第2次大戦後、中国東北部から旧ソ連に連行され、死亡した人を悼む「第12回シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集い」が、23日、東京・千鳥ヶ淵戦没者苑で行われました。政府の推計によるとシベリアとモンゴルに約57万人が抑留され、強制労働などで5万5千人が死亡されたそうです。祖父をシベリアで亡くした長崎・諫早の圍さんは集いに参加して、「シベリア抑留は学校で習わない。祖父と同じ境遇だった方の話が聞けてよかった」と話されています。追悼のつどいは、旧ソ連の指導者スターリンが抑留指導を出した1945年8月23日に合わせて開催されているそうです。(下:2014年8月24日朝日新聞・神屋由紀子<戦後70年へ>欄「シベリア抑留継承を」より)
1944年8月22日、学童疎開船・対馬丸が米潜水艦間の魚雷攻撃で撃沈され、約1800人の乗船者のうち~氏名が分かっているだけで子供780人を含む1500人近くの方が亡くなられました。
それから70年を迎えた今年8月22日、沖縄・那覇市の慰霊碑「小桜の塔」では、慰霊祭が行われ、生存者や遺族が犠牲者を追悼、平和の象徴とされる蝶のオオゴマダラを放し、不戦の誓いを新たにされたました。(下:2014年8月23日西日本新聞「対馬丸撃沈70年 不戦の誓い新たに」より)対馬丸記念館理事長の高良正勝さんは「年々、遺族、生存者、語り部が少なくなっている。記念館の充実に一層努力したい」と追悼の言葉を述べられました。(2014年8月23日朝日新聞・岩田正洋/木村司「対馬丸 悲劇語り継ぐ」より)
6月下旬には、天皇、皇后両陛下が「小桜の塔」に供花され、沖縄・対馬丸記念館を初めて訪問されています。記念館に展示されている遺影や遺品等について高良理事長に説明を受けられ、疎開船についていた護衛艦について質問されました。「護衛艦は救助に向かわなかったのですか」と重ねて問われました。続いて両陛下は遺族、生存者の15人と懇談され、「奇跡のように生き残ってくださって。亡くなった方のことを伝えてくれて本当にありがとう」と言葉をかけられています。(2014年7月20日号サンデー毎日P16~18「護衛艦は救助に向かわなかったのですか」より)
戦後70年の節目にあたって、各メディアの特集が組まれています。全然知らなかったことが多いのに驚きです。戦前生まれ、どさくさ紛れ生まれで後期高齢者の部類に入りつつある年齢でも、当時は0~10歳前後。戦争の惨劇を知ってるようで知リません。身近に語る人も少なく、今になってやっと聞けた話も多いようです。