大牟田・オープンシャッター・サロン茶塘

商店街の活性化を目指して、大牟田市新栄町の空き店舗を改装、サロン茶塘が開設された。茶塘や商店街のイベントを紹介します。

荒尾市の世界遺産登録に向けての活動

2014年08月05日 11時05分01秒 | 日記

大牟田と共に、「明治日本産業革命遺産群」の世界遺産登録を目指す荒尾市の活動が注目されています。

一つは「宮崎兄弟資料館」を活用した活動です。中国駐日大使、福岡領事の見学に続き、

先ごろは中国・上海の小中学生が見学にみえ、国際交流の輪も広がっています。

(2014年7月28日有明新報・起汐一郎「滔天・孫文の足跡をたどる」より)

もう一つは夏祭り「あらお荒炎祭」の目玉企画~石炭すくい~山積みされた石炭をスコップすくい、その量を競うもの

です。もう石炭掘はされていないはずですから~外国からの輸入炭でしょうか?優勝賞金30万~すごすぎない?!

(2014年8月3日西日本新聞「超短波」欄より)

上)2014年8月3日西日本新聞「超短波」欄

下)2014年7月28日有明新報・起汐一郎「滔天・孫文の足跡をたどる」


筑後川、矢部川の清流~八女茶育む

2014年08月05日 09時49分41秒 | 日記

 

『AGORA』(8.9月合併号2014年7月27日 日本航空発行)のP92-99に、<八女茶>が特集されていました。

確かに八女茶は有名です。でも何故?どうして??当たり前のことーで、考えていませんでした。まず、美しい写真に引き付けられました。

八女は「筑後川、矢部川の清流に挟まれ」、「年間雨量が多く、日中と夜間の温度差が大きい」という自然条件を備えていた土地だったのです。

ここにも筑後川、矢部川が大きな役割を果たしていました。

その自然条件を大切にされて来られたからこそ、「八女茶」の歴史がつながったと分かりました。

では、八女にお茶の木が植えられたそのきっかけ~始まりは?

「室町時代中頃の1423年、明から帰国した栄林周瑞禅師が、現在の黒木町笠原に立ち寄り岩上で座禅を組んだ際、庄屋の家に、明から持ち帰った茶の種子を与え、栽培、製造法を伝授したのが八女茶の始まり」だそうです。

「お茶の里記念館」には八女茶の歴史資料が展示され、すぐ側の<霊厳寺>には八女茶の発祥とされるチャノキが今も残されているそうです。

昨年は集中豪雨の被害もありました。沢山のボランティアの活動にも支えられ、やっと復活した場所もあります。

自然を、歴史を大切に、現在の努力を積み重ね、八女茶のおいしさ、豊かな香りが育まれています。

以下、『AGORA』(8.9合併号)文:坪田三千代 撮影:瀧岡健太郎「日本紀行<八女>まろみの茶」ーのP92「昔ながらにこだわって」のみからです。