、時の権力者である「藤原道長」も参拝したと言われている。
下廊と呼ばれる長い階段を昇り詰めると、直角に右に折れる中廊の階段が延びていた。
(ここから右に延びる登廊は、少しは短かそうだ・・・)
中廊を昇ると、左に直角に延びる最後の上廊である。
息が切れてきたが、ここはもう一気にいくしかない。長い階段制覇には、とにかく“こんぴら参り”の経験が役に立つ。
(やった! 登廊を登りきったぞ)
広場のような正面に「愛染堂」が、そして左手に目指した本堂があった。少し休んで息が整うのを待った。わたしの目的は本堂参拝ただひとつなのだ。
本堂は正面が崖に向いているので、本堂の右側に入り口がある。本堂に横から入る形式は、同じく崖に立つ京都の「清水寺」や滋賀の「石山寺」にも共通する。
薄暗い本堂のなかは、残念ながら撮影禁止だった。
(思ったよりもずいぶん大きく、立派な観音様だ・・・)
長谷寺のご本尊は像高三丈三尺六寸(1018.0cm)、右手に錫杖、左手に水瓶を持って方形の大磐石という台座に立つ、頭に「11の顔」をのせた十一面観世音菩薩である。
我が国で最も大きな木造の仏像で、室町時代の天文七年(1538)に大仏師「運宗」らによって造立された。
さまざまな表情をした11の顔であらゆる方向を見渡し、人びとを苦しみから救ったり、願いを叶えてくれるご利益をもたらすとされている。
わたしは、時間をたっぷりかけて祈念した。
本尊に向かって左脇侍「雨宝童子立像」は初瀬山を守護する八大童子のひとり、また天照大神としても信仰されており、右脇侍「難陀龍王立像」は本尊造立の際に影向した八大龍王のひとりで、春日明神としても信仰されている。
本堂を廻り込むと、正面の上に「大悲閣」と書かれた巨大な扁額が掲げられていた。大悲閣は本堂のことを指し、本尊である観音菩薩の別名(大悲)にちなんでいる。
また本堂の正面には、清水寺と同じように柵で囲まれた広い舞台があり、そこから山の下を一望俯瞰することができる。
(紅葉の季節に、もう一度きてみたいものだ・・・)
やや斜めになった舞台に慣れてきてじっくり周囲を見渡していると、ここ長谷寺が山と山の間にあり、たしかに"長"い"谷"にある寺であることに気づかされ納得するのだった。
― 続く ―
→「奈良・桜井、長谷寺(1)」の記事はこちら
平安時代から長谷寺(西国8番)は、京都の清水寺(西国 16 番)、滋賀の石山寺(西国 13番)と並んで「三観音」の一角とされ、人々から絶大な信仰を受けていた。
枕草子や蜻蛉日記、更科日記などにも、長谷寺への参拝について載っていて、時の権力者である「藤原道長」も参拝したと言われている。
下廊と呼ばれる長い階段を昇り詰めると、直角に右に折れる中廊の階段が延びていた。
(ここから右に延びる登廊は、少しは短かそうだ・・・)
中廊を昇ると、左に直角に延びる最後の上廊である。
息が切れてきたが、ここはもう一気にいくしかない。長い階段制覇には、とにかく“こんぴら参り”の経験が役に立つ。
(やった! 登廊を登りきったぞ)
広場のような正面に「愛染堂」が、そして左手に目指した本堂があった。少し休んで息が整うのを待った。わたしの目的は本堂参拝ただひとつなのだ。
本堂は正面が崖に向いているので、本堂の右側に入り口がある。本堂に横から入る形式は、同じく崖に立つ京都の「清水寺」や滋賀の「石山寺」にも共通する。
薄暗い本堂のなかは、残念ながら撮影禁止だった。
(思ったよりもずいぶん大きく、立派な観音様だ・・・)
長谷寺のご本尊は像高三丈三尺六寸(1018.0cm)、右手に錫杖、左手に水瓶を持って方形の大磐石という台座に立つ、頭に「11の顔」をのせた十一面観世音菩薩である。
我が国で最も大きな木造の仏像で、室町時代の天文七年(1538)に大仏師「運宗」らによって造立された。
さまざまな表情をした11の顔であらゆる方向を見渡し、人びとを苦しみから救ったり、願いを叶えてくれるご利益をもたらすとされている。
わたしは、時間をたっぷりかけて祈念した。
本尊に向かって左脇侍「雨宝童子立像」は初瀬山を守護する八大童子のひとり、また天照大神としても信仰されており、右脇侍「難陀龍王立像」は本尊造立の際に影向した八大龍王のひとりで、春日明神としても信仰されている。
本堂を廻り込むと、正面の上に「大悲閣」と書かれた巨大な扁額が掲げられていた。大悲閣は本堂のことを指し、本尊である観音菩薩の別名(大悲)にちなんでいる。
また本堂の正面には、清水寺と同じように柵で囲まれた広い舞台があり、そこから山の下を一望俯瞰することができる。
(紅葉の季節に、もう一度きてみたいものだ・・・)
やや斜めになった舞台に慣れてきてじっくり周囲を見渡していると、ここ長谷寺が山と山の間にあり、たしかに"長"い"谷"にある寺であることに気づかされ納得するのだった。
― 続く ―
→「奈良・桜井、長谷寺(1)」の記事はこちら
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