夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

ニコニコ座右銘 牧野元次郎書 明治45年

2023-08-25 00:01:00 | その他
今年は猛暑の郷里でしたが、休暇中は男の隠れ家にて骨董三昧・・。



今年の夏は30年経過したレースのカーテンを交換しました。



全部で4セット(8枚)の交換でしたが、東京のニトリで手配して、郷里のニトリで受け取って取り替えました。和室や寝室、居間とそれぞれ少し文様や光の透過度を変えています。



留守にしている期間が長いので、カーテンは閉めたままのため日差しの影響でレースは劣化が進み、破れやすくなっていました。



この次はトップライトのロールカーテンが劣化しているようで、取り換えの手配をしています。家のメンテには手間と費用が嵩むものですね。



さて男の隠れ家の物置に保管していた欄間額。だいぶくたびれていたので捨てようかと思っていた数多くの作品のひとつに郷里の画家「舘岡栗山」が描いた作品がありました。欄間額なので作品を保護するアクリルやガラス板もなく、縁の木枠も痛いんでいたので捨てようと思っていました。



絵本体はなんとか鑑賞に堪えうる状態であろうと思い、欄間額から絵を世界堂の店員さんに剥がしてもらいました。作品が破れても致し方なし、という覚悟でしたがなんとか作品をうまく剥がしたらその下にも作品がでてきました。

*改装後の「舘岡栗山」の作品は別の記事にて紹介しています。

ニコニコ座右銘 牧野元次郎書 明治45年
紙本水墨欄間額 
額全体サイズ:縦502*1790 画サイズ:縦348*1452

「舘岡栗山」の作品は額装を依頼して、残った下にあった作品は捨てるかどうかするか迷ったのですが、一応こちらも調べることにして持ち帰りました。

家内と書を読みながら、「どうも田舎の人は家訓やら座右の銘が好きだね。」調べてみたところこの書はどうも牧野元次郎という方の書のようです。

「引首印 にこにこ座右銘
一 今日一日 三つの恩を忘れず不足の思を為さぬこと
二 今日一日 腹を立てぬこと
三 今日一日 嘘を云わず 無理を為さぬこと
四 今日一日 人の悪を云はず 己れの善を云はざること
五 今日一日 の存命を喜び 稼業を大切に為すべきこと
右は今日一日の慎にて候
壬子元旦(明治45年 1912年) ニコニコ倶楽部 会頭牧野元次郎謹書 押印」



牧野元次郎の略歴は下記のとおりです。のちの協和銀行、りそな銀行)創業者らしい。どうして当方の隠れ家に欄間額があるのか、しかもその欄間額の上に舘岡栗山の絵があったのかは謎です。

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牧野元次郎:(まきの もとじろう) 1874年(明治7年)2月17日~1943年(昭和18年)12月7日) 日本の実業家。不動貯金銀行(のちの協和銀行、りそな銀行)創業者・元頭取。定期積金を考案し業績を拡大させ「貯金王」などと呼ばれた。族籍は東京府士族。

千葉県君津郡久留里町(現君津市)出身。旧久留里藩士・牧野治の長男。父・牧野治は明治維新後は警察官吏となり、牧野が小学校に入学する頃には千葉県内の各地に赴任、警察署長も務めた。



1886年、印幡郡土室村の北総英漢義塾に入学。更に高等商業学校(のちの一橋大学)に進むも、過度の勉学への意志が牧野の精神を侵し病気となったことから中退。病も癒えた1894年に成田町に創立された成田銀行に勤めた。
その後貯金業務に特化した貯蓄銀行の起業を思い立ち、岳父の小堀清の出資を得て不動貯金銀行を1900年に設立。当初「不動貯金」(据置貯金。現在の定期預金だが期間が超長期のもの。)や「出世貯金」(抽選で利子を先払いする貯金)を考案したが失敗。翌1901年に「三年貯金」(現在の定期積金)を開始。外務員が預金者を勧誘・毎回に訪問して掛け金を集金し、急な払い戻しにも応じるサービスが受け業績が拡大し貯蓄銀行の最大手となった。設立当初は小堀が頭取を務めたが1904年に自ら頭取就任。1941年、相談役となる。1943年、死去。

不動貯金銀行の主力となった「三年貯金」は、その後「ニコニコ貯金」のネーミングで勧誘を進めたが、その中で大黒信仰を基にした「ニコニコ主義」をモットーとして日々の貯蓄の重要性を外務員を通じて預金者に説いた。こうした偉業を讃え、毎年芝大神宮で貯金祭が開催されている。
1930年の共立女子薬学専門学校(のちの共立薬科大学、慶應義塾大学薬学部)設立にも関わりながらも心霊問題の研究を趣味としていた。

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どうもただの実業家ではないらしい・・・。偉業を讃え、毎年芝大神宮で貯金祭が開催されている・・・???



芝大神宮では貯金王と言われた「牧野元次郎」氏の偉業をたたえていますが、芝大神宮の境内に貯金塚が建てられました。毎年10月には貯蓄と貯金のご加護を願う貯金祭も開催されます。



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牧野元次郎氏は、現在のりそな銀行の元となる不動貯金銀行を設立しましたが、この銀行は関東大震災の折、どこの銀行もお金がおろせない中、「ニコニコ主義」をモットーに、この銀行だけがそれぞれの貯金、その全額を払い戻したといいます。



そんな凄い方を称えるため、この貯金塚が建てられました。何でも碑文は、文化勲章を受章した日本を代表する作家「武者小路実篤」が揮毫したものだそうです。「根気 根気 何事も根気」と揮毫されている。



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牧野元次郎が掲げた「ニコニコ主義」ですが、さらに月刊誌「ニコニコ」という雑誌を発刊していたようです。

(下記写真 月刊誌 ニコニコ 林蘊蓄斎の文画な日々 by sumus_coより )



この雑誌にでていたのは大隈重信、渋沢栄一、高浜虚子、与謝野晶子、西郷隆盛の妹をはじめ、当時の各界著名人の方々、さらにその妻、その令嬢などなど。

あらゆる分野の方々の「ニコニコ」の写真と、それらの方のエッセーや小説、コラム、年賀状紹介、ペンパル募集のようなコーナーなどで構成されていたとようです。

中でも明治44年2月の巻頭号では、「著名人のニコニコしている写真ばかりを載せている。」と紹介されていましたが、夏目漱石の唯一の笑顔写真も掲載されているというから興味がわきますね。

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(参考 ニコニコについて 林蘊蓄斎の文画な日々 by sumus_coより一部そのまま抜粋) 

『ニコニコ』第17号(ニコニコ倶楽部 1912年6月1日)、
表紙は平福百穂。(欄間額の書の翌年、平福百穂は当方の蒐集対象)
「ニコニコ倶楽部は協和銀行創始者で当時は不動貯金銀行の頭取だった牧野元次郎が会頭となって始めた運動体。本誌の奥付によれば1907年の合衆国の不況に際してルーズベルト大統領、カーネギー、ハリーラウダーの三人がはじめたニコニコ運動に賛同したものだという。」(以上抜粋)

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まとめると牧野元次郎は石の上にも三年貯金 ということを考えたのが27歳の時。余ったら貯金するのではたまらないから、毎日強制的に集金して3年積み立てで貯金していくというアイデアで貯金させていったのだという。この銀行設立と同時にニコニコ倶楽部を設立。ニコニコ日記を出版し、月刊誌ニコニコを主宰した。

このニコニコ主義の内容
「今日一日の記を朝夕三唱する」
「今日一日3つの恩を忘れず、不測の思いをなさぬこと」
3つの恩とは師の恩、君の恩、父母の恩。
今日一日腹をたてぬこと
今日一日嘘を言わず無理をなさぬこと
今日一日人の悪を言わず己の善を言わざること
今日一日の存命を喜び稼業を大切に勤むべきこと
右は今日一日の慎みにして候と締められている。

捨てなくてよかったのか・・?? どうして男の隠れ家に隠れていたのか? どうにもこうにも男の隠れ家に仕舞われている作品は油断がならない。



額をインターネットオークションで入手して、作品を新たな額装にしてみました。



裏打ちは表具師に依頼して行いました。裏打ち仕直しだけなら安いものです。



先人からの贈り物・・・・、大切にしておきましょう。改装して男の隠れ家に戻しておきました。
















































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